第6話 7
窓の外は真っ暗だった。
“もしかして──”と期待が膨らんだハルカは、小走りに外へ出た。
(わぁ……!)
思った通りだった。東京なんかとは比べるのも失礼なくらい、見上げた先には眩しい星たちが所狭しと瞬きあっていた。ルビー、サファイア、ダイヤモンド、オパール、琥珀──どれも最上級の輝きだ。
ハルカは思わず芝生に仰向けになった。背中が冷たい。息が白い。耳が痛い。指先が凍り付く。しかしそれすらも忘れさせてくれる程、星空はハルカに感動を与えた。
小さい頃から星を見るのが好きだった。夜出歩くと母親に怒られるので、部屋の窓からこっそり眺めていた。
叩かれた身体が痛くて眠れない夜、涙が溢れて止まらない夜、不安でどうしようもない夜──。星はいつも同じように美しく輝いていた。何も言ってはくれないけれど、“大丈夫だよ。ここにいるよ”と言っているような気がした。
不意に涙が伝った。温かかった。
まだ生きてる。
死にそうな目に遭ったけど、殺されそうになったけど、時には死にたいと自ら思ったりもしたけれど……、結局ハルカは今15歳で、生きていた。
目を閉じると、母親の顔が浮かんだ。
ごはんよハルカ。今日はハルカの大好きなあま~いたまご焼きをたくさん作ったのよ。
ねぇハルカ、この服似合うかしら? 変じゃなぁい?
おやすみハルカ。……やっぱり一緒に寝てい~い?
母親とハルカの、笑顔に満ちた温かな日々は確かにあった。遠い遠い、霧に霞んだ記憶の向こう側に、確かにあった。地球からは遠すぎて見えないけれど、太陽よりも眩しく輝く恒星みたいに、確かに存在しているのだ。
(……?)
ふと感じた人の気配に目を開けると、エミリオが腰を折ってこっちを見下ろしていた。
「……」
中々何も言わないエミリオを訝ったハルカが、せっかくの視界を邪魔されて微妙に不機嫌になりながら、「……なに?」と訊くと、
「4つ程言いたいことがあるんですけど……」
「うん……?」
とりあえず相槌を打ってゆっくり半身を起こすハルカ。エミリオはお尻を付けずにハルカの左側にしゃがんだ。
「あんまり外にいると凍死しますよ。ここは日本じゃないんですから」
当たり前なことを淡々と言われたので、ハルカの自尊心は傷付いた。なのでふいっとそっぽを向いて、
「それくらい分かって──痛っ」
全部言い終わる前に髪を引っ張られた。頭を押さえながら振り向くと、エミリオはお尻を付けて芝生に座り、後ろに両手を付いて星空を仰いでいた。
どうして髪を引っ張られなくてはならなかったのか。まったくもって意味不明だ。……怒られるのが嫌だから抗議はしないけど。
「運が良ければオーロラが見えます」
「え!? ほんと!?」
思わずハルカはエミリオの片膝を片手で掴んで、乗り出すように赤眼を見つめて訊いた。
オーロラを見るのはハルカのささやかな夢だった。いつかきっと、死ぬ前に一度は見たいと思っていたのだ。それ故につい食いついてしまった。
「……なんか意外です。ハルカでも何かに強く興味を抱くことってあるんですね……。オーロラそんなに好き?」
エミリオは若干気圧されたようになっていた。まさかハルカがこんな脈ありな反応をしてくるとは思ってなかったのだろう。
過剰反応してしまったことが今さらながら急に恥ずかしくなり、頬を染めたハルカはエミリオから離れて適当に言葉を紡いだ。
「うん……。まぁ、それなりに。てゆーか日本人はみんな好きなの」
「ふーん。そんなものですか。では3つ目です。今後のことで大事な話しがあります。みんなはもうリビングに集まりました」
エミリオは真面目だったし、“今後のこと”が気になったハルカは、みんなを待たせては悪いと思い立ち上がろうとした。しかし、「まだあと“2つ”残ってます」と言うエミリオに肩を押さえられる。
「あれ? “4つ”って言ってなかったっけ?」
「最後の1つは今さっき増えました」
「あ、そう……」
エミリオの自由さにハルカは脱力するように呆れた。
「まずは──なんで泣いてたの?」
右だけしかない赤眼は、鋭くて少し怖かった。だからハルカは萎縮しながら下を向き、
「別に泣いてないよ」
「じゃあこの辺の──」
顔を自分の方に向けさせるように、エミリオがハルカの右頬を包帯だらけの左手で掴んで来た。
「跡はなんですか?」
ハルカは目を合わせずに、ぶっきらぼうに言う。
「……さぁ? 知らない」
ハルカの右目の下をエミリオの親指がスライドする。ハルカは斜め下を見ながら黙ってじっとしていた。今のエミリオに逆らうと平手が飛んで来そうな雰囲気だったから。すぐ手が出るところはきっと兄妹似たのだろう。
「ヴェインリッヒはハルカが泣く理由、知ってるんですか?」
なぜここでハイコが出てくるのかと思ったが、ハルカは本当のことを言った。
「たぶん……知ってると思う」
先程ハルカが泣いたのは星空に感動したからなのだが、元を辿れば母親関係なので、ハイコは知ってるだろうと思った。だからそう言ったのだが、何を思ったのか、エミリオは不満げに、「ふーん。なーんかムカつく」と言っていきなりハルカの髪をぐしゃぐしゃに掻き回してきた。
「……でも笑顔は、僕が先か……」
星空を見上げたエミリオがぼそっと呟いた。
(あーもーぐちゃぐちゃ)
しかしハルカは髪を直すのに一生懸命になって、その独り言をあまり聞いていなかった。
「ねぇ、さっき増えたっていう最後の“1つ”は? みんなリビングで待ってるんでしょ? 早く行かなくていいの?」
右手で前髪を整えながら訊くと、不意にその手を軽く掴まれた。エミリオの赤眼は怖いくらい真剣だ。なのでハルカは1ミリも動けず、目を逸らせなかった。
右手が膝まで降ろされると、今度はせっかく直した前髪を全部持ち上げられた。そして“デコピン”のポーズ……。
そんなことしたら爪の無い指が痛むだろうと思ったが、エミリオが指に力を込めるのを見て、ハルカは条件反射でびくっと震えた後、目をぎゅっとつむって衝撃に備えた。
(……?)
そのデコピンは、前代未聞の痛みの無さだった。一瞬なのは普通のデコピンと同じなのだが、なぜか柔らかくて温かくて──不思議な感じだった。
気になったハルカは、あまりよく考えずただ思ったことを素直にそのまま訊いてみた。
「今のデコピンどうやったの? 全然痛くなかった。もしかして不発?」
言い終わった次の瞬間──エミリオはハルカの左側にいるのだから左手を掴めばいいのに、なぜか“右手で右手”を掴み、ハルカをぐいぐい引っ張って歩き出した。
「ちょ、ちょっと? 痛いってば」
訳が分からないながらも抗議したら、足が縺れて転んでしまった。止まってくれるかと思ったら、エミリオはそのままハルカを引きずった。あからさまな舌打ちをして。
(……え……? ひ、酷い。なんで……?)
泣きそうになるハルカ。
オーロラは結局見れなかった。
「バチカン?」
聞き間違いかと思い、ハルカは特に何も考えずに復唱した。
リビングに戻ってソファーに座るや否や、エミリオが“今からバチカンに行きます”と言ったのだ。
「そうですバチカンです。ハルカが外でバカみたいに寝転がってる間にみんなで話し合って決めたんです」
エミリオは淡々としている。重要なことを話しているとは思えないが、きっとハルカにとっては重要なことなのだろう。
「バ、バチカン? バチカンて、バチカン市国? イタリアのローマの?」
「バチカンバチカンうるさいですよ。アホですか。それだけ知っていれば十分です」
エミリオはさっきから機嫌が悪い様子。一人用ソファーで足を組み頬杖をついて、微妙にこっちを睨んでいる。
これ以上エミリオの機嫌が悪くならないようにと、ハルカは“バカ”とか“アホ”とか言われたことも我慢して、控え目に訊いた。
「どうしてそういうことに……?」
「ハルカがトリプルSということがドイツのヴァンパイアにばれたんです。……というか僕がばらしたんですけど。居場所もです。今頃は日本で血眼になってハルカを探しているはずです。でも、ある程度すれば──諦めはしないでしょうけど捜索する人数は減ると思うんです。ですからハルカにはそれまでバチカンにいてもらいます」
頭の回転が追い付かない程だった。訊きたいことが膨らんで増殖して、手に負えない程になる。
「ば、ばらしたって……? それに、どうしてバチカンなの? エミリオ達はどうするの? 一緒にいちゃダメなの?」
落ち着いて訊けたが、ハルカの声は若干怯えていた。
エミリオは伏し目がちになり、なにやら考えているようだった。そしてため息をつき、後頭部の髪を指先で払うようにしゃかしゃかといじった。説明するのがめんどくさい──そう言っているような仕草だ。
「なぜばらしたか──? これは遠回しに言えばハルカの為です。“どっち”を選べばいいか、バカなハルカの為に分かり易くしてあげただけですよ」
エミリオの言ってる意味が、ハルカには分からない。“どっち”──ということは二者択一なのだろうが、その二つが浮かばなかった。




