第7話 15
「きっとお父さんは不器用で、ハルカに成績の期待を寄せることが愛情だと思っているのだよ。期待を寄せるということは、同時に信じているということでもあるからね。もしかしたら言葉が足りないから、期待を寄せることで、ハルカが愛情を感じていると勘違いしているのかもしれないよ? それにきっと照れ屋さんだから、上手く愛情を伝えることができないのだよ。そのかわりに、いつもハルカを信じて期待する。ハルカに希望を託す。それがお父さんなりの愛情なのだよ。だから期待を裏切ってしまっても、そんなに落ち込んだりすることはないよ? そんなことくらいで、実の娘に対する父親の愛情は、消えたりしないものだからね。だって本当にハルカが嫌いなら、チヒロみたいなカウンセラーを、時間を裂いてまでわざわざ見つけてきたりはしないだろう?」
ハルカは伏し目がちになり、何か考え込むように再び屋外を向いてしまった。
何かまずいことでも言ってしまったのだろうか──と焦ったハイコだが、ハルカが小さく、「……うん」と頷いたので、ホッとする。
それ以上ハルカの言葉が続かないので、ハイコは続ける。
「それから現代語のことだけど、あの日はローマから帰って来てすぐだったんだ。大変なことの後だったのだから実力が出せないのは当たり前だよ。だから気にしないでいいと思うな、私は。だって、突然外国に飛ばされて、テスト勉強も出来なかったし、いろいろ疲れたはずなのに、3教科も満点を取ったのだよ? マーベラス! 素晴らしいよハルカ」
そこでハイコは立ち上がり、ハルカの傍にしゃがんで、ハルカのまっすぐでさらさらな前髪を撫でた。今度は逃げられなかったのでホッとする。
「よくがんばったねぇ。偉い偉い」
ハルカは不意を食らったような顔をしていた。大きな瞳が愛らしい。
手を降ろしたハイコはその手をぐっと握り、
「がんばり屋さんのハルカに私は協力がしたい!」
「きょうりょく?」
きょとんとなっているハルカにハイコは明るい口調で、
「そう! 協力さ。期末試験ではお父さんを見返そうではないか。状態の良くない時にあんな高得点が取れるのだ。次は全教科満点アーンド学年トップは間違いなしさっ。私はハルカにできる限りのことをするよ? ハルカが話し掛けにくい先生には私から話し掛けてあげるから、遠慮せずに言ってくれ給え。それから、後で去年の期末試験の問題をコピーしておくよ。一緒にがんばろう、ねっ?」
年甲斐も無く、幼児を相手にしているかのようにハイコは笑顔で首を横に傾けた。ハルカの前だと、止まらない。自分らしさを止められない。
やっぱり、恋愛は追い掛けられるより、追い掛ける方が性に合っている。もっと、もっとハルカに近付きたい。
「去年のじゃなくて、今年のができたらそれコピーしてきて?」
「え」
汚れなき瞳のアンモラルな要求に思わずフリーズするハイコ。
「そっ! それはいくらなんでも──!」
突然、止まっていた映像を早送りするみたいにあたふたして言ったら、ハルカは斜め下を向いて、
「嘘だよ……」
……え?
ハイコは自分の耳を疑った。
その声には微かに吐息が混じっていた。つまり──今ハルカは微笑ったのだ。しかし、非常に残念なことにハイコはその貴重な瞬間を見逃してしまった。
「ハッ、ハルカ今微笑った!?」
ハルカの肩を掴んで堰切ったように訊くと、ハルカは目を合わせないまま、あっさりと返してきた。
「気のせいじゃない?」
「いやいや絶対に微笑ってたよ! もう一度見せて欲しいなぁ。見逃してしまったのだよ」
悔しさが伝わるように言ったら、ハルカがこっちを向いた。微笑ってくれるのかと思って期待したら、ハルカは自分の唇の端と端に人差し指を当て、くにっと上に押し上げた。……微笑ってるみたいに見える。
ハルカがこんなお茶目なことをするなんて……。
込み上げてくる笑いに素直に従ったハイコは、遠慮なく大きな声で笑いだした。お腹を抱えながら横目でハルカを見ると、ハルカは指を降ろし、不思議そうにこっちを見つめていた。想定外の反応だったのだろう。
「これって笑うところ? お礼を言うところじゃないの?」
小首を傾けるハルカ。その仕草は小動物みたいでなんともかわいらしい。
「そっ、そうだったね。ごっ、ごめんごめん」
なんとか笑いを堪えたハイコは、とびきり甘い声で、「……貴重なものを見せて頂き、ありがとうございます、ハルカお嬢様」と言って目を細める。するとハルカはふいっとそっぽを向いてしまった。
「あっ、あれっ? ハルカ? 怒ったのかい!? どっ、どうして!?」
あわあわとハルカの様子を窺いながら、ハイコは改めて思った。
ハルカを喜ばせるのは……難しい……!
「あっ」
不意にハルカが何かに気付いたように、小さな声を上げた。
「雨やんだ」
暗い外を見ると、街灯を映す真っ黒い鏡のような水溜まりは、しんとしている。一滴の雨粒もはじいていない。
「ホントだ。じゃあ花火はやるね」
何気なく言ったら、ハルカがまた、「あっ」と声を上げた。今度のは先程より大きい。
「今何時? ケータイの充電切れちゃって」
「7時半だけど──どうかしたかい?」
両親からプレゼントされたお気に入りの腕時計を見ながら訊いたら、
「8時に神社で待ち合わせしてるの。2人ずつで行動することになったんだけど、花火はみんな一緒に見るんだって。……でもその前にリュウト探さないと。途中ではぐれちゃったから」
そう言って立ち上がり、腰を屈めて出て行くハルカを見て、ハイコの胸はチクリと痛んだ。ハルカの口からリュウトの名前が出た瞬間、雨が降る前神社の鳥居の下で2人が抱き合っていたことを思い出してしまったのだ。
あの時ハイコは、使い魔のエリザベスと共に鎮守の森の陰にいた。ハルカを守るといってもストーカーの如く常に様子を窺うのはプライバシーの侵害になるので、追い掛けたりはせず、適当にぶらぶらしているつもりだった。2人を見てしまったのはまったくの偶然だったのだ。
いったい何があったのか? 告白なのか? だとしたらハルカの返事は?
それらが気になってしょうがないハイコだったが、本人には訊けなかった。
雷鳴を消す為に張っていた風の魔法──シュトゥルムの展開を終了したハイコは、自分も出てハルカの背中に声を掛けた。
「私も手伝っていいかい?」
「うん」
振り向いたハルカの表情に煩わしさはなかったので、ハイコは心底ホッとする。
◆
ハイコの携帯電話を借りてリュウトに電話を掛けてみたが、繋がらなかった。自力で探すしかない。きっとリュウトも探してくれているのですぐ見つかると思うし、見つからなくても8時に神社に行けば会える。だからそんなに慌てる必要はないと、ハルカは思った。
それでも、再び人で賑わい始めた屋台と提灯に囲まれた明るい道を、ハルカはキョロキョロしながら歩いた。
「知っていたかい?」
ふと、機嫌の良さそうなハイコが話し掛けてきた。
「フランクフルト屋台のソーセージは、すべてフランクフルトから直輸入しているのだよ? 前にチヒロが教えてくれたのだ。いやぁ~、ドイツと日本はこんなところでも繋がっていたのだね」
ハイコは得意げだ。
知らなかったハルカはつい感心してしまいそうになったが……見てしまった。フランクフルト屋台の目立つところに“国産”というポップが貼られているのを。しかもものすごく自慢げに。
「……それってたぶんチヒロ先生に騙されたんだよ。──ほら」
あまり傷付けないように気をつけながら言ってフランクフルト屋台を指差したら、ハイコは立ち止まって目を丸くし、フリーズしてしまった。国産ポップを見つけたのだろう。
「せんせ?」
再生ボタンを押すように、ハルカは仕方なくハイコの二の腕辺りをぽんぽん叩いた。するとハイコは元に戻って、
「あっ、ごっ、ごめん。なんでもないよ?」
動揺している様子から、ハイコにとってはかなりのショックだったらしい。
ハルカはつい微笑んでしまいそうになった。ハイコの言動は愉快で飽きない。バカだけど、それがハイコの個性で良いところでもあると、ハルカは気がついた。チヒロもきっとそんなハイコが好きだからこそ、からかいたくなったのだろう。
「せっかくお祭りに来たのだから何か買おうではないか。ハルカは初めてなんだよね? 何が食べてみたい? イチゴ飴? チョコバナナ?」
ハイコは立ち直ったようだ。決して悪態をつかない寛大なところがハイコらしい。そしてそんなところがハルカは……──。
「うーん……」
ハルカは唸りながら屋台を見回した。確かに生まれて初めてお祭りに来ている訳だし、何か一つくらいは買ってみたい。
しかし、イチゴ飴もチョコバナナも、焼きそばもたこ焼きも見たこともない食べ物も、ついでにフランクフルトも、特に食べる気がしない。
ふとハルカの目に、“氷”という赤い文字が目立つ、白地に青い波の描かれた小さな幟が映る。
「かき氷……」
「んっ?」
聞こえない程小さい声で呟いたら、ハイコに訊き返された。無理もない。辺りはお囃子や人の声、発電機の音で溢れている。
「かき氷が食べてみたい」
今度は普段の声量で言い、ハイコを見上げる。
お祭りのかき氷は、小さい頃から一度食べてみたかった。ただの氷にシロップをかけただけなのに、なぜか昔から大多数に支持されている謎の食べ物。
スーパーやコンビニで売っているものは食べたことがあるが、“本場もの”は初めてだった。はたしてどんな感じなのか。今日は暑いからちょうどいい。
「そっかかき氷かぁ。やっぱり定番ものは押さえておきたいよねぇ。じゃあ行こうか?」
差し出されたハイコの左手を、ハルカはじっと見つめた。少し前にリュウトにも同じことをされたのを思い出したのだ。
あの時は、いつまでも掴まなかったからリュウトを傷つけてしまった。
……今度は、傷つけたくない。
ハルカはすっとハイコの左手を掴んだ。するとハイコも握り返してきた。
「また混んできたみたいだから、はぐれないように気をつけてね?」
ハルカはこくりと頷いた。
かき氷屋台に着いてハルカがまず不思議に思ったのは、“ブルーハワイ”と書かれたビンの中の青い液体だ。
他は分かる。イチゴは赤で問題ないし、レモンは黄色、メロンは緑で違和感ない。
(ブルーハワイ? ……ハワイ?)
味を想像するが無理だった。それでもなんとなく海を連想したハルカは、きっと塩味なのだと思った。
「何にするハルカ? 私はブルーハワイにするよ」
「それってどんな味?」
思わず口をついて出てしまった。




