第2話 「狩人」
暖かな日差しが木々の隙間から差し込み、爽やかな風が通り抜ける。小鳥のさえずりが響く森を、カイルはリュックを背負って一人歩いていた。
家を出発してから三日が経っていた。二日目までは見知った山道を野宿しながら、順調に歩き進めた。しかし今日からは、見知らぬ森を進まなければならない。
朝から歩き続け、太陽は真上を過ぎていた。今、カイルの目の前には、五枚の真っ赤な花びらをつけた、かわいらしい花が七輪咲いていた。その場で足を止めた。
「あれ?さっきもここ、通ったような…」
辺りをキョロキョロと見回した。なんだか見覚えがある。
「……もしかして、迷った?」
カイルが花の前で立ち止まり、辺りを見渡す数分前――
狩人は木の上から弓を構え、獲物に狙いを定めていた。息を止め、弓を引こうとした瞬間、獲物は突然顔を上げ、駆け出した。狩人は息を吐き出し、弓を下ろした。
――なぜ、突然逃げた。
狩人は枝から飛び降り、先ほどまで獲物がいた場所へ向かった。すると、すぐそばから草を踏む音が聞こえてきた。狩人は足を止め、木の陰に身を潜めた。
そして、狩人が見つめる先に同い年くらいの青年が現れた。
――人がいたのか。冒険者か?
森のこんな奥にまで人が入ってくることは滅多にない。普段からこの辺りで狩りをしているが、他人を見かけたのは初めてだった。
狩人はこの青年がどこに向かうのか興味が湧き、後をつけることにした。
青年の少し後ろを足音を立てないよう注意しながら追った。しばらくして、あることに気づいた。
――あいつ、同じ所をぐるぐる回っている。
すると、青年は花の前で立ち止まり、辺りを見回した。狩人は木陰に身を潜め、息を殺した。青年がこちらを振り向く様子はない。尾行に気づいたわけではないようだ。
「……もしかして、迷った?」
という声が風に乗って聞こえてきた。
カイルは立ち止まって腕を組み、どちらに進むか考えていた。
――こっちはさっきまでと同じ方向だよね。
先ほどまで歩いていた道とは別方向に進むことにした。
カイルが真っ直ぐにしばらく歩き続けていると、太陽は木々に遮られ、辺りはだんだん薄暗くなっていった。
すると、目の前に倒れた巨木が現れた。迷うことなく、巨木を跨いで越えた。
「待て!」
後ろから声がしたと思ったのと同時に、茂みが大きく揺れ、巨大な影が飛び出した。カイルの背丈を優に超える、熊によく似た魔物だった。黒い剛毛に覆われた巨体。前脚には、鋭い爪が伸びている。
魔物は大きな唸り声を上げ、前脚を振るった。カイルは咄嗟に横に飛んだ。しかし、避けきれず、鋭い爪が肩を掠めた。
「っ!」
カイルは剣を抜き、魔物と向かい合った。
狩人は制止の声を上げたが、青年は巨木を越えてしまった。そして今、魔物と向き合っている。
狩人は木を駆け登り、枝の上から弓を引き絞る。狙いを定め、息を止めた。そして矢を放った。放たれた矢は狙い通りに真っ直ぐ飛び、魔物の片目に突き刺さった。
「グォォォッ!」
耳をつんざく雄叫びを上げ、魔物が仰け反る。
「今!」
カイルは地面を蹴った。魔物との距離を一気に詰め、力いっぱい剣を振り抜く。刃が魔物の胴を斬り裂いた。
魔物は血を噴き出しながら、前脚をめちゃくちゃに振り回した。カイルは後ろへ飛び退き、迫る爪をかわす。やがて魔物の動きが鈍り、雄叫びも途切れた。巨体が地面へ倒れ込んだ。巻き起こった風が、カイルの髪をふわりと揺らした。
カイルは肩で息をして、剣に付いた血を拭い、鞘に収めた。
「…これが、冒険」
微かに震える手をギュッと握った。
「この辺りはこの魔物の縄張りなんだ」
どこからか声がした。カイルが肩をビクつかせ、辺りを見渡した。すると、すぐそばの木の上から人影が飛び降りてきた。
「うわ!びっくりした…!」
明るい茶色の髪を一つにまとめた、自分より少し年下に見える少年だった。
「もしかして、さっきの矢って君が?」
少年は頷いた。
「ありがとう!おかげで助かったよ!」
「それよりお前、さっさとその傷を手当てしろ」
カイルの肩を指さした。魔物の爪が掠めた部分が赤く染まっている。
「あ、ほんとだ。全然気づかなかった」
リュックから薬と包帯を取り出した。肩を出し、診てみると傷口は浅いようだ。カイルは血をふき取り、薬を塗り、包帯を手に固まった。
「……肩ってどうやって包帯巻けばいいんだ?」
少年はその様子を見て、カイルから包帯を取り上げた。
「お前、さっきから同じ所を歩き回っていたな。どこに向かうつもりだったんだ?」
包帯を巻きながら尋ねた。
「やっぱり迷子になってたんだ…。それを知ってるってことは、オレの後をつけてたの?」
少年は頷いた。
「教えてくれてもよかったのに!」
「ここまで来る人間が迷子だとは思わないだろう。…で、目的地は?」
「…言い返せない……。水の街に行くつもり」
「水の街?」
包帯を巻いていた手が止まった。
「うん、そうだよ」
少年は呆れたように大きなため息をついた。
「……こっちじゃないぞ。水の街はここから反対方向だ」
「え、そうなの…?は、はじめての旅だから間違えちゃった!教えてくれてありがとう!」
カイルは少し頬を赤らめ、それからおとなしく、包帯を巻かれていた。
「よし、これでいいだろう」
少年は包帯を巻き終わった。カイルは肩を軽く動かしてみた。包帯は緩むことなく、きれいに巻かれていた。
「水の街はこの方向に歩いて三日ほどだ」
水の街への方向を指差し、カイルのリュックをチラリと見た。
「途中に小さな町がある。……その荷物じゃ足りないだろうから、そこで準備していけ」
「何から何までありがとう!本当に助かったよ!」
カイルはリュックを背負い、少年が指さした方に歩き出した。何度も振り返り、手を振っていた。カイルが見えなくなると、少年は反対方向へ足を向けた。
数分後、少年の歩く道の脇から葉を踏む音が聞こえてきた。
「あれ?」
木の陰からカイルが顔を出した。少年と目が合った。
「………」
「ま、また会ったね…!」
カイルは気まずそうに眉を下げ、手を上げた。
「……水の街はこっちだ。ついて来い」
少年はため息をついて、理解できないというように眉をひそめた。
「もしかして、一緒に来てくれるの?ありがとう!オレはカイル。君は?」
「…リト。お前、よくそんな方向音痴で冒険しようと思ったな…」
二人は並んで山を下りた。




