第112話 静流が見た、九条の未来
九条財閥本社、最上階。静寂に満ちた総帥執務室。
魔導投影に映る光景が、ふたたび揺らぐ。
そこには、紫乃がドローンを回収し、ユグドラシルの上空へ飛ばした映像が、鮮明に広がっていた。
静流は、わずかに目を細めた。
「……ユグドラシル。鏡宮の最秘匿領域を、こうも鮮明に……」
その声には、驚愕よりも、むしろ愉悦が混ざっていた。
鏡宮財閥が国家レベルで秘匿してきた神域。その全景を、紫乃のドローンがあっさりと映し出している。
「ふふ……さすがね、紫乃。あなたの判断は、いつだって九条の利益に直結する」
静流は指先で投影を拡大し、ユグドラシルの根元に立つ六人の漢へ視線を移した。そこで、紫乃が六人の漢と対峙していた。そしてフェルマが前に出る。
静流は、男が三人も増えていることに、少なからず驚いたが、財閥総帥として冷静に状況を観察していた。
しかし……フェルマの口から、ある単語が漏れた瞬間、感情が理性を上回った。
「……ぼくのユニークスキル、《霊薬精製》のことで……」
静流の指先が、ぴたりと止まる。
その瞳が、ゆっくりと、しかし確実に見開かれていく。
(……霊薬……精製……?)
画面越しに、紫乃が興味深そうに目を細め、フェルマは、恥ずかしそうに続ける。
「薬草の鑑定も、成分の抽出も、調合も、精製も……ぜんぶ一括で処理できます」
その瞬間、九条 静流という財閥総帥の仮面が、ほんの一瞬だけ、剥がれ落ちた。
「…………一括……?」
普段絶対に揺らがない静流の声音が、震えを帯びる
(……あり得ない……鑑定、抽出、調合、精製……それらをスキルで一括処理する……?)
フェルマは続ける。
「素材さえ揃えば……最後の一滴を混ぜるだけで、すぐにエリクサーは完成します」
静流の胸の奥で、何かが爆ぜた。
(……人工ポーション研究が進まなかった理由……これだったのね……人の科学や技術ではなく、スキルという異能が根幹に関与している)
九条財閥が何十年も追い求めてきた悲願。莫大な資金を投じ、世界中の研究者を集めても届かなかった領域。
その核心が……今、紫乃の目の前に立つ青年のスキルにあった。
静流の呼吸が、わずかに乱れる。
(……紫乃……あなた……)
紫乃は、まるでとてつもない財宝を見つけたかのようにフェルマを見つめていた。
「……あなたのスキル、本当に興味深いわね」
紫乃のその言葉に、静流は思わず笑みを漏らした。
「ふふ……さすがね、紫乃。調薬錬金術師のスキルに即座に反応するなんて……」
普段は絶対に見せない、研究者としての素の興奮が、はからずもにじみ出る。
「……やっぱり、わたしの娘だわ」
紫乃よりもっと深く、暗く静流の瞳は、完全に研究者のそれに変わっていた。そこには、財閥総帥ではなく、未知の技術に魅せられた探求者の眼差し。
(調薬錬金術師……スキルによる精製……これが実証されれば、ポーション研究は劇的に次の段階へ進む)
胸の奥で、熱が沸き立つ。
(紫乃……あなたは今、九条の未来を切り開いているのよ)
静流は、画面越しの紫乃へそっと囁いた。
「その調子よ。もっと彼の引き出しを開きなさい、あなたが導き、すべての棚を空にするのよ」
静流の戦略的思考が、フェルマを中心に、三人の漢の在り方と、この状況から如何にして九条に取り込むか、駆け引きの算段を始める。
そして、新たに加わった三人の男たちが、姿を現したことで、思考は再びリセットされた。
静流の瞳が、わずかに輝く。
「……これが、先ほど騎士クラウが言っていた三人の仲間。ユグドラシルに転移されていたなんて……これも運命ね」
そして、ひとりずつ分析を始める。
軽やかな身のこなし。背にはリュート。しかし動きは斥候のように静かで鋭い。
「吟遊詩人と……斥候の複合職? 物理寄りの支援型ね。あの軽やかな動き、ただの楽師ではないわ」
静流の声は、淡々としているが、そこに少しの興味がにじんでいた。
そして、二人目。腰に刀を差し、背筋を伸ばし、静かに佇むその姿は、まさに物語や歴史に登場する侍そのもの。
「異世界の剣士が侍ですって?……そう、ビジュアル的には申し分ないわね。前衛としてクラウと並ぶタイプかしら? 精神力も強そう……扱いづらいけれど、戦力としてはとても優秀」
静流は、侍の立ち姿を見て満足げに頷いた。
最後、三人目は、二メートル近い巨体。僧侶の衣装をまといながら、画面越しでも、とんでもない圧を放つ存在感。
「……凄い。これぞ理想の漢の集大成ね」
静流は思わず息を呑む。
「僧侶の衣装……でも、あの体格で回復職はあり得ない。拳闘士かしら? あるいは……破戒僧タイプ?」
その分析は、まるで戦場を俯瞰する将のように鋭かった。
「紫乃……この六人の漢たちは、誰もが、九条の未来にとって、とてつもない価値を生み出すわ」
静流はゆっくりと椅子に背を預け、夜景を背に微笑んだ。
「鏡宮が何を隠そうと……最終的に情報を制するのは九条よ」
その声は静かで、しかし絶対的だった。
静流は、紫乃のドローンが映しだす映像を見つめながら、フェルマの説明を一言一句逃さず聞いていた。
普段は絶対に揺らがない静流の瞳が、わずかに震えた。
そしてフェルマが続ける。
「素材さえ揃えば……最後の一滴を混ぜるだけで、すぐにエリクサーは完成します」
静流の呼吸が止まった。
(エリクサー……完成……? あのカリギュラ戦で冴月の魂を呼び戻した、あの奇跡の薬……あれを……創れるですって……?)
九条財閥が何十年も追い求めてきた悲願。
世界中の研究者が喉から手が出るほど欲した人工ポーション製造。その究極の先の先にあるエリクサー。その核心が……目の前の青年のスキルにあった。
静流の胸が熱くなる。
普段は絶対に見せない、研究者としての素の興奮が、静流の表情にじわりとにじみ出る。
しかし、続いてクラウが口にした素材名に、興奮していた気持ちが急速に静まる。
「星の吐息」
「月の雫」
「古の森の大精霊の核」
静流は、すぐに冷静さを取り戻した。
(……なるほど。そう簡単に創れるはずがないと思っていたけれど……やはり、エリクサーは伝説級の領域……)
紫乃が眉をひそめるのも当然だった。
(星の吐息なんて、存在するかどうかすら怪しい……月の雫も、あのスタンピードで幾人もの英雄を失くして、ラスボスの宝箱から出てきた幻のレアアイテム、世界にひとつしかない宝物……大精霊の核に至っては、恐らく神話の産物……)
静流は深く息を吐いた。
(……そうよね。エリクサーが量産できるなんて、そんな都合のいい話……)
だというのに、その思考は、フェルマの一言で粉々に砕かれた。
「あ、あの……乙女の涙でも代替できるんです……ただ、そんなレアな素材をどうやって手に入れたらいいか解からなくって……」
どうしていいのか解らないと、真剣に悩むフェルマの後ろで男達も、大きく頷く。
静流の手が止まった。
(…………え?)
画面の向う側でも紫乃が驚愕し、声を裏返す。
「えっ……!? 乙女の涙!?」
その反応につられるように、静流は思わず立ち上がりかけた。
(乙女の……涙……? 伝説級素材の代替が……? そんな……そんなありふれたもので……!?)
紫乃が驚くのは当然だ。そして、静流は……紫乃以上に震えていた。
(自然に流れた乙女の涙……それを最後に入れるだけで……エリクサーが……完成すると?)
九条財閥が国家予算を投じても届かなかった下級ポーションの精製。それの究極の頂点であるエリクサー。
研究者たちが何十年も追い求めた奇跡。その答えが「乙女の涙」で代用可能。
そんな、あまりにも簡単に、あまりにも象徴的で、あまりにも身近にある人間的な素材だったなんて。
静流の胸が熱く震えた。
(……紫乃……あなた……本当に……とんでもない未来を切り開いているわ……)
そして、静流は小さく笑った。
「ふふ……解っているわね、紫乃? この奇跡を、必ずものにするのよ」
その声は、財閥総帥のものではなく……研究者としての、純粋な歓喜だった。




