第8話 パーティー編16
一瞬、怯んだようにチヒロを見つめていたエミリオだが、突然医務室の出口へ一直線に歩き出した。ドアノブを掴んで扉を開けた瞬間、ハイコは急いで声をかける。
「どこへ行くんだい?」
エミリオは振り向かないまま立ち止まり、
「この船に乗っている“優秀なヴァンパイア”を探しに行くんです。ぜひドイツで働いてみませんか? ってね」
突き放すような、実に冷たい声だった。エミリオはそのまま医務室を出て行った。大きな音で扉を閉めて。
ハイコはエミリオの皮肉に何も言い返せなかった。
代わりにしょげた顔でこんなことを口走る。
「……ハルカ、これですべてのヴァンパイアを、嫌いになってしまったかな……?」
「ハイコがそんな弱気でどうするんだよ」
社長の頭を撫でながら、チヒロが静かにゆっくりしゃべりだす。
「ハルカちゃんがホールで言ってくれたことを信じようぜ。大丈夫。目が覚めてからも今まで通りに接してくれるさ。突然手の平反してきたりはしない。疑心暗鬼にはならない。俺達は違うって、ちゃんと分かってる頭の良い子だから。その証拠に、ハルカちゃんは医務室じゃなくて、エミリオが確実にいると分かってたデッキに来ただろ? あんな怪我でだぞ?」
「うん……そう、だね……。ハルカは、大丈夫だよね……」
いちおうそう言ったものの、ハイコは浮かない表情をしていた。
ハルカを信じたいが、不安は消えない。
目を覚ました時別人になっていたらどうしよう。急によそよそしくなっていたらどうしよう。触ろうとして、拒絶されたらどうしよう。近づいただけで泣かれたら、どうしよう。
自分達のようなヴァンパイアも、結局人間を襲ったりするんだと思われたら、どうしよう……。
過去の嫌な思い出がよぎり、ハイコは最悪の結果を想像してしまった。
怖くて堪らない。ハルカに嫌われたくない。これからも傍にいたい。ピアノが聴きたい。手作りのご飯を食べてもらいたい。他愛もない話しを一緒にしたい。名前を呼んでもらいたい……。
でも、もしも最悪の結果になってしまっても、ハルカは何も悪くない。
守るという約束を先に破ったのは、自分なのだから。
そもそもこのパーティーに誘ったのは、ハルカとダンスを踊りたいというエゴを叶える為だったのだから。
罰は当たって当然なのだ。
◆
本当はハルカの傍にいたかった。しかし何もしていないとイライラするばかりだったので、エミリオはハルカの血痕を辿って襲われた現場を検証してみることにしたのだ。
そして辿り着いたのは1等客室通路。そこでは客室係らしき乗務員が絨毯の掃除をしていた。
ふかふかの絨毯はハルカの血を吸い込んだところだけ、しなっとなっていた。
血痕を辿ると、ハルカの部屋の前に着いた。そこでは手袋をした乗務員達が、絨毯に付いた血まみれの白っぽい何かを、せっせとポリバケツに入れていた。
どこに自分を知っている者がいるか分からないので、帽子を目深に被り直してから、エミリオはそこへ近づいて行った。
ポリバケツの中を覗くと──ご飯粒のように小さくて短い大量の何かが、絶え間なくうごめいていた。
うじ虫だ。
(なんでこんなところに……?)
眉間に皺を寄せたエミリオは、疑問を抱えたままハルカの部屋の扉を見た。
木製の扉には大きな穴が空いていた。開けなくても通れるほどに大きな穴が。
穴の様子から、通路側から空けられたことが窺える。
穴を見ていたら、清掃中の若い男性乗務員に声をかけられた。
「申し訳ありません、このようなものをお見せしてしまって……。あの、何か御用でしょうか?」
大量のうじ虫に参ったのか、隙だらけの不完全な笑顔だった。
「……大事な友達がここで襲われたので、犯人の手がかりを探しに来たんです」
穴空き扉を見つめながら素直に答えると、「でしたら、あのこれ──」と、手袋を取った男性乗務員が台車の下から何か取り出し、差し出してきた。
「襲われたお客様のものですよね? お返しお願いできますか?」
それはハルカが付けていた黒薔薇のコサージュとヘアゴム、それからオレンジのミュールだった。
エミリオは伏し目がちに、「……はい」と頷き、それらを受け取った。
「中、入ってもいいですか?」
穴空き扉を視線で指すと、「もちろんです。どうぞ」と扉を開けてくれた。
ハルカの部屋に入ってまず目についたのは、割れた窓ガラスだ。ガラスの飛び散り具合から、内側から割られたことが分かる。室内には特に荒らされた形跡はない。血痕も。
それらのことからエミリオは、ハルカは部屋に入る前の通路で襲われたのだと推理した。そして犯人は何らかの理由で扉を破り窓を割り、外へ逃げたのだと。
……本当にヴァンパイアが犯人なんだろうか……?
そんな疑問が浮かぶ。
大量の血まみれうじ虫に魔法ではなく素手で破られた扉──。
何かとんでもない恐ろしいことが起こっていたに違いない。
嫌な予感はしてたのに一緒について行かなかったことを、エミリオは激しく後悔した。
自分のせいでハルカは酷い目に遭ったのだ。ハルカを守るのはアナとの約束なのに。
(何やってるんだ……僕は……)
ハルカのミュールをきつく握り締めたエミリオは、瞳を閉じて唇を噛んだ。
(ごめん……ハルカ……)
◆
23時40分。
ついに船底を覆う巨大な魔法陣が完成した。そして遠隔魔法陣も。
最初に発動させるのは巨大な方だ。これ一つでシフトとすべてのヴァンパイア能力が使用不能になる。
(オウビ、ヨフシ、ノウ──)
幼き少年ヴァンパイア──ユアンは、これから全員で唱える呪文の練習を頭の中でしていた。一人だけ間違えたら恥ずかしいので。
詠唱は45分ぴったりに行われる。時間はあっという間に過ぎ、44分になった。
船底を囲むヴァンパイア達が自分の描いた部分に両手を翳した。ユアンも同じように開いた両手を突き出す。
白くぼんやりと光っていた複雑な魔法陣が、生き物の脈動のようにドクンドクンと一定のリズムで光り始めた。
ユアンの緊張も増してくる。
「funf【フュンフ/5】、Vier【フィア/4】、Drei【ドライ/3】、Zwei【ツヴァイ/2】……」
ユアンと同じ空気の球に入っている先輩が、腕時計を見ながらカウントダウンを始めた。「Eins【アインス/1】……」のあと、ユアンは先輩と同時に難しい呪文を真剣に唱えた。発音に気をつけ、ゆっくりしっかりと。
「オウビ・ヨフシ・ノウヨフ──」
魔法陣の光りがどんどん強くなる。
「ショウト・ケキレンタウト・ク・リノレクユーノ・ゲオシュ……」
言い終わった途端、魔法陣が眩しいくらいに光り出した。線一本一本にはキラキラ光る白い砂のようなものが通っていて、まるで血管のようだった。
「すごい……」
白い顔を白い光りで照らされたユアンは、思わず感嘆の声を漏らした。こんなに大きな魔法陣はもちろん授業でも発動したことがない。
「確かに……」
隣の先輩も、呆然と、光る魔法陣を見つめていた。
これで船内のヴァンパイア達は能力もシフトも使えなくなった。検索されてしまう恐れのあるヴァンパイアが来ても大丈夫だ。
しばらく興味津々に魔法陣を見つめていると、隣の先輩が肘で腕をつついてきた。
「おいユアン。あれシュナイダー元帥じゃね? “裏切り者”育てちゃったから今立場かーなーり、ヤバイらしいよ? だからこんな可能性の低いところに配属されたんだな」
確かに、少し離れた上の方でジェックス先生としゃべっているのは、エミリオ先輩の直属の上司──シュナイダー元帥だった。他にも偉いヴァンパイアがたくさんいるのが見える。もう一方的に検索が可能になったので、ドイツからシフトして来たのだ。
「……エミリオ先輩は裏切り者なんかじゃないよ……」
曇った表情で言った台詞は、「ちょっ、おいっ! ソフィア先生のパンツ見えそうじゃね?」というふしだらな台詞によって掻き消された。
ソフィア先生のパンツなんてどうでもいいユアンは、シュナイダー元帥を始め偉いヴァンパイア達の顔を順番に見つめていった。
船の方を向いて目を閉じていることから、どうやらエミリオの検索を始めたようだ。
緊張の一瞬だ。ユアンは生唾を飲み込んだ。
もしこの船──スリーピング・キャット号にエミリオがいなくても、彼の居場所を知っている者がいるかもしれないので作戦に変更はないが、どうしてもエミリオに会いたいユアンにとっては、いるかいないかはとても重要なことだった。
なにやら集まっている偉いヴァンパイア達が互いに顔を見合わせ、興奮したように会話を始めた。その中でシュナイダー元帥はただ一人、狂気をも感じさせる禍々しい眼差しでスリーピング・キャット号を見つめていた。
「えっ、嘘っ。もしかしていたとか?」
横の先輩が動揺しだした。
「どっ、どうなんだろう」
ユアンも興奮してきた。
エミリオ先輩が、エミリオ先輩がこの船にいるの? どうなの?
偉いヴァンパイア達を食い入るように見つめていたら、ふとジェックス先生がバスケットボールほどの水色の光りをいくつか作り出し、それを船底一周させた。光りの中心には濃い青で“MR”と書いてあった。“MR”は班長への集合の合図だ。ユアンには関係ない。
やがて班長達が集まると、ジェックス先生が話しを始めた。海水が邪魔してユアン達にはまったく聞こえなかったが、戻って来た班長が説明してくれた。
委員長タイプの班長は威張るように告げる。
「みんな驚け。“当たり”だ。この船にエミリオ・ペルツァロッタがいる……! これから俺達は当初の計画通り──」
そのあとの台詞は耳に入ってこなかった。鼻血が出そうなほど興奮してきたユアンの呼吸は、どんどん荒くなっていった。
こっ、ここっ、ここに、この船にエミリオ先輩がいる……! 会いたい! はやく会いたい! あいたいあいたい!
「おい! ユアン聞いてんのかコラッ」
班長の声にはっとするユアン。
「はっ、はいきいてます!」
「ジェックス先生が呼んでる。話しがあるんだって。ほらさっさと行って来い」
「はっ、はいっ!」
なんだろうとも思ったが、ユアンはシフトですぐにジェックス先生の元へ向かった。
「ユアン君、ちょっとこちらへ」
着くやいなやジェックス先生はユアンを連れて一つの大きな空気の塊から離脱した。
偉いヴァンパイア達から30メートルほど離れたところで、ジェックス先生はポケットから何か取り出した。
「私の予備だ。これを貸そう」
ユアンの薄っぺらい両手の上に乗せられたのは、繊細な装飾の施されたシルバーのハンドガンと、2ダースの弾丸だった。




