形から入る青春は、意外とお高くつくお話
「じゃじゃーん! どうですか先輩、似合いますか!?」入部翌日。
私、浜名唯香は、部室のコタツの前でくるりと一回転してみせた。ネット通販で急いで買った、白の作業用ツナギ。
サイズが少し大きくて袖をまくっているけれど、本人は完全に「プロのレーシングエンジニア」になった気分で胸を張っている。
「あら、とっても可愛いわよ、浜名さん。白は汚れが目立つから、すぐ真っ黒になりそうだけど」佐鳴紬先輩が紅茶を注ぎながら、お母さんのような優しい目で見守ってくれる。
「フッ、ツナギだけでは半人前。エンジニアの魂は、その手に握る『工具』に宿るのです!」城北凛先輩が、自分のツナギのポケットから、使い込まれた10ミリのコンビネーションレンチをシャキーンと抜いた。「学生フォーミュラは自分たちの工具でマシンを組み上げるのがルール。さあ、今からみんなで工具を買いに行きますよ!」「お買い物ですか!? 行きます行きます!」私は目を輝かせた。向かった先は、キャンパスから少し走った場所にある日本最大の大型カー用品チェーン、『オートベックス(AUTOBEX)』。店内に入った瞬間、私は天井まで届きそうな棚に並ぶ、無数のパーツや工具の山に圧倒された。香る芳香剤の匂い、ズラリと並ぶレーシングシート。「すごーい! 車のデパートですね!」「ふふ、ここなら何でも揃うわ」紬先輩がプロのバイヤーのような鋭い目でコーナーを見渡す。「さあ、浜名さん。まずは基本のセットを選びましょう。モノ作りにおいて、道具の妥協は感性の妥協よ」中田沙織先輩が棚から一つの赤いスチール箱を指さした。「まずはソケットレンチのセット、コンビネーションレンチ、ドライバー、あとはプライヤー類ですね。サスペンションの調整にも必須の基本工具です」「なるほどなるほど! これがあれば、私もあの鉄パイプくんをいじれるんですね!」私は嬉々として、棚にあるおすすめ工具セットのプライスタグを見た。『スターター工具セット:¥24,800』「に、にまんよんせん……」私の笑顔がピキッと固まる。仕送りで暮らす普通の女子大生の財布には、これだけでもなかなかの大金だ。「甘いですよ、浜名さん」凛先輩が、フッと不敵な笑みを浮かべた。「私たちがこれから挑むのは、時速100キロを超えるレーシングカーの組み立てです。安物の工具でボルトの頭をナメたら、最悪の場合、律子がコースの壁に突き刺さってバラバラになります」「ええっ!? 律子ちゃんがバラバラに!?」沙織先輩がメガネをクイと上げる。「そうですね。安全性を担保するなら、精度が高いブランド工具を揃えるべきです。日本の『KTC』、あるいは……」「あるいは、世界最高峰のアメリカ製『スナップオン(Snap-on)』か、ドイツの『スタビレー(STAHLWILLE)』ですわね!」紬先輩が、待ってましたとばかりにカタログを広げた。「見てちょうだい、このラチェットレンチの官能的なまでの梨地仕上げ。美しいわ。セットで、そうね、お安くて15万円からかしら」「じゅ、じゅうごまん……っ!?」私の目の前がクラクラした。お洋服を作る以前に、道具を揃えるだけで破産してしまう。「さらに!」凛先輩が電卓をバチバチ叩きながら、冷徹な現実を突きつける。「学生フォーミュラのレギュレーションで定められた、安全基準に適合する『レーシングヘルメット(4万円)』『4輪用レーシングスーツ(5万円)』『耐火グローブ&シューズ(3万円)』……。これらはピットに入る全員に購入義務があります」「あの……合計で、にじゅうごまんえん……? え、部活を始めるだけで、こんなにお金かかるの……!?」電卓に表示された合計金額を見た私は、ガクガクと膝を震わせた。「うう、私、やっぱり入部取り消しに――」涙目で絶望する私。その時、店内のパーテーションの奥から、高級そうなスーツを着た壮年の男性――ここの店長さんが、なぜかもの凄い勢いでこちらへ走ってきた。「つ、紬お嬢様!! お忍びでどちらへ行かれたかと思えば、まさかうちの浜松城北店へお越しいただいているとは!」「あら、店長。お仕事中にごめんなさいね。ちょっと部活の買い出しに」そう。実はこの巨大チェーン『オートベックス』は、紬先輩の父親が経営する会社だったのだ。紬先輩は優雅に微笑み、呆然とする私の肩をパシッと抱き寄せた。「ちょうどよかったわ。店長、こちらの浜名唯香さんなんだけど……明日からここのピットで、アルバイトとして雇って差し上げて?」「ええっ!? わ、私がですか!?」私の目が点になる。「な、お嬢様のご紹介とあれば喜んで! ですが、ピットクルーは現在、経験者のみの募集でして……」店長さんが冷や汗を流しながら恐縮する。しかし、紬先輩の目がキランと光った。彼女の周囲の空気が一瞬で歪み、圧倒的なカリスマのオーラ――『現実歪曲空間』が広がる。「店長。我が『オートベックス』の理念は何だったかしら? 『車を愛するすべての人に、最高の技術と感動を』でしょう? 彼女は未来の天才カーデザイナーよ。未経験だからと可能性を潰すのは、我が社のイノベーション精神に反すると思わない?」「う、仰る通りです……!」「それにね」紬先輩は店長さんの耳元で、フッと悪魔的な笑みを浮かべて囁いた。「彼女を雇ってくれたら、今度の役員会議で、お父様に『浜松城北店は地域密着の素晴らしい経営をしている』って、私からおねねだり(プレゼン)しておいてあげるわ」「採用決定です!!! 明日から時給1200円、お嬢様特権で『スタッフ割引5割引』を適用します!!!」店長さんはビシッと敬礼した。「ご、ご割引ィイイイイ!!? 工具もヘルメットも半額ですか!!?」凛先輩の目の色が変わった。「さすが紬、圧倒的なトップダウン交渉術……! 浜名さん、今すぐ雇用契約書にサインするのです! 現地・現物・現認の精神で、オートベックスのピットの裏側から、最新のケミカルの知識を合法的に学びなさい!」「ええええっ!? ちょっと待ってください先輩、私、車の免許もまだ持ってないのに、オートベックスのピットでバイトなんて無理ですよぅ!」ずるずるとピットの事務所へと連行されていく私。こうして、知識ゼロの天然少女は、学生フォーミュラ部のカウル設計を始めると同時に、オートベックスのピットでプロの整備士のおじちゃんたちに揉まれながら「タイヤ交換やオイルまみれのアルバイト生活」をスタートさせる羽目になるのだった。




