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10.重い扉

「とにかく防寒!お腹いっぱい食べて耐える!ウィルさん、涙が凍っちゃうよ!」

 山頂は雪に覆われている。洞窟の中でかき集めた薪を火に焚べて、ユラは明るい声を出した。

 かたわらでは、オリービア伯爵がベソベソと涙を流し続けていた。

「うっ、私が一番、ウォールートへの想いが強いはずなのに……」

 先にウォールートへ向かったのは、クレイとカーク、そしてサブリナとチカーシュだ。ユラとオリービア伯爵は2人で留守番となった。三日以内に迎えが来なければ、一度王都へ戻ってウォールート国へ連絡を入れる約束をしている。

「仕方ないなあ」

 ユラは伯爵の顔に手拭いを当てがい、鼻水を拭ってやった。伯爵は歳上なのに、なぜか弟のことを思い出す。

「ふふ……ありがとう。ユラは本当にしっかり者だね」

 眼鏡を外したオリービア伯は屈託なく笑った。

 無邪気な笑顔に、ユラは頬に熱が集まるのを感じる。少し手のかかる男性に惹かれがちだという自覚はあった。長女の性かもしれない。

 いやいや、今は仕事中だ。生真面目なユラは気を引き締めた。そばを離れたとはいえ、護衛任務はまだ終わっていない。

 平民であるサブリナがウォールート国で丁重に扱われるのか、という不安があった。けれどクレイ殿下が一緒にいる限りは大丈夫だろう。その殿下が付添人に選んだチカーシュは、ユラにとって誰よりも信頼できる同僚だ。

 だから不安要素は最近加わったカークだけだ。境遇には同情するが、本人の軽薄な態度や腹の底を読ませない笑顔が、ユラを苛立たせる。

 感情を表に出すなんて未熟だ、と自分を戒める。あんなやつのせいで調子を崩すのは癪だ。

 切り替えるために、深くため息をついた。

「みんな大丈夫かな……」

 とにかくサブリナが元気ならいいな、と思った。


 その頃、サブリナは元気ではなかった。あまりの高所に震えていた。

「雲、が足元に……!」

 眼下には雲が広がり、地上は見えない。あれほど高く仰ぎ見たリーネ連峰が遥か足下なのだ。

 恐怖でおかしくなってしまわないのは、ひとえにクレイの腕に抱えられているからだ。ただ運搬されているだけだが、それでもクレイの胸の中にいれば安心できた。

「さらに上、あの雲の切れ間に島があります」

 クレイが指差す方を見るが、太陽が眩しくて直視できなかった。竜人は、目の見え方も違うのかもしれない。

「すんなり入国できるのかねぇ」

 カークがぼやいた。彼はチカーシュをまるで鞄のように片腕に抱えている。痩せ細った腕でも人を1人抱えられるのは、流石に頑丈な竜人だ。

 サブリナはチカーシュが落っこちてしまわないか不安だったが、当の本人はケロッとしている。

「殿下がいれば大丈夫なんじゃないか?」

 と、荷物のように扱われながらも、当然のように会話している。

「革命でも起きて王の首がすげかわっていない限りは大丈夫ですよ」

 クレイはのんびりと物騒なことを言った。

「俺の刺青と黒髪はどうごまかすよ?ノックスだとバレたら終わりでしょ」

 カークの事情は、サブリナたちにも大まかに共有されている。本人に咎がないとはいえ、正体が分かれば入国できない可能性は高い。

「正体を偽るのはリスクが高いです。バレたら反逆罪ですから」

 何も知らない子供だった頃とは違う。王族に対する偽りは命懸けだ。バレれば、今度こそ極刑になるだろう。カークは軽い口調で、

「それならそれでいいけどね」

 と応じた。

「魔法で従属契約を結んでいるということにしましょう」

 クレイの提案に、カークは面白がるように笑った。

「本当に結めばいい。なんなら隷属契約でもいいよ」

 サブリナは表情を曇らせた。

 隷属契約と従属契約では、契約違反の場合のペナルティに違いがある。従属契約では違反した場合にのみペナルティがあり、主人にも適用される。一般的な契約形態で、貴族が従者を雇う際には雇用条件になっていることもある。

 しかし隷属契約では、主人へのペナルティはなく、主人はいつでも従者にペナルティを与えられる。言葉通り、奴隷扱いになるのだ。非人道的だとして、大っぴらに使われることはない、古い魔法契約だ。

 サブリナはかつて隷属契約を結ばれたことがある。師匠に救われて解除できたが、自由を奪われる屈辱は知っていた。

「魔法契約は必要ありません。私はカークのことを信用しています」

 クレイはにっこりと笑った。

 カークは何かを見極めるようにその笑顔を観察したが、結局は諦めたようにため息をついた。

「契約を結んだフリだけでいいの?」

「堅苦しいじゃないですか。そういうの、あまり好きじゃないんです」

 クレイは困ったように笑った。それは王子としてはあまりに頼りない発言で、だからこそ彼の本音に思える。カークは苦笑した。

「騎士のアニキは、主人がこれじゃあ仕えがいがないねえ」

 話を振られたチカーシュは、やれやれと首を振った。

「これで結構ワガママだから苦労しそうだと思ってる」

 好き放題に言われたクレイは、サブリナと顔を見合わせた。サブリナが可笑しそうに笑うので、少しホッとする。

 結局、カークは、

「アンタに任せるよ」

 と言って丸投げをした。

「何かあれば責任はとりますから」

 クレイは控えめに頷き、サブリナが、

「まあ何とかなるよ」

 と無責任に請け負った。


 雲の切れ間を抜けると、要塞にも見える巨大な鉄扉があった。

「見張り役はすでに我々を捉えているはずです」

 悠々と構えるクレイと違い、カークは緊張で身を固くした。些細な仕草を敏感に感じ取ったのは、荷物のように小脇に抱えられているチカーシュだけだった。

「どうだ?10年ぶりの帰郷は」

 気安く声をかけられて、カークは皮肉めいた笑顔を浮かべた。

「感慨深いね、10年か。憎めばいいやら喜べばいいやら分からない」

 おや、とチカーシュはカークの表情を仰ぎ見た。

「……今の、誰かに言うなよ」

 ぽそりと付け加えられた拗ねたような言葉に、チカーシュは苦笑した。思いがけず本音を聞き出してしまったのかもしれない。

「茶化して悪かった。誰にも言わないよ。……まあ、どちらの感情もあっていいんじゃないか?」

 励ますような言葉を、カークは聞こえなかったふりで聞き流した。正直な気持ちを否定されなかったことが、うっかり嬉しかったから。

「ほら、開きますよ」

 クレイが言う。

 鉄扉が重々しい音を立てて動き出した。ゆっくりと開かれていく門は、歓迎か拒絶か、どちらを表しているのだろう。

 サブリナはごくりと唾を飲み込んだ。

 開き切る前に、扉の向こうから雄々しい歓声が聞こえた。

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