16.中庭にて
サブリナとチカーシュは昼下がりの中庭をそぞろ歩いていた。
「俺たちが力になれることはほとんどないな」
チカーシュの言葉通り、竜化の調査はオリービア伯爵とカークに任せきりだ。
「クレイに『調査を進めておく』って宣言したのにな」
サブリナは無意識のうちにため息をついた。
クレイが今どこで何をしているのかは分からない。本人が言わなかったのだから、誰かに聞いても答えてもらえないだろう。
チカーシュも、騎士として主人に付き従えていない現状には少しいじけていた。だからこうしてサブリナの気晴らしの散歩にもよく付き合っている。
ふたりはそれぞれにやりきれない思いをかかえながら、これからのことを考える。考えたところで、クレイと話さなければ決められることはない。
のどかな庭を眺めていると、チカーシュが何かに反応するように振り返った。さりげなくサブリナを護る態勢をとり、気配を注意深く探る。
ややあって、ズカズカと二人に近づいて来たのは、見慣れない若い男だった。身なりからして貴族だろう。ツンと高い鼻と吊り上がった眉が不遜な印象を与える。赤い翼は立派だった。
サブリナは慌てて礼をとった。ユーグラスの王宮に招かれる前にクレイに教わった作法なので、間違いではないだろう。チカーシュは護衛らしくサブリナの背後に身を引いた。
「君が噂の客人か。クレイ殿下の」
軽薄で笑みを含んだ口調は快いものではなかったが、サブリナは努めて微笑みを浮かべた。
「ユーグラスから参りました、サブリナと申します。お目にかかれて光栄です」
本来ならば、相手が挨拶を返すところだ。貴族の男は、礼も握手もしなかった。値踏みするように、無遠慮な視線をぶつけてくる。
サブリナは王宮で用意されたワンピースを纏っていた。いつまでも旅装で、しかも男装でいるわけにはいかなかったからだ。ワンピースはシンプルだが質が良く、平民には手の届かない代物だ。伸びかけの短髪が不釣り合いに思えて、サブリナは少しいたたまれない。
貴族の男は、嘲笑うように鼻を鳴らした。
「殿下は少々趣味が悪……いえ、特殊なようだ」
反応したのはチカーシュだった。
「失礼ですが」
「おい!護衛ごときが私に話しかけるな。黙ってろよ」
威圧されてもチカーシュは黙るつもりはなかった。騎士になるために取り払った爵位だが、サブリナを護るためならば実家の権威を笠に着ても構わない。
しかし、声を発する前に当のサブリナに止められた。貴族の男から顔を逸らさないまま、チカーシュを諌めるように腕を横に出している。その横顔を覗き見ると、いっそ慈愛すら感じられるほど穏やかな笑みを浮かべていた。
黙って笑うサブリナに、貴族の男は満足したように声を高くした。
「ははあ。人間の女は股だけでなく脳みそまで緩いのか。侮辱されたことすら理解できないとは」
チカーシュはカッと頭に血が上った。しかし開いた口から暴言が出る前に、またもサブリナに阻まれた。
「貴殿の言葉は、理解に値しない」
サブリナは表情ひとつ変えず、ぴしゃりと言い切った。毅然とした女性の声だった。真っ直ぐな澄んだ視線は、傲慢で下品な男にとっては居心地の悪いものだろう。
「……ちっ。女は従順にしておけばいいものを。もうひとりの女の方がよほど楽しめそうだったな。騎士に胸は邪魔だろう?そっちのチビといい、ユーグラスの騎士団はずいぶんとお気楽らしい」
なおも言い募る男に、サブリナの表情から一切の感情が消えた。隣にいたチカーシュが息を呑むほどだった。
男は空気の変化に気づかず、さらに捲し立てる。唾が飛ぶ。
「お前たちのような者を神聖なる竜の国に招くなんて、クレイ殿下の慧眼も曇られたようだ。おまけに犯罪者まで連れて帰る始末。あの裏切り者の恥知らずが、生き汚くもーーー」
「ーーー足を」
男の言葉を遮ったのは、サブリナの低い声だった。睨みつけるような視線に気づいた男は、たじろぐように身を固くした。
「上げていただけますか。苗木を踏んでいますよ」
予想外の指摘に、男は思わず片足を上げ、自分の足元を見た。
次の瞬間、男は何かに足を取られたようにバランスを崩し、無様に尻もちをついた。状況がわからず、目を白黒させている。
「ーーーっな、」
「大丈夫ですか?」
地面に手をついた男は顔を上げた。サブリナは、男に向かって一歩近寄った。男を見下ろして、全ての感情を押し殺して笑みを作った。
「お怪我をされたようならば、救護を呼びましょうか」
男は得体の知れないものを見る目でサブリナを見上げていたが、憤然と立ち上がると、「結構だ!」と叫んで逃げるように去っていった。
後に残ったのは、変わらずのどかな中庭の風景だ。
チカーシュは大きく息を吐いた。
「……サブリナ」
サブリナは、男を転ばせた糸を手繰り寄せた。サーカス団で教わった得意技だ。
男は何をされたかも分かっていないだろう。しかしチカーシュの反射神経ではサブリナのいたずらを正確に捉えているに違いない。
「ごめん、つい」
誤魔化すようにヘラヘラと笑う。怒られるのを怖がる子供のようで、さきほどの冷たい笑顔とはまるで違った。
チカーシュは呆れたように笑って首を横に振った。到底、彼女を怒る気にはなれない。
「いや、すっきりしたよ。ありがとう」
おそらく彼女は、自分自身ではなく友人たちが嘲られたから怒ったのだ。それが分かるから、チカーシュはサブリナの肩を叩いて労った。
サブリナは嬉しそうに笑ったあと、歯噛みするように言った。
「みんなの名誉を守りたかったのに、反論できなかった」
充分守ってくれたよ、と言ってもサブリナは納得しないだろう。チカーシュが何と返せばよいか迷っていると、男が去ったのとは逆側から声がかけられた。
「それでいいんですよ」
現れたのは、超有能官僚ことサリーだった。
「い、いつからいらっしゃいましたか……?」
サブリナは動揺して挨拶もできなかった。チカーシュは気配には気づいていたが、会話が聴こえる距離に居るとは思わなかった。竜人は聴力も優れているのか。
サリーはサブリナの質問には答えない代わりに、にっこりと笑った。
「サブリナ嬢はかっこいいですね」
はじめから全て見ていたということだろう。
「う、無礼だったと反省しています……」
サブリナは青ざめたが、チカーシュには、サリーの言葉が素直な賛辞に聞こえた。ここでおだてても彼に得がない。
サリーは何かを見据えるようにゆったりと歩き、サブリナの正面に立った。
「もし調査の人手が足りているなら、この隙にウォールートの歴史や竜人の文化を学びませんか?私が教えます」
願ってもない言葉だった。自分ひとりで本を読んで学ぶのは難しいと諦めていたのだ。サブリナは二つ返事で頷いた。
「よろしくお願いします、サリー先生!」
サリーは満更でもなさそうに口角を上げた。
なぜかチカーシュは冷や汗をかいた。この超有能官僚は無意味な提案はしないだろう。何かひとつの思惑が動き出したのかもしれない。
無邪気に喜ぶサブリナに水を差さないよう、チカーシュはこっそり胃をさすった。




