第8話 パーティー編10
ウェイホーカーは若干驚いた様子で、
「おやおや。もうご存じの方もいいらっしゃるようで。そうなのです。この会場に来ているのです。久しぶりにドイツを騒がせている、特別な血を持った日本人のレディが一人」
拍手をしていない人達がざわめき始めた。
ウェイホーカーは真面目な口調で続ける。
「彼女は……ヴァンパイアに傷つけられたこともあるそうです。故に本来ならば我々ヴァンパイアとの接触を一番拒むはずの人間なんです。しかし彼女は、自らの意思でここへやって来たのです!」
声のトーンが上がってきた。
「これはまさに人間が我々を認め、分かり合える日が近づいている証拠ではないでしょうか? 彼女のような人間が世界中に増えたら、きっと我々の未来は温かい光りで満ち溢れることでしょう。それではその彼女に登場して頂きましょう! ミス、ハルカ・アイザワ! カモン!」
ハルカの緊張は頂点に達しようとしていた。もう少しで気絶しそうなほどに。
主催者がわたしの名前を呼んだ。みんなキョロキョロしながら拍手をしている。なんだか大変なところに来てしまった。自分がここへ来ることがそんなにすごいことだとは思いもしなかった。どうしよう。心臓がバクバクいってる。プレッシャーに足が動かない。どうしよう。今からあそこに行ってしゃべるなんて。どうしよう。できない。どうしようどうしよう──。
もはや脅迫されているような状態になっていると、空色の小鳥──エリザベスがふと肩にとまった。そして屈んだハイコに後ろから抱きしめられ、耳元で話しかけられた。
「大丈夫だよハルカ。落ち着いて。エリザベスも一緒だし、私も傍にいるから。ね?」
その穏やかな低くて甘い声は、ハルカの緊張を少しだけ解いていった。
「うん……」
まだ浮かない顔でゆっくり頷くと、チヒロが、
「あの主催者嬉しくて大袈裟に言ってるだけだからさ。気軽に気負わずに自分の好きなこと言ってくるといいよ。応援してる」
再びゆっくり頷くと、正面に来たハイコがハルカの右手を両手で握ってきた。
「ステージまでシフトするよ? 準備はいいかい?」
一拍して、覚悟を決めたハルカは精悍な顔つきでこくりと頷き、ハイコの手を握り返した。これを乗り越えたらきっと今より少しくらいは強くなれると信じて。
眩しいスポットライトに照らされた棺桶型の演台の前で、ハルカはその上に乗るスタンドマイクを見つめながら、ホールがある程度静かになるのを待っていた。
余計緊張するのでまだ顔は一度も上げていない。
マイクの位置はここに着いた時すぐにハイコがハルカの身長に合わせて調節してくれた。
ハイコは通訳の為、マイクを持ちながらステージの横に立っている。小さいステージなので10歩も歩かないで届く距離だ。
エリザベスはハルカの左肩にとまっている。その小さな命の存在を感じながら、ハルカは静かに深呼吸をし、言っておきたいことを頭の中で整理した。
迷っていたが、結局言うことにした。自分みたいなひねくれ者はむしろこういうところでしか伝えられないと思うから。
だいたいまとまると、ハルカはゆっくりと小さな声でしゃべり出した。声が震えないように気をつけながら。
「は、はじめまして。相澤……ハルカです」
そこで一旦黙って、ハイコが英語に訳すのを待った。
「えっと、東京から、来ました。こんな、すごい船に乗るのも、すごい人達を近くで見るのも、初めてで、すごく緊張、してます」
まずは自己紹介とここに立った感想から。小学生の感想文みたいになってしまったが英語になればきっとバレないだろう。
ハイコが訳し終わると、今度はさっきより落ち着いて話し出す。
「わたしが、ヴァンパイアの存在を知ったのは、最近です。まだ2ヶ月も経っていません。知った時は、もちろんびっくりしました。シフトとか魔法とか、そんなのがこの世に存在するなんて、今でも、夢みたいです」
ハイコが訳し終わると、若干笑いが起きた。ちらっと乗客の表情を確認すると、そこには友好的な笑みがあった。
それに安心したハルカは、だんだん本当に言いたいことを話していく。
「……わたしは……はっきり言って、ヴァンパイアのことを、怖いと思ったことがあります」
1秒。2秒。3秒。
ハイコの英語が聞こえてこない。目は合わせないように半分だけ振り向くと、やっと訳し始めた。
(こんなこと言って、ごめんなさい……)
ハルカは心中でそっと謝罪した。
ハイコがマイクを口から離すと、案の定、乗客の顔から笑みが消えた。一気に困惑の表情へと変わる。それでもハルカは続けた。
「……でも、それ以上に……今は……」
ハイコが訳し終わると、ハルカは再び静かに深呼吸をし、ゆっくり瞬きをした。ここからが本当に言っておきたいことだ。乗客のヴァンパイア達に──というよりは、ハイコとチヒロとエミリオに。
だからハルカは頭をフル回転させ、英単語を引っ張り出した。ハイコには通訳のことを忘れて聞いて欲しいから。
「わたしが出会った、ヴァンパイアは、みんな性格が違うけど、みんなすごく優しいんです」
乗客達は意表を衝かれたような顔をしたが、真面目に聞いてくれている。ハイコの顔は恥ずかしくて見れない。チヒロとエミリオは人混みに紛れていてここからでは見えない。
マイクに声が入らないように演台から身を引いたハルカは、手で口元を覆い、左肩のエリザベスに、「今の英語変じゃなかった?」と小声で尋ねた。エリザベスは小声で、「変じゃなかったよ」と言ってくれた。
それに安心すると、ハルカはさらに英語でゆっくりと話し出す。
「わたしが泣いていると、温かい言葉をかけてくれます。たくさん、勇気をもらいました。前の自分だったら、こんな賑やかなところには来られませんでした。みんながわたしを、良い方に連れて行ってくれるんです。迷子になったわたしの……手を引いて……いつも……。……だから……わたしは……ヴァンパイアに会えて、存在を知れて、本当によかったと思っています。これから何があっても、どんなことがあっても、この思いは、消えないと思います。ヴァンパイアに出会えたことは、わたしの人生の中で、いつまでも、宝物みたいに、光り続けると思います」
……終わった。言った。言えた。全部言えた。
とても流暢とは言えないけれど、気持ちをすべて言葉にすることができた。英語だったので日本語で言うよりは意外と恥ずかしくなかった。教科書を読んでるみたいな感覚になれたのかもしれない。
達成感にぼーっとしていたハルカだが、自分の今いる場所を思い出してはっとなった。
「えっ、えっと、あっ、ありがとう、ございましたっ」
慌てて日本語で言ってお辞儀をしたら、お約束の如くマイクに額をゴツッとぶつけた。
顔を赤らめたハルカが額を押さえていると、突然大きな音が鼓膜を震わせた。
割れんばかりの拍手だ。
きょとんとし、ふっと力が抜けてしまったハルカは、ぼんやりと辺りを見渡した。
乗客達は皆頷いたり涙を流したりしている。
ありえない光景にまたもやぼーっとするハルカだが、一歩引いてちゃんとお辞儀をし直し、ゆっくりとステージを降りた。
しかしそこでまた驚きの光景が。
ハイコが泣いている。
左手で両目を隠し、顔を背けていたが、確かに泣いていた。
(ど、どうしよう)
声をかけて良いものかどうかハルカが困っていると、シルクハットにマントを羽織った主催者──ウェイホーカーがハルカの右手を両手で包み、日本語で話しかけてきた。ウェイホーカーの目にも光るものが見えた。
「アリガト、ゴサイマス。アリガト、ゴサイマス。ウレシイデース」
さらにウェイホーカーはハグをしてきた。
びっくりしていたハルカはずっと固まっていた。頭の中は真っ白だ。
ウェイホーカーが離れると、周りの乗客達も次々に握手を求めてきた。ハルカはほとんど無意識で応じる。小さな手帳を広げ、ここにサインを書いて欲しいと言う紳士や、携帯電話を取り出して、一緒に写真を撮って欲しいという高校生くらいの女の子までいた。
例の海賊映画の船長も人混みの向こうから背伸びをし、こちらを興味深げに窺っている。
なんだこれなんだこれなんだこれ。
自分の置かれている状況が現実離れしすぎていて眩暈がした。信じられない。
英語、カメラのフラッシュ、熱気、多国籍の顔ぶれ、様々な仮装──。それに加えて薄暗いホールとジャック・オー・ランタンのにんまり顔。
すべてがぐるぐるぐるぐる回っている。
ぐるぐるぐるぐる──。
だんだんふらふらしてきたハルカは、ふくよかな白人のおばさんと握手が終わった瞬間、ただ同じ場所に立っていただけなのに、躓いて後ろに倒れそうになった。倒れないで済んだのは、誰かがしっかり支えてくれたからだ。
振り向くと──ハイコだった。
「大丈夫かい?」
その柔らかな微笑みは、いつものハイコだった。もう泣いていない。
「う、うん……」
とりあえず返事をして自分の足で立つと、ハイコはウェイホーカーと共にギャラリー達をハルカから遠ざけ始めた。
やがてそれに、ウェイホーカーが呼んだコンシェルジュ数人と、ハルカ達専属のバトラー──チャールズ・ピットマンが加わった。
予想以上に乗客の反応が強かったらしく、ウェイホーカーは急遽ハルカにホールの隣の部屋を貸してくれた。その部屋には入ってきた出入口を通らなくても、ホール側面から行けるGデッキを通れば行けるようになっていた。
そのベランダのようなGデッキを、ハイコ、チヒロ、エミリオ、ウェイホーカー、コンシェルジュ数人、で通っていた時。空を見ようとハルカがふと上を見たら、前方の一つ上の階のデッキに、小さな人影を見た──気がした。なにやら慌てて引っ込んだような──。でも暗くてよく分からなかったし、誰も何も言わなかったので、見間違いだと思った。さっきのありえない体験のせいできっと幻覚を見たのだ。
だってあんなところに子供が一人でいる訳ないし。
20畳はありそうな広々とした洋風の部屋には、白いグランドピアノが1台と、椅子とテーブルだけが置いてあった。
ちょっとピアノが弾きたくなったが、静かな部屋に来てからも落ち着けなかった。なぜなら引っ切り無しに誰かが訪ねてくるからだ。
ハイコの両親も来たしアナとカーフォード夫妻も来た。
とっても嬉しかった──とか、ありがとう──とか、有名人になっちゃたね──とか、遠くに行っちゃったみたいでちょっと淋しい──とか。みんな笑顔や半泣きで。
今はライトラー船長が来ている。握手されハグされキスされ、会えて光栄だよ──とか言われた。
「あの、さっきのおっきいクラッカー、綺麗でした。まるで不思議の国にいるみたいでした。ありがとうございました」
緊張していても英語だとつい恥ずかしいことまで言ってしまう。




