第113話 女帝たちは、奇跡を奪い合う
そして、フェルマが「上級ポーションならすぐ創れますよ?」と軽く言った瞬間、静流の心臓が跳ねた。
(……上級……? それを……すぐ……? 今、すぐって……?)
紫乃が息を呑み固まる。しかし……静流の衝撃は、その比ではなかった。
そんな二人の動揺など知らずに、フェルマは軽やかに瓶と素材を手に持つと、両手を重ねる。
次の瞬間、ぱぁぁぁ……っと、淡い光があふれ、空気が震える。光が収まると……そこに、完璧な上級ポーションがいともあっさりと精製されていた。
静流の呼吸が止まった。
(……嘘……でしょう……? 上級ポーション?……これほどの輝き……九条が辛うじて競り落とした貴重な……上級を超える輝き……それを……この青年は……)
紫乃が震える指でポーションを受け取る。そして、静流はそれ以上に震えていた。
(……創った……本当に……創った……! スキルで……調薬錬金術師のスキルで……あっさりと)
普段は絶対に崩れない静流の表情が、わずかに歪む。そこには、抑えるにおさえられない興奮、愉悦、狂気に近い研究者の本能、それらが一気に噴き上がった。
静流は後ろに控えていた秘書へ、息を呑むような声で命じた。
「……いまの映像をポーション研究班へ転送しなさい。秘匿開示は最大……」
言いかけて、静流はふっと笑った。
「……いえ、必要ないわね。これはミラージュリンクによって、限定とはいえ全世界に配信されているのですから」
秘書は、静流の次の一言を緊張した表情で待つ。
「開示は通常で結構。重要なのは速度。このスキルの謎をいち早く解明してこそ、九条の道は開かれる」
その声音は、財閥総帥としての冷徹さと、研究者としての狂気が混ざり合っていた。
「高い給料分……研究者たちにはしっかり働いてもらうわ。ふふっ、こんな解かり易い答えを先に出されているのですから、さぞかし研究のし甲斐があるでしょう」
秘書は震えながら深く頷いた。
夜景を背に立つ静流の姿は、まるで盤上のすべてを掌握する女帝そのものだった。
フェルマが上級ポーションをその場で精製した瞬間……静流の胸の奥で、研究者としての本能が完全に覚醒した。
(……これは……ただのユニークスキルではない……体系だわ)
静流は震える指で映像を止め、フェルマの手元の動き、光の揺らぎ、魔力波形を細かく解析し始めた。
秘書が息を呑む。静流は映像を何度も巻き戻し、フェルマの動作をフレーム単位で解析する。
(素材の魔力構造を瞬時に分解……抽出と精製を同時に……? いや、違う……並列処理している……?)
静流の瞳が鋭く光る。
(まるで……魔力演算装置。人間の脳では不可能な処理速度……スキルとは、魔術式を内蔵した生体演算機構……?)
研究班では到底辿り着けない仮説が、静流の中で次々と形を成していく。
(もしこのスキルの構造を解析できれば……人工ポーションの研究は、百年分進む)
静流の胸が熱くなる。
(……紫乃……本当に……この奇跡との出会いに感謝を)
静流は深く息を吸い、フェルマの姿を見つめた。
リュカ、カゲトラ、バルド。クラウ、ストレイ。
フェルマを除く五人の漢がどれほど優秀であろうと……静流の視界に映っているのは、ただひとり。
フェルマ。
(……この方だけは……どんな手段を使ってでも……絶対に九条に迎え入れる)
静流の瞳は、紫乃と同じ知の化身の光を宿していた。
(スキルの解析……魔力構造の分解……そして、人工ポーション研究の完成……)
静流は静かに微笑む。
「調薬錬金術師……あなたは、九条が求め続けた答えそのものよ」
夜景を背に立つ静流の姿は、まるで盤上のすべてを掌握する女帝そのものだった。
魔導投影には、紫乃が空の涙を瓶に受け止めた瞬間が映っている。その前に立つ静流の胸が、ぎゅっと締めつけられた。
透明な雫が瓶の中に落ちる……ただそれだけの動作。
次の瞬間、ぱぁぁぁぁ……っと、瓶の中の液体が虹色に輝き、まるで生命そのものが脈動するように光を放った。
静流の指先が、わずかに震えた。
(……本当に……完成した……? この……藍坂 空の涙で……エリクサーが……?)
画面の向う側で、紫乃が静かに呟く。
「……まずは一本、完成ですわ」
その言葉が、静流の胸に深く突き刺さった。
(……完成……した……九条財閥が何十年追い求めても届かなかった究極の奇跡が……今……目の前で……)
静流は思わず、机に手をついた。普段は絶対に見せない、呼吸の乱れ。
(乙女の涙……自然に流れた涙……感情の魔力……? 精神波動の結晶化……? いや、違う……もっと根源的な……)
思考が暴走する。研究者としての本能が、完全に覚醒していた。
(……あの方のスキル……素材の魔力構造を再定義している……? だから伝説級素材の代替が可能……? これは……魔術理論の根幹を覆す)
静流の胸が熱くなる。
静流は深く息を吸い、震える指先を押さえつけながら、魔導投影に映るフェルマを見つめた。
(……この方だけは……絶対に九条に迎え入れる)
その決意は、先ほどよりもさらに強く、鋭く、重い。
(エリクサー精製……乙女の涙……調薬錬金術師のスキル……すべてを解き明かすのは九条。そしてその中心に立つのは……紫乃、あなたよ)
静流はゆっくりと微笑んだ。
「九条の未来を導く、わたしの後継者……紫乃」
その声は、財閥総帥の冷徹さでも、母としての優しさでもなく……研究者としての純粋な歓喜だった。
魔導投影の前で、静流は息を呑んだ。それが何度目なのか、自分でももう数えられない……けれど、今のは間違いなく今日いちばんだった。
朱音の涙が瓶に落ちた瞬間……液体が七色を越え、白金の輝きを放ち始めた。
その光は、ただのエリクサーではない。生命の根源が形を成したような、神話の光。
静流の胸が、ぎゅっと締めつけられた。
(……なに……これ……? こんな輝き……見たことがない……!)
紫乃が静かに告げる。
「……二本目、完成ですわ」
その言葉が、静流の理性を一気に揺らした。
(調薬錬金術師のあの方すら驚いている……《真なる命泉》……? 伝承でしか語られない、魂の修復薬……若返り、再生、蘇生……そんなものが……乙女の涙で……?)
静流の指先が震えた。
(意味が……わからない……どうして……どうして乙女の涙なんて曖昧な素材で……こんな至高の薬が……?)
研究者としての常識が、音を立てて崩れていく。
(魔力構造の再定義……? 感情波動の結晶化……? 魂の共鳴……? どれも違う……どれも足りない……空と朱音での違いはなにを意味する?)
静流は胸に手を当てた。心臓が、痛いほどに脈打っている。
(なのに……なんて……美しい……こんな奇蹟……見たことがない……)
静流は、震える息を整えた。
(《真なる命泉》……乙女の涙で創れるなんて……そんな馬鹿げた話……でも……現実に起きている)
静流の瞳が、ゆっくりと細められる。
(……この奇蹟を……必ず解き明かす……九条の名にかけて……)
その決意は、財閥総帥としての冷徹さでも、母としての愛でもなく……研究者としての純粋な狂気と歓喜だった。
ユグドラシルの聖域で《真なる命泉》が完成し、雪が奇跡の帰還を果たした光景。
静流は、白金の光に包まれた雪の姿を見つめながら、ゆっくりと息を吐いた。
(……奇蹟の薬……魂の修復……そして、それを創り出した調薬錬金術師……)
視線は自然と、フェルマへと向かう。
(あのスキル……あの才能……世界中の組織が喉から手が出るほど欲しがるわね)
そして……最大のライバル、鏡宮財閥の総帥、鏡宮 美麗。
静流は、毒蛇が人の形をとったような美麗の姿を思い浮かべ、ふっと笑った。
(美麗……あの女のことだから、武力で六人を抑え込むなんて愚策は取らない……それだったら、どんなによかったか)
静流は椅子に背を預け、指先で机を軽く叩いた。
(絡め手……交渉、誘惑、契約、恩義……あらゆる手段を使って、六人を鏡宮に引き込もうとするはず)
特に、フェルマ。
(あの方の価値は、世界規模。鏡宮だけでなく、各国の軍事機関、医療機関、魔術研究機関……すべてが動く)
静流の瞳が鋭く光る。
(……でも、九条は、絶対に負けるつもりはないわ)
静流は、ゆっくりと指を組んだ。
(ならば……九条の本領、知略でいくしかない)
フェルマのスキル。エリクサー精製。乙女の涙という代替素材。
(この奇蹟を、科学的に、魔術的に、そして経済的に解き明かせるのは九条だけ)
静流は確信していた。
(鏡宮が絡め手で来るなら、九条は正攻法と裏の正攻法で迎え撃つ)
その唇が、ゆっくりと弧を描く。
(フェルマ……この御方は九条が求め続けた答えそのもの、美麗……あなたがどんな手を使おうと、この方だけは絶対に渡さない)
静流は立ち上がり、夜景を背に、魔導モニターを見上げる。
その瞳は、盤上のすべてを掌握する支配者のもの。そして……ゆっくりと、壮絶な笑みを浮かべた。
「……さぁ、鏡宮。漢たちを巡る争奪戦を、始めましょうか。調薬錬金術師は……九条がいただくわ」
その声は、静かで、甘く、そして底知れぬほど冷たい。
世界規模の漢争奪戦が、今まさに幕を開けようとしていた。




