第8話 パーティー編3
「発動者がシフトしたい“空間を”イメージで区切り、認識します。バッグの中身を確認する必要はなく、あくまで“そこにバッグがあることを理解する”ことが大切なんです。あとは目的地の空間を現在地に呼び寄せ、現在地の空間を目的地に飛ばせばシフト完了です。空間に歪みと矛盾が発生しないのは、結局“増えても減ってもいない”からです。また発動者に直接触れる必要があるのは、魂を繋ぎとめる為です。触れることでリンクが完成し、“一つの塊”になるんです。一度のシフトで魂は“一つ”しか運べないので、触れずにシフトを実行してしまったら、失敗して取り残されるか、魂のない状態でシフトされます。後に魂が戻る人もいますが、戻らない人もいます。ちなみに使い魔が触れないでも無事にシフトできるのは、マスターと魂の契約をしているからです。初級編は以上です。分かりましたか?」
なんだか久しぶりにたくさんエミリオの声を聞いた気がした。学校では隣の席なのに変な感じだった。
「うん……。いちおう」
自信なげに頷くと、チヒロがエミリオの肩にフレンドリーに腕を回した。
「それにしてもさすがだな。エミリオってシフトの成績良かっただろ? 優等生?」
「牧野とヴェインリッヒより上手いことは確かですけど何か?」
チヒロの腕を払い、エミリオは憎まれ口をたたいた。
「おっまえ、いちいちムカつく言い方を……。魔法陣苦手なくせにぃ」
今度はチヒロがからかうようにエミリオの顎の下を触った。……猫を撫でるみたいに。
エミリオも猫みたいに嫌がり、チヒロから顔を背けている。時折猫パンチが飛び出す。
「そんなの知らなくても問題ありませんっ。魔法陣が得意な奴は暇人なんですよ。引きこもりですっ。根暗です!」
「意地張るなって。教えてやろうか? あん?」
チヒロの言い方はまるで不良だった。見ようによってはカツアゲをしているようにも見える。
そんな二人の前を歩いていたハルカは、横のハイコに問い掛けてみた。
「ハイコ先生、魔法陣ってどういう時に使うの?」
こういう話しを気兼ねなく堂々とできるのも、この船ならではだろう。乗客乗員共に人間は一割にも満たないし、もし聞かれても意味を知っているので怪訝な顔などされない。
「特に強力な魔法を使う時とか、継続して使いたい時とかによく使うね。あとタイマーみたいに発動時間を調整できたりもするから、便利だよ? その代わり一番高度な技術を必要としてる。たとえば、魔法を使うだけなら念じるだけでできるんだ。こんな風にね」
その時ハルカの小さなショルダーバッグが胸の位置までふわりと浮き上がった。エメラルドの光りに包まれている。
バッグから光りが消え、元の位置に戻ると、
「できることはできるけれど、威力も精度も弱いんだ。グレードを上げるには呪文が必要になる。さらにグレードを上げるには魔法陣が必要になる。これは攻撃、防御、細工、その他──すべてに言えることなんだよ」
「へぇ……。なんかすごいね」
思わず感心したハルカはちょっとおしゃべりになる。
「ハイコ先生は何が得意?」
「私は……どれもイマイチかな」
苦笑いをするハイコの肩にとまった空色の小鳥──エリザベスが話しに加わる。
「そんなことないよ! ハイコはやればできるんだよ。自信持って!」
「エリザベス……ありがとう!」
涙目で頬擦りするハイコを見ていたら、ほのぼのした気持ちになった。もしかしたら微笑っていたかもしれない。
ハルカがほのぼのしているのに、後ろでは炎属性 vs 雷属性のバトルが開始されていた。お互いを攻撃して傷つけ合っている訳ではなく、“どっちが早く完璧な球体を作れるか”とか、“どっちがより美しい光を作れるか”とか、そんな芸術的戦いだった。
観客は一匹の巨大な三毛猫──社長。
エミリオの様子はいつもと同じだった。ハルカはただの杞憂だったということにしたが、それでもやっぱりなんとなく気になっていた。
スイートに宿泊している客とその連れしか入ることができない、一番位置の高いPデッキに出ると、一気に潮の香りが濃くなった。
風は冷たいが緩やかで、視界は360度水平線だった。イギリスのとある港を出航し、現在スリーピング・キャット号はアイルランド沖を航行中だそうだ。このままニューヨークへ向かうらしい。ハルカ達は学校があるので明日帰るが。
船首の一番前ではバカップルと思われる二人組みが、実在した豪華客船の処女航海から沈没までを描いた恋愛パニック映画の有名なワンシーンを、再現していた。あの船もスリーピング・キャットも船籍と目的地が同じというのが、なんとも皮肉だった。
「このパーティーは世界中の海上で開催されてて、毎年メイン会場が変わるんだよ?」
柵に背中を預けて両腕を乗せ、少し癖のある黒髪を風になびかせながら、チヒロが気持ち良さそうに穏やかに言う。
「メイン会場は著名人とか有名人とか主催者の親類とか、VIPしか入れないようになってるんだ。そして今年のメイン会場はここ、スリーピング・キャット号。だからほら、あんなヴァンパイアもいたりする」
チヒロが視線を向けた先には、恋人らしき女性と仲良く話す、世界的に有名なホテル王がいた。ハルカもテレビで何度か見たことがある。
「あの人ヴァンパイアだったの?」
ぎょっとしつつも落ち着いてチヒロに訊いてみると、
「そうだよ。“触ったことはない”けどね。有名だよ」
小首を傾げると、
「ヴァンパイアは触ると分かるんだよ。相手が人間かヴァンパイアか」
「へぇー……」
またもやハルカは感心していた。ヴァンパイアの新たな事実に。そしてふと気づいたことが浮かぶ。
「そういえば、わたし達はVIPじゃないのにどうして入れたの? ハイコ先生がVIPなの?」
ハルカ達はハイコ個人の招待客として来ているので、ハイコがVIPでないとおかしいということになる。しかしハイコはただの高校教師ではないのか? という疑問も出てくる。
「それは──」
そこでチヒロは、同じく隣で海の方を見ながら束ねたプラチナブロンドをなびかせている、ハイコを見た。ハイコはぎくっとなったようにさりげなくそっぽを向いてしまった。
「“もうすぐ分かるよ”」
微笑むチヒロ。
“すべてはそのうち分かる”から微妙に変わった。
まぁ、もうすぐ分かるのだろう。
ハルカはあまり詮索しないようにした。
「ハルカ、次はどうする?」
「うーん……。じゃあ黒に5ポンド」
「俺は奇数に8ポンド! エミリオは?」
「みんなチマチマしすぎです。赤の8に50」
「おまえ……意外とギャンブラーだな……」
Pデッキを後にした一行はカジノを楽しんでいた。初心者でも遊び易いというルーレットで。
日本では体験できないことなので、遊んでみたい? というハイコの誘いに、ハルカは乗ったのだった。
もしもこの船が日本船籍だったら、たとえ日本の領海外でもカジノをしたら犯罪になる。しかしこの船はイギリス船籍なので何も問題はない。未成年も保護者同伴なら遊ぶことができるのだ。
ちなみにカジノエリア全体の床には、カジノエリアだけ効果が及ぶヴァンパイア能力使用不能魔法陣が施されている。うっすらと絨毯が白く光っているのがそれだ。これは客とディーラー双方のイカサマ防止用だという。
エミリオがまさかの一人勝ちを収めた時、ハルカは右の脇腹の突然の感触に、「きゃぁ!」と悲鳴を上げ、急いで左側に身体を倒した。左隣にはハイコが座っていてうまく支えてくれたので、なんとか椅子からずり落ちずに済んだ。
「ハッ、ハルカ大丈夫かい?」
ハイコは動揺しているようだったが、ハルカだってびっくりした。いったい誰だ脇腹(弱点)を突いたのは──とハルカが後ろを振り返ると、そこには心配そうにおろおろとこっちを見つめる、かわいらしいクリーム色のボブヘアー少女が立っていた。ピンクの花のヘアピンをしている。
ハルカは目を見張り、そっと少女の名を呼ぶ。
「アナ……?」
その瞬間、少女が飛び付いてきた。
「ハルカお姉ちゃん! ゴめンね? びックリした? だいスっき! 天ぷラ?」
天ぷらが好きなのかハルカが好きなのかは謎だが、アナは日本語をしゃべっていた。確かに、しゃべっていた。
「ハルカ、知り合いかい?」
首を傾げるハイコにハルカはアナを紹介しようとしたが、エミリオがアナを抱きしめて遮った。
「ロリコンはあんまり見ないでください。お金取りますよ?」
「だから私はロリコンじゃ──!」
ハイコの文句も聞いていないようなエミリオは、アナとフィンランド語で何か話しだした。言ってることは分からなくても、なにやらエミリオは酷く驚いているようだった。アナの方も想定外という顔をしていたので、兄妹の再会は偶然だったようだ。
今気づいたが、アナのカーディガンのポケットからアナの使い魔──白うさぎのシュネーが顔を出していた。シュネーはハルカを見つけると短い前足を少し振った。ハルカは驚いて一瞬固まったあと、小さく手を振り返した。初めて会った時はあんなに怯えていたのに、向こうから手を振ってくれるなんて……。
距離が縮まった事実にハルカの心はあったかくなった。
その時スロット台の向こうから一組の男女が慌てた様子で駆けてきた。二人はアナの今の両親のような存在、カーフォード夫妻だった。カーフォード夫妻はまずアナを抱きしめキスをして、エミリオを見つけるとぎょっとしてから同じことをし、続いてハルカにも同じことをした。
それからは説明、説明の連続だった。主にハイコとチヒロが質問し、カーフォード夫妻が答えるという形の。言語は英語だったのでハルカにも理解できた。エミリオとアナの過去など込み入った話しはしていなかった。……そんなことこんなところで話す訳もないけれど。
食事に行くと言ってアナ達が去ったあとも、懐かしい面々に出会えた。前にハイコのピンチを救ったチャーリーと魚型使い魔のマリアンヌ。それから治癒術で助けてくれたセシリア。ローマでお世話になったトネットとその彼氏さん。
みんな誰かしらの招待で来たらしい。そしてハイコ達はチャーリーとセシリアが来ることは知っていたらしい。
緊張の連続の挨拶が終わり、みんなと手を振って別れると、ハルカはしばしぼーっとした。頭がオーバーヒートしそうだった。なんだか一気にいろんなことがありすぎて。頭の処理が追い付かない。
やっと落ち着いてきた時、エミリオに訊きたいことが浮かんだ。
「アナって日本語練習してるの?」
いつの間にか大量に増えたチップを弄びながら、エミリオが答える。
「してますよ。ハルカと話しがしたいからだって」
「そうなんだ……」
なんだか嬉し恥ずかしだった。無意味に1ポンドチップをいじり足をぶらぶらさせてしまう。
「でも、まだまだ全然下手で困ります」
今日、初めてエミリオが微笑った。
「AとKのフルハウス」
興奮するでも自慢するでもなく、エミリオは淡々とカードをテーブルに広げた。
「おまっ! すげっ!」
「乗ってるねー、エミリオ君」
「そうでもないです」
称賛する二人にもエミリオは淡々と返す。
ハルカ達はルーレットを離れ、カードゲームをするテーブルへとやってきていた。そこでポーカーをしている最中だった。




