第6話 13
「どうやってこの場所を突き止めたかは知りませんが、今ハルカがドイツに追われているのは知っているでしょう? ハイコ・ヴェインリッヒなんかではハルカを守りきれません。僕に任せてください」
そこでエミリオがこちらに手を伸ばし、
「おいでハルカ? そんな弱いヴァンパイアと一緒にいたら3日も持たないでドイツの奴らに酷いことされるよ? あいつら血を飲むだけじゃないんですよ? 生きたまま指や腕を食べ、汗を舐めたりするんですよ? そして傷を治癒術で治し、また食べるんです。ヴェインリッヒといるということは、そんな毎日を自ら近付けることになるんですよ? よく考えてください。どちらに守ってもらうのが得策か」
ハルカは恐怖のあまり震え、無意識にハイコの左腕にしがみついた。ハイコ達とは別の考えを持つヴァンパイア達はなんておぞましいのだろう。人間を生きたまま食べるなんて……ありえない。
(うっ……)
吐き気が襲ってきたハルカは口を押さえて座り込んだ。
チヒロから聞いた“回し飲み”の話しも十分恐ろしかったが、ハルカはどこかでドイツのヴァンパイアとやらを甘く見ていた。完全に、人を喰らう化け物だったのだ。
「ハルカ!? しっかりして!」
ハイコが背中を摩ってくれた。そしてハイコは怒ったように言う。
「エミリオ君。別に今それをハルカに聞かせなくても良かったんじゃないのかい?」
「捕まったらどうなるかくらい知っておいた方がいいと思っただけです」
かなり不機嫌そうに言った後、エミリオはいきなり殊勝っぽくなって、
「聞いてくださいハルカ。言い訳みたいで嫌ですけど、僕がドイツに所属していたのはアナの為です。偉くなってお金を稼ぐ為です。トリプルSの血がアナの声を治せるなんて知りませんでしたから、とにかくアナが将来不自由しないように、たくさんお金を稼ごうとしてただけです。やりたくもない仕事もしました。アナの復讐も兼ねていたとはいえ、初めて人間を殺した時は……正直言って怖かったです。でも、自分はヴァンパイアで相手は人間という食料だということを自分に言い聞かせたら、そんなに抵抗なくできました。……ちなみに僕は人間を食べたことなんてありませんよ? それだけは一緒にしないでください。ここまで聞くと、結局僕もハルカにとってはドイツのヴァンパイア達とあまり変わらないと思いますが……」
そこでエミリオは俯き、らしくない暗い顔をした。ハルカはハイコに手伝ってもらい、立ち上がった。
「初めはハルカを殺そうとしたし、クラスメイトを殺すとも言ったし、信じてもらえないかもしれないけど、僕はもう人間を殺す気はありません」
「ど、どうして……?」
怯えながらか細い声で訊くハルカ。
「人間はアナの声を奪ったけど、戻してくれたのも人間だから……。それに、簡単に人を殺すヴァンパイアに“守る”と言われても、説得力ないでしょう?」
ハルカは慎重に頷いた。
「だから僕はもう二度と人間を殺さない。そして誓うよ。アナを助けてくれたハルカを、精一杯守るって。アナとの約束だし、それに……」
エミリオが斜め下を向く。
「こんなことになったのは、そもそもエリクシルを盗んだことがばれたのが原因だし。……これでも結構責任感じてるんですよ?」
「エミリオ……」
ハルカは思わず呟いた。初めてエミリオから本音を聞いた気がした。
「だからこそハルカは絶対ドイツには渡しません。その為にも、ヴェインリッヒと一緒いたらダメなんです。ヴェインリッヒは甘いから、攻撃をどこかで必ず躊躇います。その隙にドイツに連れて行かれたらどうするんですか? シフトはあっという間なんですよ?」
「俺から見たら、ドイツに追放されたおまえが傍にいる方が、ハルカちゃんは危ないと思うけどな」
その声の人物は、少し癖のある黒髪に涼しい顔付きの日本人ヴァンパイア──牧野チヒロだった。足元には巨大な三毛猫──社長がいる。
「ドイツからしたら、反逆者エミリオを検索したらトリプルSも同時にゲット~──ってな具合になる訳じゃん?」
「チヒロ! ハルカを見つけたよ!」
ハイコが嬉しそうに声をかけた。
「知ってる。実はけっこう前から見てたんだ。だから俺なりに考えたこと言っていい?」
「もちろんだよ」
「うむ。じゃあ言うけど、“みんなで”ハルカちゃんを守る──でいんじゃない?」
その分かり易いストレートな提案を聞いた途端、ハルカとハイコとエミリオは固まった。
「……おーい? どうしたんだよみんな?」
緊張感のないチヒロの声に最初に反応したのはエミリオだった。
「牧野はアホですか。僕は敵だったんですよ? 無理矢理ドイツに連れて行こうとしたこと忘れたんですか? 怪我とかもさせたでしょう? 今さら共同戦線なんて張れません」
エミリオは意地っ張りな様子。ふとチヒロが楽しげに笑い出した。
「おっまえ、なんだかんだ言ってガキだな。改心したっていうのが本当なら、俺は全然構わないぞ? ドイツとは本当に縁を切ったみたいだし。俺が心配してるのは、自分が助かる為にハルカちゃんを差し出してドイツに戻らないか──っていうことだよ。さっきの話し聞いた感じでは大丈夫そうだけど、実際どうなの?」
「そんなことするくらいならハルカと一緒に死にます」
エミリオはいたって真面目だった。しかしだからこそ怖い。ハルカは息を飲む。
「それはそれでまずいけど、とりあえず俺は信用することにする。ハイコはどうするよ?」
「すっごく賛成だよ! さすがチヒロだ!」
ハイコが笑顔でチヒロに飛び付いた。チヒロの、「うわっ! キモッ! 離れろ!」という抗議も聞こえていない模様だ。
「そうだよ! 考えてみればドイツと関係が無くなったのなら、エミリオ君は私達の敵ではないよ。さっきの話しも私は信じる。守るのは人数が多い方がいいし、なにより平和的で素敵無敵だよ!」
「いや意味分かんねーし」
やっと離れたハイコを、チヒロは欝陶しそうに半眼で見ていた。悪意は感じられなかったが。
「ところで、エミリオ君はこれからいったいどうするつもりだったんだい? まさかハルカをずっとバチカン付近に滞在させておくつもりだったのかい?」
「違います。それは1週間と決めて、ちょうど今から日本に行くところです。ハルカを元の生活に戻すというのも、妹のアナとした約束の一つだから。……というか、本当にいいんですか? そんなに簡単に僕を信用して」
ハイコが真面目な顔でエミリオに向き直った。
「何の理由もなく悪行を行う“人”はいないよ。私達は“ヴァンパイア”だけれどね」
苦笑した後ハイコは、
「心が本当に満たされてさえいれば、誰かを苦しめたりはできない。そういうことは考えもしない。エミリオ君はきっといろんなことに疲れていたのだよ。妹さんの為にがんばり過ぎてしまったのだよ。だからたくさんの人を苦しめてしまった。……罪の意識を感じるのなら、これから償えばいいよ。人間を殺してしまったことを悔やむなら、同じ人間のハルカを命懸けで守るといい。そうすればきっと、許してはくれないかもしれないけれど、亡くなった人達に、誠意だけは伝わると思うよ?」
エミリオはふて腐れたような顔をし、低い声で、
「……なんか説教されてるみたいでムカつくんですけど。言っておきますけど、僕らは目的が同じというだけで組織じゃないですからね。くれぐれも命令はしないでください。しても無駄ですよ。どーせ従いませんから」
「ははっ。もちろんだよ。命令なんて、私は言葉を聞くだけで嫌な気分になるよ」
軽く微笑みながら言うハイコの台詞をはたしてちゃんと聞いていたのか、エミリオはいきなりハルカの左頬に触れ、首を傾げて、
「ハルカ? さっきから黙ってるけど、何か言いたいことは?」
その声はハイコに向けていたものと違い、優しさを感じた。
「えっ?」
きょとんとした後、「べ、別に何も」と目を逸らすハルカ。
ハイコとチヒロとエミリオが結束して自分を守る──。なんだか大袈裟になり過ぎて、逆にハルカは畏縮してしまった。はたして自分は守られるに値する人間なのだろうか。トリプルSというのは本当らしいが、そういうことではなく、もっと人間的な面での価値は自分にあるのだろうか。
「ハルカ? まだ気分悪いのかい?」
さりげなくハルカの頬からエミリオの手を引き剥がしたハイコが、心配そうに訊いてきた。
気遣わせてしまったことを申し訳なく思ったハルカは、できるだけ穏やかに、
「ううん。大丈夫」
「きっと疲れたのだよ。早く日本に帰ろうねぇ、ハルカ?」
疲れたのはたぶん本当だった。だからハルカはその、幼児に対して言っているような台詞にも腹を立てず、こくりと頷いた。
この1週間神経が過敏になっていて、緊張やプレッシャーをずっと感じていた。本当はもう限界だったのかもしれない。
「でもその前に──」
ハイコに頭を撫でられた──と思ったら、痛いくらい強く抱きしめられた。……ちょっと苦しい。
「逢いたかったよ……ハルカ」
囁くような甘い声は小さくて聞き取りづらい。しかしその声こそが、探していた相手に会えてどれだけ嬉しいかを物語っていた。




