第8話 パーティー編11
ライトラー船長は、「ハッハッハ」と爽快に笑ったあと、申し訳なさそうに、
「でもすみませんお嬢さん。もう一度見せてあげたいけれど、あれは一人ではできない魔法なんですよ。いろんな色があったでしょう? 属性の違う10人くらいのヴァンパイアと共に作ったんです。私ができるのはこれだけ」
そう言ってライトラー船長は天井を見上げ、指を鳴らした。と同時にハルカの周りにだけ降り注ぐシェルピンクの光。
(うわぁ……)
光に見とれてお礼も忘れていると、ライトラー船長が話し出した。
「そうだ。お嬢さんはちょうど日本人だし、この船の名前の由来を教えてあげましょう」
なんとなく気になったハルカはライトラー船長へ視線を移した。
「スリーピング・キャットというのはね、日本の日光東照宮にある眠り猫から取ったんですよ。眠り猫についてはご存知ですかな?」
日光東照宮に猫があること自体知らなかったハルカは、首を横に振って、短く、「いえ」と答えた。
「その猫の後ろにはね、雀がいるんですよ。猫が雀を襲わずに眠っている──。これは争いのない世界を意味しています。故に眠り猫は平和の象徴でもあるんですよ。それから、見る角度を変えると臨戦態勢にもなることから、守り神でもあるんですよ?」
「……すごいですね……」
ハルカはすっかり聞き入ってしまっていた。だからこんな気持ち悪いことまで言ってしまった。
「この船は猫の神さまに守られてるんですね」
またライトラー船長が笑った。
「そうですな。きっとそちらの猫くんみたいに、逞しい体つきをなさっているんでしょう」
そちらの猫くん──それはチヒロの足元にいる巨大な三毛猫のことだった。
「あ? なんか言ったか?」
社長はコンシェルジュが持ってきたチキンを食べるのに夢中で、話しをあまり聞いていなかった模様。
「おまえちょっとはさぁ──」
チヒロに窘められる社長を横目に、再びライトラー船長が、
「私個人は勝手に、猫をヴァンパイア、雀を人間に例えて、平和な世界がくることを望んでいるのですよ。あなたの存在のお蔭で、そんな世界が近づいた気がします。本当にありがとう」
最後にもう一度だけ握手をし、ライトラー船長は部屋を出て行った。
それを見送るとハルカは椅子に座り、コンシェルジュがこれでもか──と並べた軽食やデザートが乗るテーブルの、空いている場所に突っ伏した。別に気分が悪くなった訳ではない。ただ、ちょっと疲れた。あと眠い。
「大丈夫ハルカちゃん? 気持ち悪い?」
案の定、チヒロが心配してきた。ちなみにハイコはいちおうVIPなので、エリザベスと共に挨拶回りに行った。エミリオはGデッキの手すりにもたれ掛かり、ハルカ達に背を向けている。
ハルカはゆっくり顔を上げ、とろんとした半眼で本当のことをぼそぼそ言った。
「大丈夫。ちょっと、ありえないことが起こりすぎて、疲れただけ」
「ははっ。そっか」
軽く笑ったチヒロも椅子に座り、二つに割ったスコーンにクロテッドクリームと苺ジャムを塗りながら、
「でも、ハイコが戻ってきたらもっとありえないことが起こるかも」
え? と訊くようにチヒロを見ると、
「パーティーといえば? ダンスだよ。ハイコはきっと──いや、絶対誘う気だ」
ハルカがどう思ったかは……言うまでもない。
ハイコは本当に誘ってきた。
もちろんハルカは即答で断った。やだと。
ダンスなんてハルカにとっては別世界のもの。……踊り方も知らないし。挨拶で力を使い果たしてしまったので、さすがにもうそっちの世界へ行く力は残っていなかった。
ハイコはやはりショックで固まっていた。申し訳ないことをしたと思ったハルカが謝ろうとしたら、ハイコはなおも誘ってきた。ショックで固まっていたことなどなかったかのように明るく、テンション高めに。
「そっ、そんなこと言わないでさっ、踊ろう? パーティーだよパーティー! しかもハルカは主役なのだよ? だぁ~いじょうぶ! ハルカはただ立っているだけでいいから! なんとかなるなる! そんなに深く考えないで? さぁ行こう!」
片膝をつき、ハイコは王子様みたいに右手を差し出してきた。
──ただ立っているだけでいい──。
それって……実はかなり失礼なことを言っているのでは。
目を逸らし、そんなことを思うハルカだが、なんだかもうどうでもよくなってしまった。気が抜けた。ハイコといれば、本当になんとかなりそうな気がしてきた。挨拶は一人だったけど、ダンスは二人でするものだ。
ハイコ先生がいれば、大丈夫かもしれない。
一人じゃなければ、大丈夫かもしれない。
「ハルカ姫?」
首を傾げるハイコの顔に、捨てられた仔犬のような表情が僅かに浮かんだ。
「……しょ、しょうがないなぁ」
目を逸らしたままもごもご言い、ハルカは立ち上がった。……手は取らずに。頬をほんの少し染めて。だって恥ずかしかったから。ハイコは本当に王子様みたいで……なんだか照れてしまった。
「やった! ありがとうハルカ!」
ハイコは王子様みたいに──ではなく、まるで子供みたいに無邪気に微笑った。ガッツポーズをして。その眩しい笑顔に応えることができないハルカは、あまのじゃくなことを言う。
「でも、今度変な呼び方したら無視するから」
「わかったわかった。呼ばない呼ばない」
立ち上がりながら笑顔で言うハイコの口調は、あまりにも軽々しい。
「では行こうか、“ハルカ姫?”」
ふざけているのか、わざとやっているのか、意味が伝わらなかったのか、ハイコはへらへら笑っている。
「……やっぱり行かない。触んないで」
つんとして言い、掴まれた右手を払ってふいっとそっぽを向くと、
「ダメだよ。もう撤回はできないのだよ?」
ハイコは捕まえるように両手を掴んできた。ハルカが離そうとしても、逃がさないとでも言うように追いかけてくる。「やだっ」と言って顔を背け、手を引き抜こうとしても、「ふふっ。かぁわいいなぁハルカは」とか言って取り合ってくれない。
なんかキモい。ていうかキモい。
素直にそう思ったハルカは、困り顔でチヒロに助けを求めた。
「チヒロ先生、ハイコ先生がおかしくなったよ? 酔ってるの?」
チヒロは諦めたように、
「いや。酔うとハイコは眠くなるんだ。残念だけど、ハイコはもともとおかしいんだよ。それに加えてハルカちゃんがステージで言ったこと──。たぶん嬉しさ限界突破で壊れてるんだ。涙と一緒に、大事なネジをどっかに落としてきたんだな……」
大変だ。ネジが……。
チヒロの台詞をわりと重く受け取ったハルカの出した答えはこれ。
「じゃあ拾ってくる」
「そうだよ早く行こうハルカ」
ハイコがぐいぐい引っ張る。
そのまま流されるまま引っ張られるまま、ハルカはホールに繋がっているGデッキへ出た。
「あれ? エミリオどこ行った? ホールかなぁ」
ハルカもチヒロと同じことを思った。さっきまで手すりにもたれ掛かっていたエミリオがいない。なんとなく気になったが、ホールに行ったのだと思い、デッキはスルーした。
ホールに着くと、ハルカは再び注目を浴びた。しかし今はほとんどの人がダンスの真っ最中で、寄って来たりはしなかった。
「行くよハルカ?」
その耳打ちから、ハルカの恥ずかしい時間は始まった。
生まれて初めてのボールルームダンス。追いかけてくるスポットライト。ハロウィン一色のホールには似合わない優雅で華やかなワルツ。たくさんの友好的な視線。詐欺紛いに魅力的なハイコの笑顔。
「ハルカ、ありがとう」
突然話しかけられ、ハルカははっとする。
「あんなこと言ってくれるなんて、思いもしなかったから。ホントに、びっくりして……嬉しくて……もう……なんていうか……──」
そこでナチュラルターン。ハルカはただ、頬をほんのり染めて目を逸らしているハイコを、上目遣いでこっそり見つめ、ハイコのリードに身を任せていた。
「ただ……ありがとう。それだけしか、浮かばないんだ。たくさん、言葉を知っているはずなのに、たくさん、感謝の気持ちを伝えたいはずなのに……ホントに……それしか、浮かばなくて……。ごめんね、ハルカ──」
ふとハイコが足を止め、左手は繋いだまま、右手をハルカの腰から左頬に移動させてきた。そしてそのまま屈み──
「……ありがとう、ハルカ」
右の耳元で聞こえたハイコの呟き。一拍置いて右頬に柔らかな感触──と同時にちゅっ、というさっき散々聞いた音。
条件反射でゆっくりと右頬をぴとっと押さえたハルカは、ぽかんとしたままハイコを見上げた。
きすした。
それは乗客達とはちょっと違う、軽いけれど軽くない、頬の触れ合わないキスだった。
またふらふらしてきた。頭の中は真っ白だ。
「ごっ、ごめん! そ、そ、そんなに嫌だったかい?」
あわあわするハイコに、ハルカは手を降ろして首を横に振った。
頬にキスなんて欧米では挨拶なんだから、それをいちいち嫌がったりするのは失礼だし相手を傷つけることになる。
けれど普段一緒にいるハイコにされたことが、衝撃的すぎた。
その時、ゾンビらしき仮装をしている高校生くらいの白人少年が、突然白紙のノートを突き出してきた。緊張した様子で。
「あの! すみません! ここにサインしてくれませんか?」
「……」
状況を理解するのに数秒かかった。
(サ、サイン……。ローマ字で、いいのかな……)
ハルカがおっかなびっくりペンを受け取ろうとしたら、あっという間にまた乗客に囲まれてしまった。
気づけば楽団の演奏も終わり、ホールは小休止に入っている。
すぐにハイコやバトラー、コンシェルジュ達がハルカを守ろうとしてくれたが、僅かばかり遅く、ハルカはあっという間に人ごみに飲まれてしまった。
(……くっ……くるし……い……!)
毛むくじゃらの全身着ぐるみを着た大男と、ふくよかな女性の背中に挟まれたハルカは、息苦しさに酸欠寸前だった。
もはやもう誰もハルカの位置が分かっていないらしい。
(んん~……)
心中で唸り、眉間に皺を寄せながらなんとか向きを変えると、ハルカの瞳にホールの出入口──もといヘブンズドアが映った。最初に入ってきたメインの扉だ。こんなところまで流されて来てしまったのには驚きだが、今はとにかくあの扉まで行きたい。
◆
さっきから嫌な気配がする。
ぞわぞわと甲殻虫が背中を這い上ってくるような、不快を通り越してむしろ恐怖を感じるような。
ケチャップ大好き羊伯爵──もといエミリオは先程、ホール側面のGデッキの手すりにもたれ掛かかっていた時、怪しい人影を見ていた。その小さな人影から嫌な感じはしなかったが、“何か”を感じた。それがなんなのか確かめる為に、エミリオは今こうしてその人影を探し回っている最中だった。




