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15.それから

 夢を見た。

 美しい竜が飛び立って行く夢だ。

 私は手を伸ばす。高く高く昇っていく竜には、到底届くはずもない。それなのに、いつまでも手を伸ばしていた。

 二の腕に血が溜まって重い。じんじんと痺れるほどになっても、腕を下ろせないでいた。


 サブリナは、腕に重さを感じたまま目を覚ました。何度か瞬く。窓には月明かりが差し込んでいる。

 それにしても腕が痺れる、と左腕を見ると、抱えられるくらいのサイズになった竜姿のクレイがいた。サブリナの腕を枕にして、すやすやと眠っている。

 なぜここに?確か、昨日のクレイは一日中駆り出されていたようで、会えないままだった。

 薄闇に慣れてきた目で、しげしげと眺める。竜状態では、脚の傷は鱗に覆われて分からない。ふと、この姿はクレイ自身の望みなのではないか、と脈絡もなく思ってしまった。

 彼にはもう鎖はない。走ることは難しくても、その翼ならどこまでも飛んで行ける。

「それでも……私はーーー」

 ほとんど無意識で呟いて、抱きしめるように小さな翼に唇を寄せた。


「おはよう、サブリナ」

 再び目覚めたとき、目の前にはクレイがいた。窓から溢れるぼんやりとした光で、夜明けが近いことを知った。

「あれ……おはよ、う?」

 竜ではなく人の姿だ。サブリナはクレイの腕の中にすっぽりと納められていた。

「……そういう顔、初めて見ました」

 クレイは間近でサブリナの表情を堪能した。いつも凛々しい彼女だが、ほんのり頬が赤い。サブリナは両手で顔を覆った。

「……なんとなく、恥ずかしくて」

 クレイは穏やかに笑って、彼女の丸い額にそっと口づけを落とした。

「今日からしばらく、国の仕事であちこちに行かなくちゃいけないんです。この城で待っていてくれませんか。すぐに終わらせてきますから」

 静かな声だった。背中に回された腕に力が入った気がして、サブリナは両手の隙間からクレイを覗き見た。いつも優しい瞳に、意志の強さを湛えている。サブリナは、クレイを安心させたくて笑ってみせた。

「もちろん。みんなで竜化の調査を進めておくよ」

 サブリナは、そっとクレイの胸に額を寄せた。応えるように、竜人にしては細い腕に力が入る。

 しばらく、がどれくらいの期間を指すのか、サブリナは聞かなかった。クレイの様子で、約束を必要とするくらいには長くなるだろうということを理解したからだ。

 クレイの腕の中で、満ち足りたと思うほどの幸福と、胸が苦しくなるほどの切なさを感じていた。


 日が昇り、すっかり夜の気配が薄まったころ、ユラがサブリナを迎えに来た。

「おはよう、サブリナ。今日はゆっくりだね」

「おはよう。二度寝しちゃったから」

 爽やかに笑うユラに、サブリナも笑顔を返した。

 左腕の痛みも、クレイの温もりも、すでに感じられなくなっていた。

 ユラに護衛されるように二人で並んで書庫へ向かうと、いつもの面々の他に、見慣れない姿があった。

 アンディアナ・ウォルター嬢とその侍女だ。


 昨日のことだ。

 オリービア伯は、ウォルター嬢に突撃した。文字通り、突然目の前に躍り出て、懇願したのだ。「あなたの鱗を研究させて欲しい」と。

 伯爵を追いかけて来たチカーシュは、一歩遅かったと悔やんだ。

 大人しそうな侍女が、ウォルター嬢を護るように震えながら伯爵の前に立ちはだかっている。警戒と不安が滲む顔つきだった。華奢な体で主人を護らんとする姿は感動的だ。しかし相手がチカーシュの護るべきユーグラスの貴族であることがいたたまれない。

 チカーシュは伯爵の隣に並んで膝をついた。竜人は身分制度にうるさくないので、護衛が喋っても咎められはしないだろう、と判断する。

「申し訳ありません、ウォルター嬢。彼は……」

「貴方は、クレイ殿下の竜化の謎を解明してくださるんですよね」

 弁明しようとするチカーシュの言葉を遮り、ウォルター嬢は口を開いた。チカーシュではなく、オリービア伯爵を真っ直ぐに見ている。

「そのためならば、いくらでも私の鱗を調べていただいて構いません。……畏れ多いことですが、殿下たちのことは弟のように思っております」

 逸れた令嬢の視線を辿ると、チカーシュの背後には追いかけて来たユラとサブリナがいた。彼女の言葉は本心に違いないのだろうが、わざわざクレイとの関係を言い添えたのは、サブリナを気遣ったからかもしれない。


 そういった経緯でアンディアナ・ウォルター嬢を仲間に加え、竜化の調査は連日行われた。カークは引き続き文献を紐解いて手掛かりを探し、オリービア伯爵はウォルター嬢の鱗を調べ始めた。本人の証言記録や採取した鱗を使った実験など、令嬢はすべてを快く受け入れてくれた。

 おかげで調査は順調らしい。魔術や竜人の生態など、サブリナと騎士二人にとっては難しい内容が多く、よく分からない。

 けれどカークとオリービア伯爵は日々新たな発見に興奮し、互いに議論し、ある仮説の立証に着々と向かっているそうだ。


 調査の合間には、ウォルター嬢の侍女デイジーがお菓子や軽食を用意してくれた。

 皆でテーブルを囲んで穏やかな時間を過ごす中で、鉄壁に見えたウォルター嬢の表情は柔らかくなり、特に女性陣とはよく会話をするようになった。彼女が名前で呼ぶことを許してくれたので、アンディアナ様と呼ぶようにもなった。


 そして不思議なほど、サブリナたちが他の竜人に会うことはほとんどなかった。個人に与えられた寝室と書庫を往復し、中庭の許された範囲を散策する。そんな毎日が続いた。

 旅を続けてきたサブリナにとってウォールートの王城は、幼少期以外では初めてと言っていいほど長く滞在する場所となった。

 信頼のできる仲間がいて、大切な人との約束がある。それでも。穏やかで満たされているようで、窮屈で何かが足りない日々だった。

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