第8話 パーティー編9
ちょっと気になったが、詮索するのはやっぱり失礼だと思い、ハルカはハイコ達に訊くのをやめた。
「サインが欲しいんですか?」
黒スーツに羊の被りものをしたエミリオに突然話しかけられたハルカは、弾かれたように、「えっ?」と振り向いた。恥ずかしいのでチヒロの腕はもう離した。今はみんなで若干壁際に寄り、主催者の登場を待っている。
「今どこぞの海賊映画のキャプテンを見てたでしょう? ハルカがああいうのを好きだったなんて、なんか意外です」
どこか軽蔑しているような言い方だった。それが癇に障ったハルカはつんとして、
「違うよ。映画も観たことないし。サインなんていらない」
サインをいらないというのは本当だった。嫌いという訳でもないが好きという訳でもない。というか、存在感オーラが強烈なので視界に入りたくない。
「でも、きっともうすぐハルカの方がたくさんの人にサインをくださいって言われるよ?」
白タキシードのハイコの台詞に疑問符が浮かぶ。
「どうして?」
「ハルカが主催者に呼ばれて挨拶をしたら、みんなハルカの顔を知ってしまうからね。みんなのハルカになってしまう……」
いきなりハイコが淋しそうにそっと肩を抱いてきた。すかさずエミリオがハイコに蹴りを入れ、引き剥がす。そしてエミリオはいつか聞いた台詞を吐いた。
「僕のハルカに触らないでください。ロリコンは特に」
「なっ!? 私はロリコンじゃないってばっ。それに勝手にハルカを所有物にするのはやめたまえ」
「ハルカは僕の所有物ですけど何か?」
「そっ、それは違うね。さっきハルカはチヒロを選んでいたではないか。それはどうしてかな?」
「あれは……。調教不足です」
「ちょっ!? なっ!?」
そんな二人の会話を、特に深く考えず淡々と聞き流していたら、黒い獣耳としっぽをつけたイギリス産業革命時代のコスプレをするチヒロに、話しかけられた。
「少し前に、特別な血を持った人間──つまりハルカちゃんが来るっていうことを、主催者に話したって言ったよね?」
部屋に入る前のことを思い出し、ハルカはチヒロを見上げて頷く。ハイコとエミリオはいつしかドイツ語で口論を始めていた。ハルカにはもう何を言っているのかさっぱり分からない。
「この中の何人かはもうその情報を知ってるんだけど、顔までは知らない。でもきっとみんな今すぐにでも見たいと思ってるよ。これも話したけど、ハルカちゃんがここに来たっていうことは、俺達みたいなヴァンパイアにとってはものすごく喜ばしいことだからね。だからハルカちゃんはもうすぐ“みんなのハルカちゃん”になる訳だ。あれだよ。慣れ親しんだクラスメイトが急にトップアイドルになっちゃうみたいな、そんな哀愁をハイコは感じてる訳だよ」
「へぇ……」
なんだか現実離れしている事態に、ハルカは上の空で微かに相槌を打った。
「挨拶、やりたくないなら無理しなくてもいいよ? 俺が断ってきてあげるからさ?」
「うーん……」
下を向いて考え込むハルカだが、すぐに答えは出た。
やる。
大勢の、しかも世界的に有名な人達ばかりの前に立つなんて、想像するだけで気分が悪くなるが、断って、VIP気取りのわがまま娘だと思われることの方が、気分が悪くなった。
「やる……」
下を向いたままぼそっと呟くと、慈しむように微笑んだチヒロが頭を撫でてきた。
「そっか。偉いよハルカちゃん。嫌なことから逃げないのは、すごく大事なことなんだよ?」
褒められたことがなんだか恥ずかしくて目を泳がせたハルカは、饒舌になった。
「でも挨拶って、何を言えばいいの? 英語じゃないとダメなの?」
「別に英語じゃなくても──」と答えようとしたチヒロを遮り、ハイコが割って入ってきた。もうエミリオとの口論は終わったようだ。
「大丈夫さハルカ。私が通訳してあげるから」
続いてエミリオも何か言ってくると思ったが、意外と何も言ってこなかった。
ハイコを見上げて、「ありがと……」と言うと、再びハイコがしゃべりだす。
「挨拶の内容はなんでもいいのだよ。とりあえず自己紹介とか──今思っていることとかでね。みんなハルカの姿を見れるだけで満足なんだから」
「そうそう。それにハルカちゃんの前に主催者と船長も挨拶するから、いちおう参考にするといいよ」
「ステージで思いきりこければ笑いが取れますよ?」
やっとしゃべったと思ったら憎まれ口だった。
とりあえずハルカはハイコとチヒロのアドバイスだけ頭に留め、エミリオのはスルーした。
今思っていること──というので、言っておきたいことが浮かんだ。しかしそれを言うのはかなり恥ずかしいことだった。自分にできるか分からない。でも、こういう場所だからこそ言えることでもあった。
この機会を逃したら、もしかしたら一生言えないかもしれない。
言おうか言うまいか考えあぐねていると、突然、一段と照明が暗くなり、楽団の演奏が極端に小さくなった。
一拍置いて、楽団がいるステージの下の、隅に設置されている半円形の小さめのステージに、スポットライトが灯った。それと同時に辺りから拍手や口笛が巻き起こる。ハルカもつられて拍手をすると、瞬きをした瞬間、スポットライトに照らされた棺桶型の演台の前に、一人の男性が現れた。
男性は、黒いマントに黒いシルクハットを被り、白い手袋をしていた。その姿は一見、執事や中世の伯爵などに見えるが、やはりなんとなく全体の雰囲気が怪しく、怪盗や怪人といった方がしっくりきた。
怪しい男性は突然、右手から勢いよくマントを開き、続いて左も同じように開いた。
「紳士淑女達よ! ようこそ我がハロウィンパーティーへ!」
その声はオペラ歌手のように大きくて、お腹に響いてきた。いちおう演台の上にマイクはあったが、今のはマイク無しの声だった。そして当たり前だが英語だった。
怪しい男性がマイクのスイッチを入れると、盛大になっていた拍手がいったん収まった。
「私がこのパーティーを主催している、ハロルド・イヴァン・ウェイホーカーでございます。おなじみの皆様も、お初にお目にかかる皆様も、どうぞよろしくお願い致します」
怪しい男性──主催者は、少し筋肉質で大柄な体つきをしていたが、瞳はつぶらで笑顔はむしろ愛らしく、まるで幼稚園の園長先生みたいだった。立派な口髭はカールしていてチャーミングだ。
「まず、今年もパーティーを開催できたことを、心から感謝いたします。それは一重に御来場くださった皆様のお蔭でございます。まことに──」
「ハルカ、どっちがいい?」
挨拶が続いている中、ハイコが話しかけてきた。ボーイが持つトレーに乗った2種類の飲み物を見て。
「オレンジとリンゴジュースだよ。これから乾杯があるからね」
ちょっと迷ったあと、ハルカはオレンジジュースが入った細長いグラスを取った。そのあとハイコはリンゴジュースを取り、「はい、エミリオ君」と、少し離れていたエミリオに手渡す。
「なんで僕がハルカの残りものなんですか」
いちおう受け取ったが、エミリオはご機嫌ななめなご様子。
「じゃあ交換する?」
ハルカが困り顔で言うと、
「いいです別に。それにどうせ飲むなら僕もシャンパンがいいです」
「ダメだよエミリオ君はまだ16歳なんだから」
それを言ったのはシャンパンを持ったハイコだ。
「これからは日本の法律に従ってもらうよって、前に言っただろう?」
「てゆーかおまえそれ被ってたらどっちにしろ飲めなくない?」
チヒロの疑問にエミリオは実践して答えた。羊の顎を少し上げて口を出し、そこにグラスを近づけて──。
「こうすれば飲めます」
上を向いてリンゴジュースを飲み始めた。すかさずチヒロのツッコミが入る。
「あほかっ! まだ乾杯してないのに」
「はいはいすみませーん」
エミリオの言い方は明らかにふざけていて反省の色がまったく窺えない。
「──ではそろそろグラスも回ったようなので、乾杯といきましょう」
そうこうしている間に乾杯が始まろうとしてた。
主催者が胸の高さにグラスを持つと、乗客達も同じ仕草をした。もちろんハイコとチヒロも。エミリオは──いつの間にか壁に寄り掛かり、何を考えているのかグラスは下げたまま。
ハルカが緊張気味にグラスを胸の位置で持った時、主催者が声を張り上げた。
「トリック・オア・トリート!」
ハルカが、えぇー? それが掛け声? と脱力気味のカルチャーショックを受けている間に、乗客の、「トリック・オア・トリート!」が大音量でホールに響き渡った。そしてグラスをぶつける音も。
(トリック・オア……トリート……)
恥ずかしいので心中でそっと呟いたハルカは、グラスを主催者へ少しだけ掲げた。
「ハルカ」
呼ばれたので振り向くと、ハイコが柔らかな笑顔でグラスを掲げてきていた。恥ずかしがりながら近づけ、軽くぶつけ合うと、そこにチヒロも加わった。
そのあとみんなでエミリオの方を見ると──エミリオはポケットに両手を入れて足を組み、まだ壁に寄り掛かっていた。グラスはすでにもう空で、横のテーブルに置いてあった。
その一匹狼的な雰囲気は、この船に乗った直後と似ていた。やはりエミリオは様子がおかしい。
「おまえなぁ……」
「まったくエミリオ君は……」
チヒロとハイコは呆れ気味にぼやいたが、叱ったりはしなかった。
二人がグラスに口をつけたので、ハルカもオレンジジュースを少しだけ飲んだ。
その頃ステージでは、主催者に呼ばれた船長が挨拶を始めていた。
船長の名前はジョン・ライトラーというらしい。恰幅の良い白人男性だった。彼がヴァンパイアだというのは、主催者同様シフトで現れたのでハルカにも分かった。
コミカルな人で、いくつかギャグやジョークを交えた手品を披露し、最後にはカラーコーン並のクラッカーを登場させ、大砲のような破裂音と共にホールいっぱいに虹色の光りを降らせた。
1週間前、お祭りの時にペンギン滑り台の中で見たエメラルドの光りも混じっていた。
まさに夢と魔法。おとぎ話の世界にいるみたいだった。両手を広げて上を見上げ、くるくるはしゃぎ回っている子供もいる。
ハルカが虹色の光りに見とれているうちに、ライトラー船長の挨拶は終わった。ステージ上には再び主催者──ウェイホーカーが現れ、ライトラー船長に敬意を表す言葉をいくつか述べたあと、急に改まった雰囲気になって、
「えー、私、実は本日とても緊張しております。それはですね……今日、この会場に──」
そこでいきなり、ホールのところどころから拍手や口笛、歓声が巻き起こった。あの海賊映画の船長も明るい顔で拍手している。
拍手をしていない人はその人達を見て、いったいなんなんだ? という表情をしていた。




