15話:見慣れた顔
湾中村山笹錦一ノ瀬。
これは蒼が異世界転生した時に名乗ろうと思っている名前だ。
人生何が起きるか分からない。10歳の頃の蒼は真剣に考えていた。その頃からライトノベルは履修済み。
少女に声をかけられて緊張した蒼。
緊張で堂々めぐりとなった思考は、ニアミスで正解に辿り着けなかった。
名前を聞かれているのだから、まずは名前を答えるべき。そこまでは良かった。そこで来世での名前を出してしまったのが失敗。
湾中村山笹錦一ノ瀬です。そう言った直後に脳内で「違う! そっちじゃない!」との修正は入ったものの、時すでに遅し。
一度名乗った湾中村山笹錦一ノ瀬を撤回する勇気もなく、かといって湾中村山笹錦一ノ瀬として接する図太さもなかった蒼は、逃げるように帰宅したのであった。
帰宅した蒼は、シャワーを浴び、お風呂上がりのアイスを食べながら録画していたアニメを見た後、布団に包まってひとり反省会を始めた。
ダンジョンで話しかけられるなんて思わなかった。パーティに誘われるなんて思わなかった。急に自己紹介をするタイミングが来るなんて。
言い訳のような言葉がぐるぐると脳内でとぐろを巻く。
あの時ちゃんと自己紹介できていたら友達になれたのかな。自己紹介ってほどじゃなくても、名前くらい言えるようにしておけばよかった。
湾中村山笹錦一ノ瀬なんて名乗ってしまったせいで、次あったとしてもまともに相手してもらえるかどうか……。
逃してしまった友達作りのチャンス。次に来た時逃さぬために、思い立ったら即行動。
洗面所まで行き、鏡の前で「私は蒼です」を繰り返す。その様は気が触れたかの如し。
帰宅した弟が洗面所に入る。その場には鏡に名乗る怪しき姉。
回れ右して、キッチンの水場での手洗いうがいに予定を変更する。
§
教科書を詰めたリュックを背負って帰宅した蒼。
本日の学校は教科書を配っただけで終了。
レッツダンジョン。
今日蒼が潜るのは、ゴブリンダンジョン。
前回潜ったゴーレムダンジョンは人が多かった。そのため今日はゴブリンダンジョンに行く。
何よりも、湾中村山笹錦一ノ瀬と名乗ってしまったあの少女と出会うと非常に気まずくなりそうだから、しばらくゴーレムダンジョンに行くことは無いだろう。
せっかくパーティに誘ってくれたのに、変な名前だけ言って逃げてきてしまった。
そのことだけでも謝りたいと思っている気持ちに嘘はない。ただ、もう少し人とコミュニケーションを取れるようになってから謝りに行くつもりだ。
受付嬢の元に行き、免許を提示。ついでに、昨日練習した通りに「蒼です」と名乗っておく。
一週間近く通って慣れてきたのか、蒼は受付嬢飯島と比較的自然に会話ができている。
いつ来てもこのダンジョンには人がいないなあ。
会話をしつつ建物内を見渡す。
いつもより距離感の近い蒼に、飯島は懐かれたのかと嬉しそう。
スムーズに会話ができたので、あっさりと作業が終わる。
飯島がいってらっしゃいと声をかけると、行ってきますと言って去っていった。
ダンジョンに入った蒼は、ナイフを構えつつ考える。
さっき受付嬢のお姉さんとちゃんと会話できてたな。人見知りを克服してきているのかも。
ダンジョンでモンスターをいっぱい倒しているし、学校でも隣の席の子に話しかけることはできたし、人として成長している!
ダンジョンに人の気配はない。今まさに人気のダンジョンと過疎っているダンジョンの差を感じた。
人もいないし、ゴブリンと出会うまで時間をかけるのも勿体ない。
転移を繰り返して移動しようとも思ったが、酔うのは嫌なのでやめておく。
走ればいいじゃないかと駆け出す。
上がった身体能力をフルに活用したランニングは、以前とは比べ物にならない速度が出た。
しかしそれでも転移連発の方が速そうだと感じる。
酔うのとバランスを崩すのと直線移動しかできないのに目を瞑れば、最高の移動方法だ。
最初はただ走ってゴブリンを探していたものの、2体ほど屠ったところで移動に転移を挟むことにした。
数秒走って一回転移。それを何度も繰り返す。
隙間なく転移を並べてしまうとバランスを崩して転んでしまうが、転移と転移の間にバランスを取る時間を用意することで転ばずに走れる。
転移を使えて楽しいので、普通に走った方が速いとかは言ってはいけない。
足が地面を蹴る、蹴る、蹴る。一瞬の空白。足がふたたび地面を捉える。
最初はバランスを取るのに苦労していたが、だんだんと慣れてきて一度の転移なら意に介さず動けるようになってきた。
とは言ってもできるようになってきたのは1mmの転移だけだ。試しに10mm転移してみると盛大に転んでしまう。その後に直立状態から試したが、それでもバランスを取るのは難しい。走りながら使うとなると、2、3mmの転移でも厳しくなる。
蒼はこれから、1mmの転移をメインとして使うことを決めた。1mm転移したところで何ができるのかという話ではあるが。




