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My Fair Vampire  作者: 九重ゆえる
第8話 『海の上のヴァンパイア、狙われた眠り猫』パーティー編
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第8話 パーティー編12

 ハルカ達に何も言わずに来てしまったが、まぁ、特に問題はないだろう。

 ……それにホールにはあまりいたくないので。

「ヘイ。おまえエミリオ・ペルツァロッタだろ?」

 3等客室がある低層階の通路を歩いていたら、背後から不躾に声をかけられた。振り向くと──その顔には見覚えがあった。

 日本の東京に配属される前、エミリオは少しだけイギリスの田舎で仕事をしていた。

 ある満月の日の夕方、魔法を使いすぎてドイツへ帰ることができなくなったエミリオは、人気のない静かな森で体力の回復をしていた。3~4時間ほど目を閉じてじっとしていれば、帰れるだけのシフトくらいはできるようになる。若い女の上質な血なら一口で世界一周ができるが。

 8時までには帰れそうにないな。配分を考えろって、シュナイダー元帥怒るだろうな。殴られるんだろうな。お腹空いたな──。

 膝を抱えてうずくまり、そんなことを考えていたら、犬の散歩をしている若い女性が現れたのだ。どうしたの? 怪我したの? とか優しく話しかけてきたその無防備な女性を、エミリオは襲った。

 思いきり頸動脈に噛み付き、溢れ出る血を飲んだ。死ぬまで飲むのが掟だから、死ぬまで飲んだ。

 後悔はしなかった。罪悪感も湧かなかった。

 ただ、


 よかった。これで8時までに帰れる。


 そんなことを光りの無い目で考えていた。

 あの頃のエミリオは繰り返される上司の理不尽な暴力と、相変わらず声の出ない妹に対する後ろめたさで、心がすさみきっていた。相談できる友達もいなかった。

 人間を殺すのにも慣れてしまっていた。人間=食料という式が定着していた。

 でも今は……違う。変わった。ハルカやハイコ、チヒロに出会ってから、価値観が変わった。後悔も罪悪感も、感じている。

 だから今、“あのあと現れた殺した女性の弟”を前にして、エミリオは目のやり場に困っていた。羊を被っていても目を合わせられない。

 自分の過去が人の形をして現れたみたいで、つい後ずさりしてしまいたくなる。

「あれから俺ヴァンパイアと仲良くなってさ、おまえのこともいろいろ教えてもらったよ。俺おまえにずっと言いたかったことがあるんだ」

 エミリオより三つ上くらいの、ラグビーチームのキャプテンみたいに体格の良い白人の若者が、ずかずかと近寄って来る。そして乱暴に被りものをもぎ取ってきた。

「やっぱりそうだっ」

 若者は羊の頭部をバスケットボールみたいに絨毯に叩きつけ、吐き捨てるように言った。

「おまえがこれ取ってるところパーティー前にデッキで見たからな。あの時は正直驚いたぜ」

 失敗した。あの時はハルカのことで頭がいっぱいで、羊も帽子も被り忘れていたのだ。それまではずっと気をつけていたのに……。

 こんなことになるかもしれないということは分かっていたのに、それでもエミリオがこのパーティーに来たのは、ハルカが行くと言ったからだった。東京で一人で待ってるなんて、嫌だった。

 右目の視界を奪う乱れた白髪もそのままに、ただ伏し目がちにじっとしていると、若者に胸倉を掴まれ、壁に背中を叩き付けられた。

 続いて若者はエミリオの背後の壁に、脅すようにバンッと左手をつき、右手で顎を掴んできた。無理矢理顔を上げさせられる。エミリオは目を合わせないように、視線を横に流した。

「聞けよ。姉ちゃんはな、あの日の翌日、結婚するはずだったんだよ! すっげー楽しみにしてたんだ!」

 顎を掴む手はだんだん首へと下りていく。それでもエミリオは抵抗せず、赤眼をゆっくり閉じた。殺されるつもりはなかったが、気の済むまではやらせるつもりだった。こんなことで気が済むならの話しだが。

「幸せになるはずだったんだよ。なのにおまえが……っ!」

 ついに首を絞めてきた。物凄い握力だ。

「っ……」

 さすがに顔を歪めたエミリオは、僅かに呻いた。しかし強く絞めてきたのは一度だけで、すぐに手は離れた。

「このまま殺してもいいんだけど、姉ちゃんが悲しむし、死ぬなんて生温いからな。おまえの存在を全否定するこの俺がこの世にいることを、常に頭に置いて生きろ。いいか? 幸せになることは絶対許さないぞ? 俺はおまえを死んでも呪い続けてやる」

 一拍して、強烈な右ストレートが胃の辺りに命中した。同時に絨毯に手をつき、咳込むエミリオ。そして吐いた。

 さらに若者はエミリオの後頭部を踏み付けてきて、吐瀉物に頬を埋めさせた。すっぱい臭いが鼻をつく。それでもエミリオは顔をしかめるだけで、反撃はしなかった。

「本当は一生残る傷を与えてやりたいところだが──おまえはドイツを裏切ったらしいからな。その懸命な判断に免じてこっちの目は──」

 言いながら若者は髪を掴んで顔を上げさせ、右目をえぐり出す真似をした。エミリオが左目を失くしたことは知っているようだ。

「見逃してやるよ」

 再び胸倉を掴まれ、今度は強制的に立たされた。殴られた場所を押さえて壁に寄り掛かると、

「これで勘弁してやるよこの人殺しヴァンパイアがっ!」

 叫ぶような声を上げた若者に、左頬を殴られた。エミリオはそのまま壁を擦り、右側に倒れた。一拍置いて口の端から血が零れる。

「……っ……なさ……」

 声を絞り出したエミリオは、無駄だと分かっていても伝えようとした。

「あぁ? なんだって聞こえねぇよ!」

 若者は靴で頭をぐりぐりと踏んできた。頬は紅潮し、理性を失くした表情をしている。エミリオは絨毯に爪を立て、喉に力を入れた。

「……取り、返しのつかない、ことをして……ごめん……なさい……」

 なんとか言えた。しかしやはり余計怒らせたようで、若者はまた声を荒げた。

「その気持ちがっ!」

 こめかみに踵が踏み落とされる。エミリオの意識は一瞬飛んだ。

「そんな気持ちがあるならどうして……っ! なんで殺したりしたんだよ!」

 その時、頬に水滴がいくつか降ってきた。

 それが若者の流した涙だと気づいたのは、殴られたところに唾を吐かれ、若者が踵を返し、絨毯に転がる羊の頭部をサッカーボールみたいに盛大に蹴り飛ばし、去って行ったあとだった。

 誰もいない通路でしばらく横向きに丸くなっていたエミリオは、なぜか込み上げてくる笑いに素直に従い、かすれた声で笑い声を上げた。

「ふはっ……はははっ……」

 それは自分に対する嘲笑かもしれなかった。


 幸せになることは許さない。

 死んでも呪い続ける。


 それらの言葉を思い出し、仰向けになって腕をアイマスク代わりに瞼に乗せたエミリオは、自嘲気味な笑みを浮かべたまま呟いた。

「きっついなぁ……」

 そのあと腕を額へずらし、半眼でぼーっと、洒落た照明を眺めた。すると控え目な声が脳でリプレイする。


 ヴァンパイアに会えて、存在を知れて、本当によかったと思っています。


 死んでも呪うと言ったのも、会えて本当によかったと言ったのも、同じ人間だった。

 二人共嘘をついていないのは明白だ。

 自分を向上させる為に、明るい未来へ歩いて行く為に、胸に留めるべき言葉は、後者に決まっている。

 若者は“やってやった”と思っているのかもしれないが、思い通りにはさせない。

 犯した罪に支配されて精神を病んでしまうほど、エミリオはもう“まっすぐ”ではないし、弱くもなかった。

 その約束を守るつもりはない。

 おまえに僕の何が分かる。

 人を呪わば穴二つという言葉があるが、あの若者は自分が発する負のオーラに飲み込まれて、精神を病んだのだ。……少し前のエミリオみたいに。

 そんな人の言葉に惑わされてはいけない。道連れにされてたまるか。

 身体に力を入れたエミリオは、老人の如くゆっくりゆっくりと起き上がった。

 頭がズキズキする。こめかみを触ると赤いものがついてきた。切れたみたいだ。白髪の一部も赤く染まっている。

 しかしこんなことではくじけない。シュナイダーの拷問に比べれば撫でられたようなものだ。

 それでも。

 それでも……。

 “あの娘”に会いたいのはなぜだろう。今、ものすごく会いたくなってしまったのは、どうしてだろう。いい匂いのする肌に触れたくなってしまったのは、なんでだろう。

 あの娘の声は、仕草は、性格は、なぜか心地いい。いつの間にか、精神安定剤のようになっていた。

 惹かれるのは、きっとあの血のせいだ。世界で一番おいしい血の魔力──。

 だって自分はヴァンパイアなのだから。

 そういうことに、しておいた。




◆




「ハルカ! ハルカ!」

 人を掻き分け呼べども叫べどもハルカは見つからない。

 ハイコはホールの人混みの中で揉みくちゃにされていた。チヒロともはぐれてしまった。

「うわぁ~ん、ハルカぁぁぁ~~~!」

 涙目になってもハルカは見つからない。




◆




 ホールからなんとか逃れてきたハルカは、暑くなってしまったのでそのままDデッキへ出た。

 4番目に低いが一番広いこの船メインのDデッキには、誰もいなかった。みんなホールにいるのだろう。

 隅っこにあったベンチに座り、白い息が出るくらいの寒さも忘れさせてくれるほど迫力のある、満天の星をしばらく無心で眺めていたら、静かな足音が聞こえてきた。そちらに視線を向けると──そこには一人の少年が立っていた。

 黒い帽子を目深に被っていたが、はみ出る白髪と左目を覆う医療用の眼帯のせいで、すぐに分かった。船内からの明かりも少し受けていたし。

「エミリオ……。着替えたんだ」

 エミリオの服装は来た時と同じ私服に戻っていた。

「こんなところにそんな格好でいたら風邪ひきますよアホですか」

 アホと言うわりには、エミリオは言い終わると同時に上着──黒いロングジャケットをハルカにそっと掛けてきた。……着替えたんだという質問は見事にスルーされた。

「……いっ、いいよ別に。こんなのいらないっ」

 その優しさがなんだか気持ち悪かったので、ハルカは突き返した。するとエミリオは軽く鼻で笑って、「はいはい」と言い、またジャケットを掛けてきた。そして左隣に足を組んで座り、半ば無理矢理ボタンを留めてくる。まるでわがまま盛りの子供を相手にしているかのように、ハルカの言ったことを綺麗に聞き流しているようだ。いらいらしている様子もない。

「いいよっ」

 恥ずかしくなってきたハルカがエミリオの手をどけると、その手を掴まれた。

「ハルカ。キスしてもいいですか?」

「……」

 思考停止。

「ハルカ?」

「痛っ」

 頬をつねられ、我に返る。

 しかし左頬を押さえながらも、ハルカはまだきょとんとしていた。エミリオの言った言葉の意味が急に分からなくなってしまった。

 きす? 帰す? 鱚? ってなんだっけ?──とかわりと落ち着いて考えていたら、エミリオに右肩を掴まれた。次は左頬の左手を剥がされ、顎を掴まれる。そしてエミリオの方を向かせられた。

 顔が近づいてきた。帽子で隠れているのではっきりとは分からないが、何を考えているのか分からない無表情だった。

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