第3話 宴
病弱とされて、王宮でひっそりと過ごしてきたカサルア。
そんな彼は、心に深い悲しみを負っていた。
だが今、その傷も癒えた。
改めて、皆の前に立つ。
――全快したと。
王宮では、その祝いの宴が開かれていた。
にこやかにほほ笑み、皆に手を振るカサルア。
そのピンと張った背筋と堂々とした態度に、集まった者たちは皆割れんばかりの喝采を送る。
『カサルア殿下、万歳――!!!』
『おめでとうございます!!!』
カサルアは、その言葉に深く頷く。
『ありがとう、皆の期待に応えられるよう、尽くそう』
肥沃な大地を思わせる瞳は、とてもやわらかい色をしていた。
『カサルア殿下、万歳――!!!』
***
「キノト!」
「あ、カサルア!」
別室にいた乙の元に、カサルアが急いでやってきた。
宴から、こっそり抜け出してきたのだ。
「キノト、君が広間の近くに来ていると知って、いてもたっても居られなくて来てしまった」
「うん、私も会いたかった」
自然に抱きしめあう2人だった。
カサルアは、乙の漆黒の髪に顔を埋めてその優しい香りを吸い込んだ。
(安心する香りだ…、それに久々だ)
細い乙の身体に手を沿わせ、ぎゅうと抱きしめる。
心と体の年齢が追いついてきたカサルアだったが、そうしているとまだまだかわいい幼子の様だった。
乙はその様子に、くすぐったそうに笑った。
「こうやって会うのは、何だか久しぶりだね」
「ああ、そうだね…。最近はなかなか時間が取れなくて、ごめん」
「気にしないで。カサルアは王子様だもの、たくさんすることがあるよね」
カサルアは今までの分を取り戻すように、寝る間も惜しんで、必死で勉強や政務に励んでいた。
以前の彼とは、もはや別人である。
それに伴い、自由になる時間というものが、ほとんどなくなってしまった。
2人は本当に久々に再会したのだった。
「あ、会場には行けなかったけど、こっそりカサルアの姿は見ていたんだよ」
「え?そうだったの」
驚いて身体を離すカサルア。
「ええ、2階席からこっそりね?カサルアの演説に、すごく感動したよ」
「!」
ふふッ、と笑う乙に、頬を赤くするカサルア。
演説とか…、慣れないことをすると緊張したよと、照れたように笑った。
乙はそんなカサルアを柔らかく見つめた。
その漆黒の瞳は、我がことの様に嬉しそうで…。
思わず見入ってしまう、優しい色をしていた。
カサルアは、そっと乙に手を伸ばした。
白い頬は薔薇色に染まっていた。
優しく手を添えて、カサルアは淡く微笑んだ。
「キノト…。キノトのおかげで、こうして私は暗闇から抜け出すことができたんだ。本当にありがとう…」
「そんな、私は…」
「いいや、今日皆の前に立てたのはキノトのおかげだよ」
一呼吸後、カサルアはそっと目を伏せた。
「…あの頃の私は、何もかもが怖くて、目を覚ますことができずにいた。でも、キノトがそんな暗闇に光をさしてくれたんだ」
カサルアは、苦悩するかのように顔を歪めた。
心の闇は、いまだにカサルアを蝕んでいた。
だが、その闇は一生消えることはないだろう。
…いや、絶対に消してはならないのだ。
大好きだった母親との、悲しくも切ない大切な記憶でもあるのだから。
乙は、ほほに添えられたカサルアの手に、そっと手を触れた。
その温かさは、カサルアの心を勇気付ける様だった。
フッとにじむように笑い、目を開けるカサルア。
「…皆に心配も迷惑もたくさんかけた。これからも、かけ続けるだろう。でも、自分に出来ることで何か恩返しができたらと思っている」
決意にも似た、固く真剣な表情で言った
『王様になるの――?』と、そう乙の口から咄嗟に出かかったが、寸前で止めた。
それは、カサルアが考え決めることで、乙が何か言うべきことでもないのだから…。
乙は、ふふっと笑みをこぼした。
皆、何かに向かって動こうとしているのだと。
前に向かって歩んでいこうとしているのだと。
(なんて素晴らしいんだろう――)
気付けば、乙はカサルアの背に手を回して、抱きしめていた。
「うん、そうだね。それは、いいね」
「ああ…、皆を幸せにすることができたらと、思っているんだ」
カサルアは、乙に応じるように、その華奢な身体を抱きしめた。
「うん、私も何か手伝えることがあったら、遠慮なく言ってね」
「ありがとう、キノト。…本当にありがとう」
温め合う様な、お互いの温もりがとても心地よかった。
それはとても穏やかな時間だった。
◆◆◆
その後カサルアは、彼を呼びに来た側近に、追い立てられるように宴に戻っていった。
乙は、その後王宮の自室に帰ったのだが、どうにも気分が高揚してしまい寝付けなかった。
なぜだか、とてもうれしい気持ちになったのだ。
そして、祝杯の気持ちでお酒を少し飲んだ。
だが、それがよかったのか悪かったのか…。
気分が良くなった乙は、テラスから庭園に降り、噴水の前で植物たちと遊んだ。
バシャバシャと水かはじける音が響く。
乙の楽しそうな笑い声と、さわさわと嬉しげに葉を擦り合わせる音がした。
――キノト、ウレシソウ。
――ウレシソウ。
――コッチニモ、ミズ、カケテ。
――アソボ、アソボウ。
「うん!遊ぼう!!今日はたくさん遊ぼう!!」
月の光に反射し、水しぶきがキラキラと宙に舞う。
自身も水にぬれながら、楽しそうにくるくると回る乙。
楽しく穏やかな夜だった。
――が、その様子を見つめる一対の瞳があった。
その瞳は、じっと乙を観察していた。
おもむろに、懐からブローチの様なものをとり出した。
よく見ると、その中心には、美しく輝く緑色の宝石があった。
そして自身の口にそっと寄せて言葉を紡いだ。
「…貴方の読み通り、不思議な力を持った者がいる。“木”とのつながりが強い者だ」
その者は、獲物を捕食する肉食獣の如く、楽しげに口の端をあげた。
「もしかしたら…」
期待をにじませた瞳は、炯々と榛色に輝いていた。
そう、榛色に…。
榛色の瞳の持ち主は、シド王子。
彼は誰と連絡をとっていたのか…。