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My Fair Vampire  作者: 九重ゆえる
第8話 『海の上のヴァンパイア、狙われた眠り猫』パーティー編
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第8話 パーティー編18

「ドイツのヴァンパイアの何人かが、船に乗り込んで来てるんです」

 ベッドの左側に回ったエミリオが、ハルカを見下ろしながらしゃべりだす。

 ハルカの右手をぎゅっと握ったハイコは、真剣に耳を傾けた。

「外にもたくさん待機してるみたいです。目的は恐らく僕とハルカです。本当に制限系魔法陣を展開したらしく、向こうは銃やナイフを持っていました。それから、ハルカを襲った犯人がたぶんですが分かりました」

 次のエミリオの台詞に、ハイコは思考が停止するほどのショックを受けた。

「エンプティーです。それもかなり末期の。ハルカの部屋の前に大量の血まみれうじ虫がいましたからね……。ちなみに扉は紙みたいに破られてました」

「そん、な……」

 エミリオの鋭い視線を受けたハイコは、動揺に目を泳がせた。

 エンプティー──。本物は見たことがないが、彼らが何者かは知っていた。

 なぜ生まれたのかも。

 ヴァンパイアで、ある程度就学した者なら誰でも知っている常識だ。

 エンプティーは理性と肉体の腐敗レベルで5つに分類される。レベル1の中には常人とみまごうほどにまともな者もいるが、末期と呼ばれるレベル4になると内臓からうじが涌き嘔吐や錯乱といった発作が頻繁に起き、自我同一性の崩壊が加速する。レベル5にもなるともはや二本足で歩けなくなり、やがて全身が腐敗して死に至る。

 レベル1のまま10年過ごす者もいれば10時間以内にレベル5になる者もおり、個体によって差が激しいことも知られている。

 エンプティーに総じて言えることは怪力だ。彼らにかかれば人間の頭蓋骨なんて豆腐同然になる。

「とにかく、ハルカは本当に危なかったってことです」

 言いながら、エミリオはハルカの前髪を丁寧に撫でていた。その顔に表情はないが、帽子と白髪から僅かに覗く赤眼は、ハルカを温かく見守っているように見えた。

 ハルカは本当に危なかった。

 ハイコは今になって本当の恐怖に触れた気がした。

 もう少しでハルカを永遠に失うところだったのだ。

 もしくは──それがあまりにも怖くて、脳が考えることを拒否していたのかもしれないが。

 嫌われたらどうしようとか自分のことばかり考えていた小さい自分を、ハイコは丸めてゴミ箱に捨てたくなった。

 まず考えるべきことは“生きててくれて良かった”なのに。

 どんなに怖かっただろうとか、どんな思いでデッキまで来たのだろうとか、そういう事のはずなのに……。

 自己嫌悪になりながらハルカを見つめていたら、ハルカの前髪から手を離したエミリオが、そのままベッドに手をついて屈んで──ハルカの左頬にキスをした。

「恐らくエンプティーが発作を起こしたから、逃げる隙ができたんでしょう」

 離れたエミリオが何事もなかったかのように言う。

 唐突だったのでハイコはリアクションも取れずに固まっていた。

 普段だったら挙動不審になりながらも文句を言うところなのだが──。ハイコは伏し目がちになり、口を閉じた。


 ハルカは殺されかけたんですよ?


 そう言って怒ったのも、デッキでハルカに一番に駆け寄ったのも、犯人を自らの足で探しに行ったのも、エミリオだった。

 強くてまっすぐな彼の少年らしさに気後れしてしまったから、何も言えなかった。

 今、曲がっているのはハイコの方だった。

「とりあえず、これからどうするかを考えようぜ」

 腕を組んだままのチヒロがそう言った時、ハイコの両手の中のハルカの右手がぴくりと動いた。はっとしてハルカを見ると、ハルカは薄く目を開けていた。

「ハルカっ?」

 我慢できずに名前を呼ぶと、ハルカは少し首を右に傾け、こっちを見てきた。

 だんだん視界がはっきりしてきたのか、ゆっくり瞬きをしたハルカはかすれた弱々しい声で、

「……ハイコ……せんせ……?」

「んっ? なんだい?」

 どんな小さな声も聞き逃さないようにと、ハイコは聴覚に全神経を集中させた。

「て、いたい……」

 聞こえてきた言葉を理解するのに2秒半かかった。ハルカの指が手の中で僅かに動く。

「あっ、ごっ、ごめん!」

 ハイコは慌ててハルカの右手を離した。強く握りすぎてしまったようだ。

(ああ……なんてことを……)

 再び自己嫌悪になったハイコが1分前でいいから戻りたいと思っていると、ハルカがのそのそと上半身を起こした。

 ハルカはまだ血染めのドレスを着ていた。左半分が特に酷い。ハイコがあげたダイヤモンドネックレスは血にまみれ、輝きを封印されていた。

 まだぼんやりとした様子だったが、ハルカは意識的に何かを確認するかのように両手で頭を触りだした。そして次は左の二の腕に視線を移し、包帯が巻かれている部分をそうっと撫でるように触った。

「頭の方の傷はセシリアと、ここにいるドクターとボランティアの皆さんが──」

 ハイコは言いながら後ろのセシリア達を振り返り、説明を続ける。

「治してくれたよ? 腕はまだだけど……痛くないかい?」

「……」

 数秒間無反応が続いたあと、ハルカは無表情でこくりと頷いた。その素っ気のなさは寝起きだからか別の理由があるからか──ハイコには分からない。

「……ハルカ……大丈夫かい?」

 そうっと、窺うように訊いた。いろんな意味を込めて。

 再び無言で頷き、セシリア達の方をちらっと見たハルカは、「……あの、ありがとう……ございました」と控え目に言った。かすれた小さな声だったが誠意の伝わってくる謝辞だった。

 日本語が分からないヴァンパイア達の為にハイコが英語に訳していると、急にハルカが自分の両手を丁寧に見始めた。裏返したり爪の間を凝視したり、腕の方も見たり。最終的には布団をめくって両膝を立て、足の指の間などを触りながら見ていた。

「どうしたんだい?」

「他にも怪我していましたか? 血がついていたところは全部拭いて消毒しておいたんですけど……」

 ハイコに続き、セシリアも心配そうに声をかけた。

「もしかして、アレ……触ったとか、ですか? 虫……」

 遠慮気味に訊いたエミリオがそっとベッドに腰掛けた。

 縮こまるように両足を抱えたハルカは、今にも泣き出しそうな顔でこくと頷いた。手は微かに震えている。

 拒絶が怖かったが、ハルカの様子に我慢できなくなったハイコは、ハルカを抱きしめた。枕の方を向いてベッドに座り、身体を捻るようにしてぎゅっと。

 ドイツで育ったハイコにとっては震えている女の子を抱きしめるのは当然の行為だ。しかし今抱きしめたのは、ハルカがあまりにも弱々しくて愛らしくて、保護欲を抑えきれなくなったからだった。

 何か悲惨な体験をした際、自分が味わった恐怖をとにかく周りに知ってもらう為、泣いたり喚いたりして自分から話したりする人が多いが、ハルカは違った。

 何も言ってくれない。

 ハルカらしいが、苦しみは分けて欲しいと考えるハイコにとっては、なんとも胸が締め付けられる思いだった。

 だからこんなことを口走っていた。低く甘くゆっくりと、できるだけ優しい声で。

「我慢しないでいいんだよ? もう、泣いてもいいのだよ? ……怖かったよね。痛かったよね。一人でよくがんばったね。デッキまで来て……偉かったよハルカ。ごめんね……私は何もできなくて。守って、あげられなくて……本当に……。……でも、ありがとう。生きててくれて……。ありがとう、ハルカ……。ごめんね……」

 左手でハルカの頭を自分の胸に寄せ、右手で小さな背中を撫でた時──

「やめて……」

 涙声に押し退けられた。

 ハルカはそのまま布団をめくり上げ、逃げるように頭から被ってしまった。

 拒絶、された……?

 絶望的な予感がハイコを襲う。一気に目の前が真っ暗になった。息が止まる。

 そんな……嫌だ……嘘だ……ハルカ……行かないで……。






 ずるいずるいずるい。

 どうしてハイコ先生の言葉はいつも心にまっすぐに響いて、勝手に涙を溢れさせるのだろう。恥ずかしいことばかり言っているのに。

 バカみたいに溢れてくる涙を、ハルカは真っ暗な布団の中でひたすらに拭っていた。

 みんながいることに安心したというのもあるが、明らかにハイコの言葉のせいで涙は止まることを忘れた。

 泣くと迷惑がられるから泣きたくなかったのに。我慢してたのに。全然平気だったって顔で、クールに振る舞っていたかったのに。

 全部ダメになったのはハイコ先生のせいだ。

(……ハイコせんせぇの、ばかぁ)

 泣きながら、心中でそんな子供っぽいことを思っている失礼なハルカの耳に、なんだからしくない、緊張感のあるハイコの声が聞こえてきた。

「……ハルカ? どう、したんだい……?」

「な、なんでもないぃ……」

 ツンとした口調で言おうとしたのに結局震えてしまい、片意地を張っているどうしようもない子供みたいになってしまった。

 泣き顔を見られたくないから潜ったなんて、恥ずかしすぎて言えない。ハルカは両足をぎゅっと抱えた。

「……もう、顔も見たくないの……?」

 ハイコの声は暗くて静かで──なんだか変だった。

 どうしたんだろうと思ったハルカは瞬きをし、ほんの少し顔を上げる。すると今度はエミリオの声が。

「うわ、なんで泣くんですか。しかもその台詞。ハルカはただ泣いてるところを見られたくなかっただけだと思いますけど? ねぇハルカ?」

 布団一枚隔てたハルカの頭の上に、手の平がぽんと乗った。一拍置いてから、ハルカは萎むように、仕方なく頷く。ずばり当てられてしまったので。

「ほら」というエミリオに続いて、チヒロの声も聞こえてきた。それはいつも通りで、ハイコのような緊張感はなかった。

「俺も一瞬ビビったけど、ハイコが心配したようなことにはならなかったみたいだぞ? やっぱりハルカちゃんは“違う”んだよ」

 チヒロの台詞の意味も気になったが、それよりもハイコの様子が気になってきたハルカは、そうっと布団をめくり上げ、ハイコの顔を上目遣いで窺ってみた。

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