第7話 2
それに知的そうだし、自分の考えをしっかり持ってそうだし、一緒にいると精神的に向上できる気がする。なにより他の女子には無い不思議なミステリアスさがある。目が勝手に追ってしまう魅力的な女子なのだ。
「おまえら他人の残したもん必死に食べたがるなんて変態だぞーっ?」と言いつつ、ハルカのカレーを完食したらハルカに褒めてもらえるのは確実だったので、リュウトはハルカのカレーに手を伸ばした。
案の定、「ずりぃー!」とか、「抜け駆けすんなよっ!」とか、「付き合ってる訳でもないのに彼氏面すんなよ」とか、ふざけ合いながら不満をいろいろ言ってきた。全員リュウトのよく知っている1年だが、席についてこっちを軽く睨んでいるのは──2・3年の先輩達だ。騒々しさに気分を害したという顔ではなく、リュウトがハルカと二人で昼食を摂っていることにご立腹──といった具合だ。恐らく“相澤ハルカファンクラブ”の幹部だ。
触らぬ神に祟りなし──。という訳で、リュウトはこの場を去ることにした。
自分のファンクラブがあるなんて知りもしない目の前のハルカを見ると、ハルカは居心地悪そうにしていた。どうしたらいいか分からないというように少し下を向き、ギャラリーとは目を合わせようとしない。かなり困惑している様子だ。
ハルカは自分がモテるからといって調子に乗ったり偉そうな態度をとったりはしない。女子の中には、対してかわいくもないのに希少さを逆手に取った女王様気取りの奴もいるけど、ハルカは全然違う。困惑した演技ではなく、本気でこの状況を嫌がっている。
思えばハルカは人が大勢集まる場所は好きじゃないように思える。リープ・シュテルンで食べようと誘ったのはリュウトだ。ハルカはすぐに承諾してくれたが、本当はここより人が少ないセントラルエリアの一般共用カフェ──ツチノコか、リープ・シュテルンの食事をテイクアウトして人気のない校舎の方で食べたかったはずだ。
(……なのに俺は……)
二人で昼食を摂れることに舞い上がり、ハルカへの気遣いを疎かにしてしまったことを、リュウトは悔やんだ。そして恥ずかしくなった。中間試験が終わって順位が発表されて一段落ついたら、告白リベンジするつもりだったのだが、今の自分のままだったらしない方がいい。こんなんじゃまた振られる。
おもむろに立ち上がったリュウトはハルカに手を差し出し、
「ごめん」
手を見つめたハルカはきょとんとしたように、「どうして?」と上目遣い。
膝の上のハルカの手を掴み(案の定、大ブーイングが巻き起こる)、リュウトはハルカを立ち上がらせ、はっきりとした声で、
「どうしてもっ! ごめん!」
そのままハルカを引っ張ってリープ・シュテルンの丸テーブルを縫うように走り、校舎に続く回廊に出た。
「うわっ!」
勢いよく飛び出したので誰かにぶつかってしまった。
「こらこら。廊下は走ってはいけないよ?──ってリュウトではないか。……おや? ハルカも?」
リュウト達の担任教師だった。今日もその長いプラチナブロンドを赤いリボンで一つに束ね、身体中から妙に高貴で華やかなオーラを発している。
一部の女子は彼氏がいるにも関わらず、よくハイコの周りを取り囲んで気を引こうとしたりしている。つまりハイコはモテるが、それを鼻に掛けたり驕ったりはしないし、いつも生徒の味方で能力差別や男女差別もしないし、優しいし親しみ易いし、人生相談にも乗ってくれたりする。
そんなハイコをリュウトは気に入っていた。
何も無いところで躓いたり、突然挙動不審になったり、意味不明な長台詞を言ったりするアホだが。
「……ハルカ? 顔色悪いみたいだけど──大丈夫かい?」
ハイコが少し屈み、心配そうに後ろのハルカを覗いた。リュウトも振り返ると、ハルカは吐きそうな顔で口に手を当てていた。
自分のせいだ……。
そんな気がしたリュウトはハイコに、
「ハイコちゃん、たぶん俺のせいだから保健室行ってくる」
「えっ?」というハイコの台詞を背後に、リュウトはハルカを気遣ってゆっくり保健室に向かった。
◆
食べ物作戦は大失敗だった。激辛ハバネロカレーは一口でギブアップだし、ブラックコーヒーなんかはリュウトがくれた水を大量に飲んだ後もずっと吐き気がした。もう両方共二度と口に入れる気になんてなれない。
なんだか自分のせいでリュウトに迷惑をかけてしまった気がするし、食べ物を粗末にしてしまったし、思い付きの実験なんてするもんじゃない──と、ハルカは自宅のリビングのソファーの上で反省していた。……チヒロのカウンセリング中にも関わらず。
「──ハルカちゃーん? 聞いてるー?」
斜め向かいに座るチヒロの問い掛けにハルカははっとして顔を上げる。
「聞いてるよ」
そして邪気の無い嘘をつく。
今日から毎週火曜日と土曜日はチヒロが家に来てカウンセリングをすることになった。もちろんハルカはカウンセリングが嫌いだが、チヒロは今までのカウンセラーとは違うし、父親に定時報告をしないと怪しまれるし、我慢した。
ちなみにチヒロの使い魔──三毛猫の社長は、ハイコの家にいる。ここでハルカが話したことは、父親への報告以外誰にも言わないと、チヒロは約束してくれた。
そのチヒロは困ったように、「うーん」と唸り声を上げ、
「やっぱりいろいろあって疲れてるよねぇ。じゃあ今日はもう終わりにして、ハイコの家行こうか?」
「……ホントに行くの?」
ハルカは乗り気じゃない。だって……。
「ははっ。行かなかったらハイコ泣くよ?」
チヒロは笑いながら続ける。
「なんかあいつすんごい買い込んでたし。張り切っちゃってたなぁ。何十人分作る気なんだかあのアホは」
そうなのだ。毎週火曜日と土曜日。その日のカウンセリングが終わったら、ハイコの家で手料理を食べることになったのだ。
元々は、ハルカの食生活を心配したハルカの父親がチヒロに頼んだことなのだが、それを聞いたハイコが料理は自分に任せて欲しいと役を勝手に買って出たのだ。
最初はハイコがハルカのマンションに来て作るというものだったが、カウンセリング中キッチンでガチャガチャ音を立てられては気が散るし、ハイコも自分のキッチンの方がやり易いということなので(……ハルカの家には料理用の調味料が無い)、ハルカがハイコの家に行くことになった。
しかしハルカはめんどくさいと思っていた。カウンセラーに家政を頼むなんて……。ちょっと父親を恨む。何を食べようと個人の自由じゃないか。
「育ち盛りなんだから栄養のあるもの食べないと。毎日冷凍食品とアイスだけじゃお父さんびっくりするよ?」
「……」
一時言葉に詰まったハルカだが、「アイスおいしいよ?」と自分でもよく分からないことを言った。
チヒロはショックと怒りの入り交じったような声で、「もっとおいしいもの世の中にいーっぱいあるから!」と言った後、
「“俺達みたいな大人”に関わったからにはもうそんな乱れた食生活は送らせないよ? さぁ行こう!」
ソファーから立ち上がってこちら側に来たチヒロは、有無を言わせぬ笑顔で手を差し出してきた。シフトする為だ。
ハルカは不満顔でその手を見つめた後、嫌々ながらも掴んだ。
もうどうにでもなれ。
(……あれ? ……おいしい……)
ハイコが作ったカニとサーモンのクリームソースパスタは思っていたよりおいしく、ハルカは心中で驚いた。その次に口にしたポテトとコーンとベーコンのチーズたっぷりピザも、有名デリバリー店のものよりずっとおいしい。
以前ハイコが“料理は得意──”と言っていたのを思い出し、あれが嘘ではなかったことを悟る。
しかし相変わらずあまのじゃくで、「どうかな?」と正面に座るハイコに味を訊かれても、「まずくはない」という左隣のエミリオの台詞をそのまま盗んで、「まずくはない」と答えた。
おいしいと言ったらハイコはきっと喜ぶ。ハイコの喜んだ顔は嫌いじゃない。でも……。なんだか素直になるのが恥ずかしい。エミリオが先に言ってくれてよかった。
「二人ってこういうところは似てるよなぁ。素直じゃないっていうかツンツンしてるっていうかぁ」
ハルカの斜め向かいに座るチヒロが頬杖をつき、興味深げに言った。そして隣で少し空気の抜けたようになっているハイコを励ますように肩を叩き、
「大丈夫だって! 二人共心の中じゃ絶対おいしいって思ってるから! ツンデレなんだよ!」
「そ、そうかな?」
ハイコに笑顔が戻った。……単純バカ。ツンデレの意味は分からなかったが、そう思わずにはいられない。
「そうだよ! しかもイタリアンにしたのは見たことあるやつの方が食べ易いって思ったんだろ? おまえの料理には愛がある! 世界一のな!」
そんな風にベタ褒めするチヒロも結局バカなのでは……?──とも思わずにはいられない。
でも……。二人共いろいろ考えてくれたのだろうか。偶然かもしれないがハルカの嫌いなものはこの中に無い。それに、パスタは熱いから気をつけてと言ってくれたし、ピザを取ろうとした時は取ってくれたし。
万が一火傷して、母親に食事を投げ付けられた時の記憶がフラッシュバックしないように、気を遣ってくれていたのだろうか。どろどろした熱いものは嫌いというのも、覚えてくれていたのだろうか。
そう思うと、なぜか泣きそうになった。悲しくもないのに胸の奥が痛む。
隣のエミリオはチヒロに茶化され、ついに大きな声で、「まずい!」と言った。悲劇のヒロインの如く大袈裟にショックを受けるハイコ。それを励ますチヒロ。使い魔達は気にせず食事に夢中。
……こんなに大勢で食べる賑やかな夕食は何年振りだろう。林間学校や修学旅行にも行ったことがないハルカにとっては、もしかしたら初めてかもしれなかった。この間フィンランドのエミリオの家でも大勢で夕食を摂ったが、あの時とは根本的に何かが違う。
これが“普通の夕食”なんだ。わたしは今まで、何を見てきたんだろう……。
2年前以前は恐怖。2年前からは孤独。
……本当は、淋しかったのかもしれない。偏食を叱り、一緒に食べてくれる人が、欲しかったのかもしれない。
「ハルカどうしたの?」
不意のエリザベスの問いに、ハルカは自分が泣いていることに気付いた。
「なっ、なんでもない。ちょっと目にゴミが……」
適当に言い繕って涙を拭いていると、皆が自分を見る気配を感じた。焦ったハルカは気まずくならないように話題を変えた。
「そういえば、エミリオはいつ入学するの?」
「来週の火曜日です」
そう言った左隣のエミリオが突然迫って来た。
「入学したら僕とハルカは付き合ってるってことにしませんか?」
「な、なんで?」
ハルカは座っていた白のクッションから離れ、フローリングに手をつきながら身を引いて尋ねる。




