第103話 賢者が示す、最も優しい答え
リュカが風詠みのリュートを奏でると、結界が一陣の突風を残して霧散した。
その瞬間……広場にいた全員の視線が、一斉に無冠の灯へ注がれる。
鏡宮の私設兵団であるライン、ミラーの合計六十名の女性兵士が、期待と緊張を宿した目で彼らを見つめている。
さらに、ルーセント、レイン、四戒仙の四人、五星姫の五人、そしてインクラインの気を失っている朱音を除く四人のそうそうたるメンバー達も、息を呑んで無冠の灯を見つめていた。
その視線の圧は、まるで巨大な滝から流れ落ちる爆流のように、彼らに重くのしかかってきた。
「……な、なんか……すごい見られてるな……」
リュカが小声で呟く。
「拙者、胃が痛くなってきたでござる……」
カゲトラは背筋を伸ばし、バルドは数珠を握りしめ、静かに深呼吸をした。
クラウは苦笑しながら呟く。
「……まぁ、そりゃそうだよな。巫女様の命がかかってるんだし……みんな、俺たちに期待してるんだ」
女性陣の視線は、不安と希望が入り混じった、真剣そのもののまなざし。
どうか、巫女様……御子様を救ってほしい。そんな祈りが、言葉にせずとも伝わってくる。
無冠の灯のメンバーは、その重さに臆しながらも、ゆっくりと歩き出した。
向かう先は、魔導ドローンを展開し、空中に複雑な魔法陣を浮かべている紫乃のもと。
紫乃は、まるで世界の流れそのものを解析しているかのように、静かで鋭い眼差しをドローンへ向けていた。
その姿は、まさに知の化身と呼ばれる賢者そのもの。
クラウが小声で呟く。
「……よし。紫乃様に相談しよう。きっと、道を示してくれる」
六人は互いに頷き合い、女性陣の期待を背に、紫乃のもとへと歩みを進めた。
風の結界が解け、広場中の視線が無冠の灯へ注がれる中……六人の男たちは、まっすぐ紫乃のもとへ歩を進める。
その真剣な顔つきと、六人もの男の圧が一気に迫ってくるのを見て、紫乃は内心で思わず震えた。
(ちょ、ちょっと待って……六人全員が真顔でわたくしの所に何しに来るの?……そ、それに圧が強すぎませんか……!?)
男達の表情は冗談が一切通じない焦りと決意が混ざった、切迫した顔。
紫乃はすぐに悟った。
(……エリクサー精製に、何か問題が起きたのですね)
クラウが口を開きかけた、その瞬間、紫乃は先に言葉を発した。
「……なにか、エリクサーを精製するのに不都合が生じましたの?」
その一言に、無冠の灯の六人は目を見開いた。
「さすが賢者様!!」
「知の化身!!」
「話が早い!」
「察しが良すぎる……!」
リュカ、カゲトラ、バルドは感動し、クラウは「やっぱり頼りになるな……」と呟き、フェルマは目を輝かせ、ストレイは静かに頷いた。
紫乃は内心で(今の状況では、それしかないでしょうに……褒めすぎよね?)と思いながらも、表情は落ち着いたまま、六人を見つめ返した。
「……では、詳しく聞かせてくださいな」
その声は、まさに知の化身と呼ばれる賢者のものだった。
フェルマが、腰元のポーチをぎゅっと握りしめながら前に出た。
「えっと……その……ぼくのユニークスキル、《霊薬精製》のことで……」
紫乃は興味深そうに目を細めた。
「霊薬精製……?」
フェルマはこくりと頷き、少し恥ずかしそうに説明を続けた。
「ぼくのスキルは……ポーション系統の薬品を自在に調合できるスキルなんです。薬草の鑑定も、成分の抽出も、調合も、精製も……ぜんぶ一括で処理できます」
紫乃の瞳が、わずかに見開かれる。
「…………一括ですって?」
「そうです。だから、素材さえ揃えば……最後の一滴を混ぜるだけで、すぐにエリクサーは完成します」
その説明を聞いた瞬間……人工ポーション製作を研究している紫乃の本能が、音を立てて目を覚ました。
「……ポーション精製を、スキルで……行う?」
紫乃は思わず息を呑んだ。
「道理で……どれだけ研究しても人工的に創れなかったわけだわ」
九条財閥が長年追い求めてきた悲願……人工ポーションの製造。その核心が、目の前の調薬錬金術士のスキルにあったのだ。
紫乃は、まるでダンジョンの奥底から、類い稀なるアーティファクトを探し当てたかのような目でフェルマを見つめた。
「……あなたのスキル、本当に興味深いわね」
フェルマは、紫乃から漏れだした不穏な気配に、まるで気づくことなく、照れくさそうに笑った。
「えへへ……」
そして、無冠の灯のメンバー達も、紫乃の反応に単純に感嘆の声を再び上げた。
「さすが賢者様!」
「理解が早い!」
「話が通じるって素晴らしい……」
紫乃は苦笑しながらも、すでに頭の中で状況を整理し終わっていた。そして、フェルマのスキル説明を聞き終えた紫乃は、すぐに本題へと踏み込んだ。
「……では、エリクサー精製に必要な最後の素材とは?」
クラウが深刻な表情で答える。
「星の吐息、月の雫、古の森の大精霊の核……そのどれかが必要なんです」
紫乃の眉がぴくりと跳ねた。
「…………は?」
リュカが肩をすくめる。
「いや、俺たちも、前にどうにかして月の雫を手に入れたけど、それは苦労して手に入れた伝説級の素材なんだよな……」
カゲトラも若干青ざめながら頷く。
「拙者、あれがもう一度、手に入る気がしないでござる……」
バルドは静かに目を閉じた。
「……星の吐息など、存在するかどうかすら怪しい……」
紫乃は腕を組み、深く息を吐いた。
「……私の知識でも聞いたことがない、レア素材……それらが、すぐに手に入るわけがないわ。下手をすれば、一生かけても無理よ」
その場の空気が、ずしりと重く沈んだ。エリクサーの精製は絶望的。誰もがそう思った、その時、フェルマが、おずおずと切りだした。
「あ、あの……乙女の涙でも代替できるんです……」
紫乃の目が大きく見開かれた。
「…………え?」
フェルマはこくりと頷く。
「そう。乙女が自然に流す涙が一滴あれば……エリクサーは完成します」
次の瞬間……紫乃の声が、見事にひっくり返った。
「えっ……!? 乙女の涙!?」
無冠の灯の六人は、その反応に思わず背筋を伸ばした。
「さ、さすが賢者様でも驚くんだな……」
「声、裏返ったでござる……」
「紫乃様でも予想外だったか……」
紫乃は咳払いをして、なんとか表情を整えた。
「……い、いえ。その……代替え可能な素材が、あまりにも予想外で……」
その瞳には、抑えきれない歓喜の光が宿っていた。伝説級素材の代わりが、この世界では当たり前のように存在する乙女の涙で済む……その事実に気づいた瞬間、胸の奥で弾けた喜びが、隠しきれずに輝く笑顔となって、あふれ出していた。
フェルマは、紫乃の前で小瓶を握りしめながら説明を続けた。
「えっと……乙女の涙でも代替できるんですけど、作為的に流させた涙では意味がないんです。想いを宿し、自然に流れた涙じゃないと、素材としての価値がありません」
紫乃は静かに頷いた。
「……なるほど。つまり意図して泣かせたものは、素材として使えないと、自然に涙がこぼれる状況でなければならないのね」
その条件をいま一度確認した無冠の灯のメンバーは、そろって頭を抱えた。
「そんなレア素材、どうやって手に入れるんだよ……」
リュカが天を仰ぐ。
「拙者、女性を泣かせるなど……考えるだけで胃が痛いでござる……」
戦闘では、あんなに頼りになるカゲトラは、自信なさげにうつむく。
「……自然に涙を流す状況……どうすればいいのか、まったく分からん……」
バルドは深くため息をつき、クラウも肩を落とす。
「……俺たち、女性と接したことなどなかったんだぞ……自然な涙なんて、どうやって……」
六人の嘆きは、どこか純粋で、どこか不器用で、紫乃の胸にじんわり響いた。
(……本当にこの人たち、男性だけの国で育ってきたのね)
(呆れるような……でも、どこか憧れるような……そんな純粋さだわ)
紫乃は小さく息を吐き、六人を見渡した。そして……静かに、しかし自信に満ちた声で言い放った。
「それは、いたって簡単なことですわ」
無冠の灯の六人は、同時に目を見開いた。
「えっ…………!?」
紫乃の一言は、まるで水面に落ちた雫が波紋を広げるように、場の空気をかえた。




