第194話 愛は、最速で空を翔る
紫乃お姉様が待っていて、自分を頼りにしている。
自分だけを必要としてくれている……その想いが胸の奥で熱を帯び、すみれの全身へと広がっていく。
震えていた指先に力が戻り、立ち上がる勇気を与えてくれた。
「行かなくては……お姉様のところへ……」
囁く声には、決意と愛情が混ざったすみれ特有の響きを持っている。
愛するお姉様の窮地へ、誰よりも早く駆けつけるために、すみれは端末を強く握りしめ、その震えを止めようと深く息を吸った。
なお、一つだけでも責任重大な案件なのに、それを二百件以上も抱えている紫乃へ、自分から近づこうと思う者など、世界中を探してもすみれ以外まずいないだろう。
それでも、すみれにとっては、お姉様のそばへ行けるという事実だけがすべてだった。
「こんなこともあろうかと……」
その言葉と同時に、すみれは勢いよく立ち上がり、戦略室の壁へ手を伸ばす。
指先が触れた瞬間、魔力が静かに流れ込み、壁面に隠された認証機構が次々と起動する。
魔力認証。
生体情報照合。
群星リンク最高管理者権限。
三つの認証の光が重なり合い、すみれの存在をこの施設の最重要人物のひとりとして認める。
すると何の変哲もなかった壁が静かに左右へ開かれた。
その奥から、すみれの暴走する愛に応えるかのように、お姉様のもとへ向かうために用意されていた道……一人乗りの昇降機が姿を現す。
すみれは胸の奥で高鳴る鼓動を押さえきれず、そのまま昇降機へ足を踏み入れた。
一時も手放すことのない端末だけを抱え、最下層への指示を入力する。重い駆動音が響き、機体はゆっくりと地下へ降りていった。
群星リンクの施設には、公式記録には存在しない地下格納庫がある。
紫乃が国外で危機に陥ったときや、交通網が封鎖され、転移門も使えず、それでも紫乃が「来てほしい」と声を届けてくれたとき……どんな状況であっても紫乃のもとへ駆けつけられるよう、すみれが密かに造り上げた、彼女だけの緊急出撃用格納庫。
昇降機が最下層へ到達すると、巨大な扉が重々しく開き、魔導照明が一斉に点灯する。
暗闇が押し退けられ、中央に鎮座するひとつの機体が姿を現す。
滑らかな白銀の装甲は光を受けて淡く輝き、紫色の魔力伝導線が脈動するように走っている。
前方へ鋭く伸びた機首、翼のように左右へ広がる可変式魔導推進器、そのすべてが、紫乃お姉様のためだけに造られたという執念を物語っていた。
機体側面には《百花繚乱》の花弁の紋章と、紫乃の扇子を模した意匠が刻まれ、紫乃のために咲く一輪の花が、今まさに飛び立とうとしているかのようだった。
その名は、《魔導天使・単座高速零式》
そして現在選択されている特殊運用形態は、《シスターモード》
すみれが自ら設計図を引き、必要な部品を世界中からかき集め、群星リンクの演算能力を私的に限界まで酷使して完成させた、紫乃お姉様専用のスペシャル試作機である。
分類上は単座高速魔導バトルヘリ。
しかし、その性能は通常の航空機という枠に収まるはずもなく、すみれの愛と執念が詰め込まれた結果、兵器としても情報処理拠点としても、常識外れの完成度を誇っていた。
長距離魔力通信装置を搭載し、広域情報収集機構は飛行しながら複数国家の迷宮データベースへ同時接続できる。
解析端末は群星リンクの全演算能力を飛行中でも使用可能で、魔力障壁・光学迷彩・対観測結界による多層ステルス機能は、どんな監視網でもすり抜けるよう設計されている。
さらに、ミラーパレス周辺の魔力濃度へ適応するため、世界樹由来の魔力波形を模倣する潜入補助装置まで搭載されていた。
紫乃のいる場所へ必ず辿り着くために、すみれが必要だと思ったものはすべて詰め込まれている。
兵器としても、情報処理拠点としても、無駄に完成度が高い。
紫乃のためにしか使用する予定がないことを除けば、世界各国が喉から手が出るほど欲しがる、すみれの最高傑作であった。
「ついに……あなたを使う時が来たのですね」
すみれは機体を見上げ、感慨深げに呟く。
設計開始から、およそ一年。
これまで一度も正式な飛行許可を申請していない。
そもそも単座高速零式の存在そのものを、誰にも報告していない。
それでも整備だけは欠かさず、いつ紫乃から呼ばれても出撃できる状態を維持していた。
すみれは搭乗席へ駆け寄る。
その途中で足をもつれさせ、一度盛大に転んだものの、執念だけで体勢を立て直した。
「お姉様が……わたくしを待っている……」
操縦席へ身体を滑り込ませる。
左右から情報端末が展開し、正面の主画面に紫色の文字が浮かび上がった。
《搭乗者認証――九重すみれ》
《魔導炉、正常》
《群星リンク、接続》
《目的地――ミラーパレス》
《推定到着時間――四十七分》
「間に合いますわ!」
すみれの瞳が輝く。
通常ならば物理的に不可能な時間。しかし、《魔導天使・単座高速零式》の最高速度であれば、一時間以内に到着できる。
問題は、ミラーパレスの正確な位置と侵入経路だった。しかし、それもすでに調査済みである。
「こんなこともあろうかと、配信映像、魔力波長、各地の地脈変動、鏡宮財閥の物流記録から、候補座標を算出しておきました!」
主画面へ、ミラーパレスの推定座標が表示される。
信頼度、九九・七パーセント。
鏡宮の総力を結集した防御結界で座標こそ秘匿されていても、巨大施設の物流と魔力反応を完全に隠すことはできない。
紫乃に関することとなれば、すみれの情報処理能力は、恐ろしいことに世界最高水準を突き抜ける。
すみれの暴走モードの様子は、戦略室のカメラを通じて、百花繚乱の専用チャンネルへそのまま配信されていた。
【百花繚乱・専用コメント欄】
『え、地下格納庫なんてあったの!?』
『待って、あの機体なに!?』
『ラブレイザーオルタ!?』
『シスターモードって何だよ!』
『単座なのに、お姉様救出用の補助席だけ付いてる!!』
『これ一人で造ったの!?』
『すみれ様、才能の使い方を盛大に間違えてるよね……』
『また始まった……』
『でも今回は本当に紫乃お嬢様から呼ばれたらしい』
『じゃあ仕方ないか』
『仕方なくない! 誰か飛行許可取って!!』
コメントが爆発的な勢いで流れていく。
しかし、既にすみれの目には入っていない。
機体周囲の固定具が解除され、左右の魔導推進器が展開。
紫色の光が翼のように広がり、格納庫全体へ高い駆動音が響き渡った。
《シスターモード――起動》
《全情報処理機構――正常》
《お姉様支援プロトコル――最優先》
《出撃準備――完了》
正面の巨大隔壁が、ゆっくりと開いていく。
外から朝の光が差し込み、白銀の機体を眩しく照らした。
すみれは操縦桿を両手で握る。
先ほどまでの眠気は、完全に消え去っていた。
胸にあるのは、ただ一つ。
愛する紫乃のもとへ、一秒でも早く駆けつけること。
「ぐふふ……」
すみれの口元から、抑えきれない笑い声が漏れる。
「お姉様……お姉様!……お姉様!!」
魔導炉の出力が一気に上昇した瞬間、《魔導天使・単座高速零式》の機体全体が震え、格納庫の床を押し返すように魔力が噴き上がった。
次の刹那、すみれの身体へ凄まじい重力がのしかかる。
補助席……紫乃お姉様を救出するためだけに設計され、万が一怪我でもしていた場合を考え、衝撃ゼロ仕様の特等席は、当然ながら空のまま。
その恩恵はすみれには一切適用されず、操縦席の彼女は容赦なく加速の余波を受けた。
「ぐぬぬぬぬぬぅぅっ……!」
圧で顔が歪む。
頬が引きつり、視界が揺れ、身体がシートへ押しつけられる。
すみれは歯を食いしばりながら、それでも操縦桿を離さなかった。
そして、その苦痛すら、すみれにとってはお姉様のもとへ辿り着くためのちょっとした試練に過ぎない。
「こ、これくらい……っ! お姉様のためなら……っ!」
紫乃の名を思い浮かべた瞬間、圧力の痛みが熱へ変わり、胸の奥で燃える決意がさらに強くなる
「すぐに行きますわぁぁぁぁっ!!」
紫色の閃光を残し、《魔導天使・単座高速零式》は地下格納庫から空へ飛び出した。
紫乃の予感どおり。
九重すみれは、本当に一時間以内にミラーパレスへ到着しようとしていた。




