第6話 14
「ずっと探していたのだよ? フィンランドにも行ったのだ……。でも見つからなくて……。もう二度と会えないかもしれないと思った時は、本当に……どうしようかと……。でもそれ以上に辛かったのは、金曜日、テヴェレ川の向こうにハルカを見つけたのに……ハルカは泣いていたのに……私はヴァンパイアだから、涙を拭きに行けなくて……。ごめんね……」
ハイコはフィンランドにまで行ったのだ。そして金曜日はテヴェレ川の向こうにいた。姿を見られていたのだ。泣いていたこともばれている。
そんな事実にハルカが驚き、身動き一つしないでいると、突然ハイコが、「いたっ」と声を上げ、ハルカから離れて右膝辺りを押さえ始めた。
「なっ、何をするのだエミリオ君!」
ハイコがエミリオに抗議している。どうやらエミリオがハイコを蹴り飛ばしたようだ。
「それはこっちの台詞です。くっつき過ぎです。なんか見てていらいらするんですよ」
「そっ、それで蹴ったというのかい!?」
「おぉ? ハルカ姫争奪戦か?」
相変わらず緊張感のないチヒロが茶化す。
(……なにそれ)
呆れたハルカだが、ハイコとチヒロに大事なことを訊かなければならないことを思い出した。
エミリオの怪我のことだ。
「だいたいヴェインリッヒはロリコンなんじゃないですか?」
腕を組むエミリオ。
「なっ!? いきなりなんてことを言うのだ!」
「四捨五入して30のくせに。じゃなきゃ変態です。どうせ学園の女子トイレ盗撮してるんでしょう?」
「しっ、失礼な! そんなことする訳ないだろう」
エミリオは鼻で嘲笑って、
「どうだか。あー、それとも男子トイレですか。あの学園は男子の方が多いみたいですしね。でもそれってある意味女子トイレよりいろいろとまずいんじゃないですか? 倫理的に」
「……いい加減にしないと怒るよエミリオ君?」
ハイコはそろそろ限界そうだ。
……なんだのだこの抵レベルな会話は。
その内容のくだらなさに脱力するも、ハルカは怖ず怖ずと切り出してみた。
「あ、あのさ──」
しかしハイコが必死そうに遮る。
「ハルカ! 違うからね!? 私はロリコンなどではないからね!? それに盗撮だって──」
「そんなことはどうでもいいから」
今度はハルカが遮る。煩わしげに。
「そっ、そんなこと!? どうでもいい……!?」
なにやらハイコはかなりのショックを受けたようだが、ハルカはどうフォローしていいのか分からず、本題を話し始めた。
「それより訊きたいことがあるの。……ハイコ先生とチヒロ先生は、エミリオの怪我と、何も関係ないよね……?」
一気にその場の空気が冷めた。ハルカは気まずさに下を向いてしまいそうになったが、なんとか顔を上げてハイコの碧い目をまっすぐ見つめた。見極める為に。
ハイコは呆気にとられたように固まっていたが、すぐに真面目な顔で、
「信じる信じないはハルカの自由だと思うけど、私は……信じて欲しいな。私もチヒロも、エミリオ君には何もしてないよ」
ハイコの碧い目からは確かに誠意が伝わってきた。その瞬間、纏わり付いていた疑惑が一気に消え去った。まるで曇天が澄み渡っていくように。
ハイコ先生は本当のことを言っている。嘘はついていない。
心労が一つ減って少し心が軽くなったハルカは、力が抜けたように下を向いて、「良かった……」とため息混じりに呟いた。しかしまたすぐ顔を上げ、
「でも謝らないと」
「なんで? むしろ謝るのはハルカちゃんを混乱させる嘘をついたクソガキ、エミリオでしょ?」
チヒロがエミリオの頭に手を置き、バスケットボールを掴むような仕草をした。エミリオはぶすっとした表情ですぐにそれをぱしっと払う。
ハルカは首を軽く横に振って、
「ううん。それはもういい。ただ……わたしが二人のこと疑ったのは本当だから、いちおう、ちゃんと謝りたい……。だって、エミリオの言ってることが本当かもしれないって、何回も思ったし……。そんなんじゃ、守ってくれる二人に失礼だから……。だから……、ごめんなさい」
ハルカは緊張しながらも、頷くように軽く頭を下げた。
「ハルカ……!」
感極まったようなハイコにまたもや抱きしめられた。今度はあまり痛くなかったが──さすがにちょっとうざい(……欧米育ちだったら仕方ないけれど)。
しかし、許してくれるのかと思ったらほっとして、ハルカはほんの少しだけ口元を緩めた。そんなハルカに気付いた者は──どうやらエミリオだけだった。なぜならハルカはエミリオの右しかない赤眼とばっちり目が合ってしまい、思い切り不機嫌そうに睨まれたから。
そんなエミリオがまたハイコを蹴り飛ばした。今度は回し蹴りで。遠心力で流れた白髪がエミリオの表情を隠す。「いっ!」と呻きハルカを放すハイコ。その時を見計らったのか、エミリオはハルカをちょっと乱暴に引っ張って自分の背中に隠した。
「どうやらドイツの他に、“身近なセクハラヴァンパイア”からもハルカを守らなければならないようです」
「ははっ。セクハラだって」と軽い感じに笑った後、チヒロは厳しい顔でエミリオを見下ろし、
「おまえハルカちゃんになんか言うことあるんじゃないの? 嘘ついてさぁ。ハルカちゃんはな、やっとハイコっていう大人を信じかけてたんだよ。なのにおまえが最悪なタイミングで最悪な嘘つくから台なしだよ。ちゃんと謝れよ。ハルカちゃんは謝らなくてもいいことまで謝ったんだぞ? いいのかよ男として?」
「べ、別にいいよチヒロ先生」
ハルカはエミリオの後ろから怖ず怖ずと、困ったように言う。
疑惑は晴れたし、ハルカにとってエミリオの謝罪はもう重要ではなかった。
エミリオは少し考えるように黙った後、らしくない暗くぼそっとした声で、
「確かにこれをやったのは──」
エミリオは左目を隠す医療用の白い眼帯を指先で軽く触れ、
「ドイツのムカつくヴァンパイアで、牧野でもヴェインリッヒでもないし、僕は嘘をついたけど、謝る気はないよ。……騙される方が悪いんだ。それに本人が別にいいって言ってるんだからいいじゃないですか」
まるでふて腐れたようなエミリオ。
「何捻くれてんだよ? てゆーかエミリオにもそんなかわいいところがあったんだ」
チヒロが意地悪っぽく嘲笑う。
「っ!」
エミリオはチヒロをキッと睨み、ハルカの手を掴んで、そのまま引っ張って歩き、置きっぱなしだった、トネットから貰った服と白うさぎのシュネーが入ったハルカのボストンバッグを拾って、
「妹の使い魔を妹に返して来ます。その後ちゃんとハルカと日本に行きますので、ご心配なく。ハルカは密入国だし、どうせ二人は飛行機で来たんでしょう? だったらこの方法しか無いと思うんですけど?」
「──まぁ、確かにそうだな」
そう言って考えるように腕を組んだチヒロが、
「そういやおまえって日本で寝泊まりするとこあんの?」
「……」
エミリオは下を向いて黙り込んでしまった。ハルカの手を掴む力が強くなる。
チヒロはそんなエミリオを偉そうに見下したりはせず、しょうがないな──というように苦笑して、「まったく、どうするつもりだったんだよ」と言ってハイコを見て、
「ここでまた俺から提案があるんだけど」
「なんだい?」
ハイコが訊く。チヒロはエミリオを見て、
「エミリオさ、ハイコが勤めてる学園の寮に住めば?」
「えぇっ!?」
驚きの声を上げたのはハイコだ。ハルカも目を丸くする。エミリオは警戒するように、上目遣いでチヒロを見上げていた。
「そそそ、それって、エミリオ君がセント・エーデルワイスの生徒になるということかい?」
チヒロは呆れたように、
「当たり前だろ? なんで部外者が寮に住めるんだよ。年もちょうどいいし、あとは個人情報をちょちょっといじくってやれば、問題無いでしょ?」
「それはそれでかなり問題あると思うけれど──……」
ハイコは迷っているようだったが、弾けたようにぱっと表情を明るくして、
「うん! やっぱり良い提案だよ! その方がエミリオ君も近くでハルカを守り易いし。それにエミリオ君は学校に通った方がいいと思うんだ。10代という人生で一番特別な時間をもっと楽しむべきだよ」
「だろ? でもエーデルワイスは外観がアホっぽいくせに偏差値妙に高いからなぁ。もし入れなかったら他のとこ行くか、俺んちに泊めてやるよ。それとも──“俺達のコミュニティ”に入る? 路頭に迷ったヴァンパイアを救済してるグループがあるんだけど、そいつらに助けてもらうか? ……嫌だろ? 元敵だった訳だし、気まずいだろ? おまえプライドだけは高いもんな。という訳で、ダメだったら素直に俺んち来なさい」
エミリオはしばらく黙っていたが、やがて、居づらそうに下を向いて、
「……ちょっと、考える」
大袈裟なため息をついたチヒロはすっきりしない表情で、
「素直じゃねぇなぁまったく。分ぁかったよ。だったら期限は俺達が日本に着くまでだ。いいか? 自分の蒔いた種だからよーく分かってると思うけど、人数は減ったものの日本はまだハルカちゃんにとって危ない国だ。俺達が着くまで絶対ハルカちゃんから離れるな?」
鋭い眼差しでエミリオを射抜くチヒロの双眸。
「……だから僕に命令しないでください」
いらいらしたようなエミリオ。




