第7話 7
「何やってるんですかっ」
外に出たエミリオはアスファルトを歩きながらハルカに毒づく。
「誘拐されて監禁されて酷いことされて、あげく殺されたらどうするんですか!」
「まさか」
ハルカには緊張感がない。
「ミルクティーのボタン押したのになぜかコーヒーが出てきちゃって、困ってたらあの人がお金と交換してくれたんだよ。それで、またお金入れて何にしようか迷ってたら、エミリオが来たんだよ。だからたぶん今あの人困ってるよ? お金どうしようって」
「……つまり僕はあんな奴におごってあげたことになる訳ですか」
最悪だ。気色悪い。
イライラして言うと、上目遣いで怯えたようにこっちを見たハルカが申し訳なさそうに、
「……後で返すから」
その勘違い振りにイライラは増す。
「お金に怒ってる訳じゃないんです」
エミリオは少し乱暴にハルカの顎を掴んだ。そして黒い双眸を真剣に見つめ、声に力を込めて、
「あんな怪しい奴とは二度と話すな。OK?」
ハルカは気圧されたようになっていたが、やがて小さな声でぽつりと呟いた。
「……分かった」
それを聞いてハルカを放したエミリオは、とりあえず安堵のため息をつき、右手を繋ぎ直し、アスファルトを歩き出した。
ハルカが無事でよかった。もしもハルカが6年前のアナのように、自分が目を離したことが原因で酷い目に遭ってしまっていたら……。
そんなことは想像しただけで目の前が真っ暗になる。
ハルカは入学金の高い私立に通っているし、超高層タワーマンションの上層階に住んでいるし、いわゆる世間知らずのお嬢様なのかもしれない。
自分が傍にいて見張っていないと、不安だ。
異性として好きとか愛してるとかとは、少し違う。大切な存在というのに変わりはないが、これはもっと上位の特殊な感情だ。
ハルカの一挙一動がいちいち気になるし、誰かがハルカの心や身体に触れたりするのを見ると、異性だろうが同性だろうが腹が立つ。それを拒絶しないハルカを見るとさらに腹が立つ。
ハルカが他の誰かに変えられてしまうことを想像すると……胸が苦しい。
自分にだけ優しくして欲しい。自分にだけ笑顔を見せて欲しい。自分だけを頼って欲しい。
いつだって、自分だけがハルカの特別でありたい。
(ハルカには僕だけしか見えなければいいのに……)
右側のハルカを赤眼でちらっと盗み見たエミリオは、そんな歪んだ発想をなんの躊躇いもなく思った。
狂っていようが関係ない。だって、本当にそうなればいいって、思ったのだから。
◆
土曜日は散々だった。ハイコ達にピアノは聞かれるはド忘れのせいで恥ずかしい思いはするはピアノに頭をぶつけるは──しかもエミリオに東京中を引っ張り回されるはで。
月曜日。朝のホームルーム中。ハルカは頬杖をつき、ハイコが点呼を取る声をぼんやり聞きながら、一昨日のことを思い出していた。
バッティングセンターの後エミリオは突然、秋葉原に行ってみたい──と言い出したのだ。初めて行く場所へはシフトができないので、電車で行った。そしてその後は、池袋、原宿、渋谷──の順に回った。
東京はマンション周辺のお台場と学園しかまだ行ったことがなかったので、ハルカにとっては臨時の都内観光になった。
が、しかし。体力的にも精神的にも、ものすごく疲れたのだった。
最初の秋葉原では終始妙な視線を感じたし、あげくなぜかまったく知らない人に写真をせがまれた。エミリオとツーショットで。もちろん断ったが。
ハルカはそれを100%エミリオのせいにした。外人だし白髪だし眼帯だし赤眼だし、なんだかんだで美少年だし、目立ち過ぎなのだエミリオは。芸能人並のオーラがある。
帽子を被って来ればよかった──とぼやいたエミリオは、途中、大型量販店で黒い帽子を買っていた。
ゲームや漫画、アニメDVD、キャラクターグッズ、フィギュアなどが並ぶ店や、何の変哲もない普通の歩道でメイド服の女の人がチラシを配っているのを見て、ハルカはここは自分のいるべき場所ではない──と、あの時本能で悟った。
池袋では卓球とボウリングをやり、体力的に疲れた。軽い貧血気味だったハルカはこの時点でへろへろだ。それなのにエミリオはまだハルカを連れ回した。……次はインターネットカフェの個室でオンラインゲームだったのでホッとしたが。
その次は原宿でクレープを食べ、雑貨屋やペットショップを見て回り、最後に渋谷に行った。……この時すでに午後10時を回っていたが、何も持って来てなかったハルカに為す術はなかった。
渋谷のゲームセンターでは、曲に合わせてリズムよく太鼓を叩いて得点を競い合う、音感ゲームというものをやった。お互い初めてだったのになぜかハルカは異常な程ボロ負けだ。
ピアノは上手いくせに太鼓は破滅的ですね。
そんなことを鼻で笑われながら言われたハルカはむっとして、1回くらいは勝ちたいと思い、自分でも驚くくらいムキになってやっていた。
そしたら。
腕章を付けた補導員らしき大人の男の人数人に、早く帰りなさいと注意されてしまった。その時店内のデジタル時計は23時45分を表示していた。そんな遅い時間まで遊んでいたのは生まれて初めてだった。見えない大人専用の階段を不本意ながらも上ってしまった気がしたハルカは、自分がものすごく悪い子に思えてきた。
怒られるのは嫌だし、ハルカは素直にしおらしく、ごめんなさいと大人達に謝った。大人達は冷厳で威圧的な態度から一変、急に柔らかで親しみ易い態度になり、ハルカの背中を優しく押して、駅まで連れて行ってあげる──と言った。
そこまでは平和的だったのだが……。抜群に機嫌の悪そうなエミリオが舌打ちをした後、突然、ハルカの背中を押す大人を一人、蹴り飛ばしたのだ。そしてハルカの手を引き、夜の渋谷を駆け抜けた。大人達は、公務執行妨害だの暴行罪だの東京都の条例がどうのこうのだのいろいろ言って追って来たが、狭い路地でエミリオがシフトしたので、結果追えなくなった。
これでやっと帰れる──と思ったら。エミリオは最後に、今日の思い出としてフォトシールが撮りたい──と言い出した。1枚撮ったら必ず帰してくれると言ったので、ハルカは嫌々ながらも従った。
太鼓のゲームをやったゲームセンターではなく、別のゲームセンターで撮った。
ハルカはどうせ笑わないから普通に撮ってもつまらない──そんなことを言ったエミリオが、ハルカに、撮影中はずっと目を閉じるように言ってきた。
かなり嫌な予感がしていたが、エミリオが満足そうに差し出す出来上がりを、ハルカは冷静に覗いてみた。
なにこれ。
その一言に尽きる。
驚いたというよりは呆れた。ものすごく誤解を招くような撮り方だった。
そのシールには、向かい合って目を閉じ、顔を近付け、片手を繋いでいるハルカとエミリオの全身が写っていた。そして問題の誤解ポイント。お互いの口元を隠すように添えられたエミリオの右手。
これじゃまるでキスしてるみたいじゃないか。
こんな恥ずかしいもの誰にも見せられない──と思っていた矢先、さっそく見られてしまった。
18歳未満が深夜にゲームセンターにいることは東京都青少年の健全な育成に関する条例で禁止されていますこのやろう。
息もつかずに言ってエミリオからシールを奪ったのはチヒロだ。もちろんハイコも一緒で、ハイコはいきなりハルカを抱きしめてきた。
やっと見つけたよハルカ! 心配したのだよ? 変質者に会わなかったかい? ダメな大人に話し掛けられなかったかい? 危ない目に遭わなかったかい?
とかなんとか、会えて嬉しそうに言っていた。変質者になら今リアルタイムで会っている──と思ったが、ハルカは言うのをやめた。
探してくれてたみたいだし。心配してくれてたみたいだし。
素直に嬉しかったので、黙っていることにした。
やがてハルカとエミリオが写っているシールを見たハイコは、苦手なものを目の前に差し出されたみたいに猛烈に後退り、後ろのクレーンゲームの筐体に激しく背中をぶつけていた(そして店員に怒られていた)。本当にハルカとエミリオがキスをしてるとでも思ったのだろう。しかしその誤解はハルカの説明によりすぐに解けた。
その後ハルカは晴れてマンションへ帰れたのだが、エミリオはたっぷりお説教を食らったらしい。ハルカを深夜まで連れ回した罪と、カウンセリングを1回潰した罪、それからハイコの料理を無駄にした罪、そして誤解を招くフォトシールを撮った罪。
はたしてあのエミリオが最後までおとなしく話しを聞いていたかは、ハルカには分からない。そしてあの日エミリオが本当にしたかったことも。
同年代と東京で遊んでみたかっただけなのか、それともただの気まぐれか──もしくはハルカを連れ回して嫌がらせをしたかっただけなのか。
「──カ? ハルカ? ハルカ姫? うわーん。朝から無視かい?」
情けないようなハイコの声が、ハルカを月曜日のホームルームへ連れ戻す。
頬杖をやめたハルカは顔を上げ、無感情に無表情に、
「なに?」
「何じゃないようハルカ。ちゃんと聞いてたかい?」
「全然」
その即答に悪意は無い。しかしハイコにとってはかなりのダメージだったようで、手をついて床に崩れた。
「ハ、ハルカが反抗期に入ってしまった……。こ、ここは教育者として成長を喜ぶべきか、それとも教育者だからこそ心を鬼にして今こそ嵐に迷う船を救うかの如く愛という名の導きの光を与え──」
また始まった……。ハルカがハイコの一人悲劇にうんざりしていると、リュウトが突っ込みを入れた。
「一人シェークスピア禁止ーっ! いいから早くテスト配ってよハイコちゃん。他のクラスはもう配ってるって」
「そ、そうだね」
ゆっくり立ち上がったハイコは木製教卓の上に積み上げられたプリントを手に取り、
「では出席番号順に取りに来てくれ給え」
ハルカは出席番号2番なのですぐに順番が回って来た。さっそく窓際から2列目の前から4番目の自分の席から立ち上がり、ハイコの元へ向かった。
ハイコはハルカに中間試験の答案用紙を渡す時、小さな声でこう言った。
「3つもパーフェクトがあったよ? 大変なことがあった後なのによくがんばったね」
全然よくない。ハルカは何も言わず答案用紙を受け取ると、踵を返して席へ戻った。
9教科もあったのに満点が“たったの”3つだなんて。最悪だ。
この学園では答案用紙を配るのに丸1日使うらしい。すべての教科を朝一気に担任が配り、採点ミスがあったら生徒は担任に返却し、担任はそれを、問題を作成した担当教師の元へそのまま届ける。1日で正確な点数を出し、次の日に正確な総合順位を発表する為だそうだ。




