表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
PR
2/37

2.旅人と囚われた竜

 サブリナには家がない。人生の大半の夜を、野外の天幕で過ごしてきた。

 物心ついた頃には旅から旅への毎日だった。親の顔は知らないが、育ててくれたサーカス団のことは憶えている。つらい訓練もあったが、身につけた曲芸や体術は今でも役に立っている。

 十歳になる頃、人買いにさらわれた。しかし娼館に売り飛ばされるわけでもなく、商家や農家の下働きとして衣食住にありつけた。

 最低の中ではかなり幸運だった。子どもが1人で生きていける時代ではないから。気に食わないことに、給金は全て人買いの懐に入ったけれど。

 働いては売られ、売られては買われ、買われてはまた働いた。


 そして十四のとき、ふと気づいた。自分にも未来があり、意思があり、けれど自由がないことに。

 一度でも考えてしまえば、まるで鎖が解けたように心身が軽くなって、思うままに逃げ出した。

 運良く出会った冒険者に面倒を見てもらい、一人で日銭を稼いで旅をすることができるようになった。

 そうして十七歳になる現在も、あてのない旅を続けている。


 そんなある日訪れたのは、辺境の村ルクスだった。

 村人たちは主に農耕で生計を立てるか、近隣の街に出稼ぎに行くらしい。飢えない程度の清貧な暮らしが成り立っていて、よく統治されている。ごくありふれた平穏な村だった。

 サブリナは深く被ったフードを脱ぎ、村人に笑顔を向けた。短髪と男装のおかげで、青年冒険者に見えているはずだ。

「こんにちは。旅の者です。薬や布くらいしかないが、要り用の物があれば差し上げます。代わりに宿を紹介していただけませんか?」

 そう訊ねると、村で唯一の教会へ案内された。立派なつくりの建物で、迎えてくれたのは禿頭の神官だった。

 村人の中で彼だけがふっくらと太っている。仕立てのいい服を着て、王都から仕入れたというお茶を自慢げに振る舞ってくれた。畑仕事などしたことがないだろう男だ。

「旅の方なら分かると思いますが、ここでは満足な暮らしもできんのですよ。私が神殿から派遣されて、もう三年ですがね。村人たちの上納金が少ないもんですから」

 サブリナは冷めた心で相槌を打ちながら、特別な感情は抱かなかった。やはりごくありふれた光景だったからだ。

「いやあ、私は神を近くに感じておりますから、そろそろ上位神官として神殿に呼び戻されるはずですがね」

 俗物的な神官の話はつまらなかったが、そう潔癖でも高尚でもないサブリナは、ありがたく一宿一飯の恩義に預かった。


 翌朝、サブリナはやけに早く目が覚めた。

 まだ薄暗い中、チャリン、チャリン、と金属音が聞こえてくる。

 サブリナはあてがわれた部屋をそっと抜けだし、音のする方へ足を向けた。

 しん、と静かな教会内を進む。奥まった廊下の先に扉があった。近づくにつれて、硬い金属音に混じって、何かを地面に引きずるような音が聞こえる。

 扉を開いた先は中庭だった。東屋と水汲み場があり、朝日が柔らかく差し込んでいる。

 音の正体は、水汲み場にいた。その姿を目に入れた一瞬だけ、サブリナは息をのんだ。

「ーーーやあ、おはよう」

 サブリナは、努めて明るい声をかけた。

 その人は、布をひっかけただけに見えるボロボロの衣服を纏っていた。肩まで伸びた銀髪に顔のほとんどが隠れ、細い首筋だけが見えている。

 ただ、その格好の異様さに目が向かないほどに、彼自身が常人ではありえない姿をしていた。

 彼の背中には、竜のような翼があった。鱗に覆われた頑丈そうなそれには、太い鎖が何重にも巻かれている。サブリナが聞いた金属音は、ぶつかり合う鎖の音だったのだ。

 背格好からして、同じ年頃の男に見えた。

「……おはよう、ございま……?」

 彼はサブリナを見た。陽の光にあたった瞳は、髪と翼と同じ銀色だった。

 サブリナは、まるで囚われの天使のようだな、と思った。

「私も水を汲ませてもらってもいいかな」

 近づくと、彼はサブリナに譲るように後ずさった。片脚を引きずっている。

「怪我を?」

と訊くが、彼は答えなかった。

 サブリナの存在を一切無視するように、背を向けて東屋へと向かう。挨拶を返してくれたのは、ふいをつかれたからだろうか。

 サブリナは水だけで手早く顔をすすぎ、タオルで拭った。うら若き乙女としては雑かもしれないが、旅人の身支度としては上等な朝だ。

 さっさと歩いて東屋に向かい、彼に向き合う形で座る。彼は怪訝そうにサブリナを見た。

「私は旅人で、昨夜はこの教会に世話になったんだ。神官どのは君のことを何も話していなかったけれど、ここに住んでいるの?」

 真っ直ぐに目を見て訊ねると、彼もサブリナから目を逸さなかった。

「……私と会ったことは、神官には言わない方がいいでしょう。旅の方、私のことは忘れてください」

 穏やかで、諭すような口調だった。

 きっと聡明な人なのだろう、とサブリナは思う。囚われて地に堕ちようと、高貴さを失わない神のようだった。

 だが神であろうとなんだろうと、遠慮するサブリナではない。

「ご忠告痛みいる。きっと忘れるから、君が何者でここで何をしているのか教えてくれないか?」

 そう言って微笑みかけると、彼は眉を寄せた。警戒は解けないらしい。

「知ってどうするんですか。知らない方が身のためだと言っているんです」

 問われると、サブリナにも迷いはあった。ただ一時訪れただけの村の事情に深入りするのは望ましくない。

 けれど、サブリナは無性に苛ついていた。鎖に縛られた彼の姿が、自由を制限された様子が、かつての自分と重なって見えたのだ。

 だから、一歩踏み込んだ。

「……その翼、あなたは竜人だろう。この国にいるとは思わなかった」

 彼は、口の端で笑ったように見えた。

「ご存じなんですね」

「会うのは初めてだけどね」

 どこか遠くに竜人の国があるらしい、とは聞いたことがあった。竜の翼を持ち、人間よりもずっと長寿で強靭な種族だと。

 サブリナが事情を察していることに、彼は気づいたのだろう。諦めたように口を開いた。

「村人もあの神官も、竜人なんて人種のことを知りません。ただ、古くから土着の神として竜神を祀っていた村です。だから突然現れた私のことを、現人神として祀りあげているのです」

「神だとしたら、ひどい扱いだな」

 彼の悲惨な姿を一目見れば、その扱いは想像できた。異質な見た目を畏れられ、崇めながら遠巻きにされているのだろう。

「私は三年前、あの神官に命を救われました。恩があるのです」

「恩返しに神代わりになって、信仰と上納金を集める餌になっていると?」

 サブリナは、つい咎めるような口調になる。

 彼の目に、深い悲哀の色が見えた。低い声で唸るように呟く。

「この村では、かつて子どもが竜神への生贄にされていたそうです。私がやめさせました。でも、もし私がいなくなれば、また……」

 サブリナは、やるせなさに眉を下げた。

「自分を犠牲に、村の子たちを守っているのか」

 彼は自嘲気味に笑う。

「いえ、ただの自己満足です」

「翼の鎖と脚の怪我も、神官が?」

 そう訊くと、彼は答えなかった。しかし遠くを見るような瞳が、彼の諦念を表していた。

 どこかで鳥の羽音がした。

 サブリナは肩を震わせた。

「なぜ。なぜ怒らないんだ。人格を無視され、尊厳を傷つけられ、自由も未来も奪われたんだぞ。すべて君のものなのに」

 きつく拳を握り込んで、爪が手のひらに食い込んだ痛みで、我に帰った。

 サブリナが顔を上げると、彼は穏やかに微笑んでいた。

「ありがとうございます。あなたは私のために怒っているんですね」

 勢いをなくしたサブリナは、弱々しくかぶりを振った。深く深呼吸をして、平静さを保つ。できているかは分からなかった。

「悪かった。癇癪を君にぶつけただけだ。ぶつけるべきは君ではないのに……。私には、君のような忍耐力が足りないね」

 サブリナは立ち上がった。ここまで立ち入った話を聞いて、それでもやはり関わるべきではないと思い知ったのだ。

 サブリナが、つ、と手の中の鉄線を引くと、翼の鎖が小さく音を立てた。サブリナのこれも、きっと自己満足なのだろう。

 彼に顔を寄せ、小声で囁いた。

「……鎖は切っておいた。手品は得意なんだ」

 彼は目を丸くする。そのきょとんとした顔は、初めて歳相応に見えた。

 サブリナは思いを断ち切るように踵を返した。

「話してくれてありがとう。……どうか元気で」

 彼はサブリナの背中が扉の向こうに消えるまで、じっと見つめていた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ