第104話 奪わず、ただ受けとめる
紫乃は、六人の説明を聞き終え、フェルマへ視線を向けた。
「フェルマさま、下級か中級のポーションは……手元にありませんか?」
フェルマは申し訳なさそうに肩をすくめた。
「ご、ごめんなさい……在庫はないんです…… 特級も先ほど全部使っちゃいましたし……」
紫乃は「そうですか……」と残念そうに眉を下げた。
(エリクサーと特級は見せて頂きましたわ。ただし私も初見なだけあって、あれが、この世界のものと、どれだけの違いがあるのか推測のしようがありませんわ)
(下級でもいいから、彼が創った現物の出来映え、いか程のものか確認したかったですわね)
そんな紫乃の気持ちも知らず、フェルマは続けた。
「でも……上級ポーションくらいなら、今ある残った素材ですぐに創れますよ?」
紫乃の思考が、一瞬止まった。
(……上級? 上級ポーション……?それをすぐに創れる? しかも、それくらい? どれだけ……どれだけ規格外なの……!?)
紫乃のいるリバースアース世界では、ポーションはダンジョンのレアドロップでしか入手できず、中級ですら希少で高価。
上級は、伝説級で、国家レベルで管理する宝物。
九条財閥は人工ポーション研究を最優先に行っているが、残念ながら未だに成果は出ていない。
そんな常識が、フェルマの一言でひっくり返った。
「じゃ、じゃあ……創りますよっ、と」
フェルマは瓶を取り出すと左手に持ち、アイテムポーチから取り出した素材を右手に持つと、両手をそっと重ねた。
次の瞬間……ぱぁぁぁ……っ
淡い光がフェルマの手元から溢れ、空気が震える。
光が収まると、そこには……特級ポーションほどではないが、三色の輝きが交ざりあった上級ポーションが、完璧な形で生成されていた。
黒の回廊攻略時に持ち出した九条財閥の虎の子の上級ポーションを、何度も研究のために観察していた紫乃は、その輝きを見て言葉を失った。
「…………」
(な、なんなの……こんな簡単に当たり前のように上級ポーションを精製するなんて……しかも、見るからに九条家にあったものと輝きが違う)
無冠の灯のメンバーも息を呑む。
「フェルマ……すげぇ……」
「相変わらず規格外でござる……」
「……美しい……」
「これが……あいつのスキルの力」
紫乃は震える指を、ぐっとおさえ込みポーションを見つめた。
(……これ……九条財閥が何十年かけても到達できなかった領域……それを、この錬金術士は……スキル一つで……)
紫乃は静かに、しかし強く心に誓った。
(絶対に、この御方は手に入れる。どんな手段を使ってでも……九条財閥に迎え入れてみせる)
その瞳は、まさに知の化身と呼ばれる賢者のものだった。
紫乃はふと、空へ視線を向け、先ほど飛ばした観測ドローンが、ステルス機能で姿は見えないが、確かに旋回しているのを魔力波で確認した。
(……お母様も、きっとご覧になっているはず)
九条財閥の総帥……紫乃の母は、ポーション研究に人生を捧げた人物。
紫乃は、胸の奥が熱くなるのを感じた。
(今の映像……フェルマ様のスキル……お母様なら、きっと目を輝かせて観ていたはず)
霊薬精製。ポーションの鑑定、抽出、調合、精製をすべて一括で処理する、規格外のユニークスキル。
(もしかしたら……お母様なら、このスキルを科学的に紐解けるかもしれない)
紫乃の母……九条総帥は、ポーション研究に関しては狂気すら感じるほどの執念を持つ。
紫乃は小さく微笑んだ。
(あの人のポーションにかける執念は、並大抵のものではありませんもの……)
観測ドローンの魔力光が、紫乃の瞳に反射してきらりと揺れた。その光は、まるで希望そのもののように見えた。
フェルマが生成した上級ポーションは、光を帯びて、まるで宝石のように輝いていた。
紫乃は震える指先でそれを受け取り、さらにフェルマが差し出したエリクサー完成用の乙女の雫が入れば完成する瓶を二本、慎重に受け取った。
「……これが……乙女の涙を入れれば完成する……エリクサー……」
声は冷静。しかし、指はわずかに震えている。
(すごい……すごすぎる……! エリクサーが……本当に創れる……九条財閥の悲願の最終形態が……目の前に……)
内心は興奮で爆発寸前。しかし、賢者としての顔は崩さなかった。
「……フェルマさま、ありがとうございます。これで準備は整いましたわ」
紫乃は深呼吸し、無冠の灯の六人へ向き直った。
「あなた方は、この場で待機していてください。すぐに涙の入手方法を整えます」
その時……ストレイの横に、ふわりと影が寄り添った。
うたただった。
気がつけば、ストレイの袖をそっとつまんでいる。
細い華奢な指で、それでも、ぎゅ……と。
ストレイは一瞬で真っ赤になった。
「……っ……!」
耳まで真っ赤。眼鏡を押し上げる手が震えている。
そして、残りの無冠の灯のメンバーは、まるで見てはいけないものを見るかのように 全員が一斉に視線を逸らした。
リュカは空を見上げ、カゲトラは地面の石を数え、バルドは数珠を握りしめ、クラウは遠くの兵士を見つめ、フェルマはポーチの紐をいじり始めた。
(見れない……)
うたたは気づかないまま、ストレイの袖をぎゅっと握り続けている。
ストレイは、その小さな温もりに耐えきれず、そっと顔をそむけた。
「……っ……落ち着け……私は……魔術を……修めし者」
紫乃はその様子を横目で見ながら、内心でため息をついた。
(……本当にこの方たち、女性耐性がないのですね……でも……そこがまた……)
呆れと、ほんの少しの憧憬が混じった、複雑な感情が胸に広がった。
上級ポーションと、乙女の涙を入れるためのエリクサー用の瓶を二本……紫乃は慎重に抱え、静かに歩き出した。
向かう先は、少し離れた場所でこちらを見守っているインクラインの……空、風花、花恋、萌黄の四人。
彼女たちは、無冠の灯の六人が紫乃と話している間、ずっとこちらを気にしていた。
とはいえ、会話の内容までは聞こえていない。
しかし、紫乃がこちらへ歩いてくるのを見た瞬間、四人の表情が一気に引き締まった。
空が低く呟く。
「……来たわね。九条財閥のお嬢様」
風花は眉を寄せ、そっと風の精霊を呼び出した。
「冒険者パーティーとしてはライバル関係……それに、うちのオーナー(鏡宮財閥)とは犬猿の仲。この状況で警戒しないわけにはいかないよね」
花恋は唇を噛みしめ、紫乃の一挙手一投足を見逃すまいと目を細めた。
「紫乃先輩……なんで、こっちに来るの……?」
萌黄は不安そうに花恋の袖をつまむ。
「か、花恋たん……どうしよう……」
空は仲間たちを守るように前に立ち、紫乃をまっすぐ見据えた。
紫乃は、そんな四人の警戒を正面から受け止めながらも、表情は変えずに歩みを止めない。
(……まぁ、そうなるわよね。九条財閥と鏡宮財閥は犬猿の仲。その娘である私が近づけば、警戒されて当然)
しかし、紫乃の目的はただ一つ。巫女を救うための涙の入手。
そのために、ここに集っている女性陣の中で、まだ面識のあるインクラインの五人の力が必要だった。
紫乃は静かに息を整え、四人の前に立った。広場の空気が、ぴん、と張りつめる。
花恋は唇を噛み、萌黄は不安そうにそんな花恋の袖を握った。
そんな四人の前で、紫乃は令嬢らしい落ち着いた声で言った。
「ご安心なさいませ。こんな状況ですし、どうこうする気はありませんわ」
その声音は柔らかく、しかし芯のあるものだった。
紫乃は四人の中で、魔法専門校に在籍していた際の学友でもある藍坂 空へ視線を向け、続いてストレイの神聖拘束魔法で大人しくなっている、虚無の瞳をした雪だった者を見つめた。
「……あれは、本当に……白印の方である白銀坂 雪、本人ですの?」
その紫乃の言葉に空は、力なく、かすかに頷いた。
「……うん……あれが……雪くん……」
その声は震えていた。
空は雪だった者を見つめる。そこにいるのは、家族のように愛し、誰よりも大事に思っている者の面影はなく……虚無の空洞に支配されたまったく別人としか思えない者の貌。
「……どうして……雪くんが……あんな……」
ぽたり。
空の目から、涙がひと粒、こぼれ落ちた。
その瞬間……紫乃の手がすっと伸び、エリクサー用の瓶を、涙の軌道にそっと差し出した。
透明な雫が瓶の中に落ち、ぱぁぁぁ……っと、瓶の中の液体が、虹色の光を帯びて輝き始めた。
紫乃は静かに呟く。
「……まずは一本、完成ですわ」
空は驚きに目を見開き、インクラインの三人も何が起こったのかわからずに息を呑んだ。




