第5話 涙編10
「エトワールは何処だ。言え」
シュナイダーの口調は落ち着いて来たが、拷問は激しさを増した。鉄製の棒を脇腹に押し付けて来たのだ。ジュッと肌の焼ける音と、流れた血液が蒸発する音とが混ざり合い、恐ろしげなハーモニーを奏でていた。
「くっ……! あ゛っ! あ゛ぁ゛っ!!」
この部屋の外にいるであろうやじ馬達の好奇心を煽る為、エミリオはわざと大袈裟な声を上げようとしたのだが、それは“わざと”ではなく、本当の呻き声になっていた。
エミリオは思わず、鉄製の手枷をガチャガチャいわせながら身体をよじった。殺人的な温度を放つ悪魔の棒から逃げようとしたのだが、それは執拗に追って来た。
エミリオは憎しみを込めてシュナイダーを上目遣いに睨んだ。赤眼にはまだ光が宿っている。
アナの声を取り戻す──。
その目的だけがエミリオの精神を支えていた。
シュナイダーが、この部屋に数ある拷問道具の中から、スプーン2本で出来たピンセットのようなものを一つ掴んだ。ちょうど鍋の中のゆで卵を掴むのにもってこいの道具だ。しかしここは拷問部屋。そんなものは必要ないしある訳がない。
いったいそれは自分にどんな苦痛を与える道具なのか。
そんなことを考えていると、シュナイダーが“スプーンピンセット”をカチカチいわせながら、左の眼前すれすれに持って来た。
「や……やめ……」
“何をする為の道具か”気付いてしまったエミリオの口からは、そんな言葉が勝手に漏れていた。
「安心しろ。“一つだけ”にしてやる。それとも言う気になったか?」
首を横に振るエミリオ。情けないが少しだけ足が震えていた。
「そうか」
言うと同時に、シュナイダーが顔を固定するように顎を掴んできた。
「触るな! やめろっ!」
力の限り手枷と足枷を動かしたが、こすれて痛いだけでびくともしない。顔を背けたらすぐに後頭部が石造りの壁に当たった。逃げ場なんかない。
せめてもの抵抗をと思い、エミリオは上を向いて思い切り両目をつむった。
しかしそれは無駄な努力で、ひんやりとした無機質な“スプーンピンセット”は、無情にもエミリオの中に侵入ってきた。
内側の皮膚と眼球を剥がすように、異物は何度もぐるぐる回る。その度にエミリオは叫んだ。この世のものとは思えない痛みに気を失わないように、声を上げることに集中した。
やがて一際激しい痛みの後、左側の世界がぷつりと消えた。瞼の中から“スプーンピンセット”と共に、大きくて生暖かいものがぬるりと出て行った。その後の、細長いものがずるずる出て行く感覚に、エミリオは身震いした。そして大量の血液がごぽっと溢れ、エミリオの顔面左半分を赤く染めて行く。
シュナイダーは取り出したエミリオの赤眼を床に落とすと、害虫でも殺すように踏み付けた。グチャリネチャリとおぞましい水音がこだまする。
「うっ……くっ……うぅ……」
狂った現実にエミリオが思考を停止させ、身体中の痛みに呻いていると、一つしかない古い木製の扉が開き、ヴァンパイア達が数人入って来た。
たったこれだけか──とがっかりしたエミリオだが、片目だけでよく見ると、入口付近には大勢のヴァンパイアが好奇の眼差しでこちらを見つめていた。これだけいれば、ここで話されたことはすぐに広まるだろう。
それに、入ってきたヴァンパイアは元帥よりもずっと高い身分の者達だ。スーツの襟に査問監察官を表すバッジを付けている。大勢いる手下を日本に送ってくれそうだ。
「申し訳ありません。眼球を犠牲にしてもまだ口を割りません」
シュナイダーが、入って来たヴァンパイア達に頭を下げながら言った。
「もう、許して、ください……」
エミリオは100%わざと、片方しかない瞳から涙を流し、途切れ途切れにしゃべり出した。ぐったり俯き、苦しげに、か細く掠れた声で。
「エトワールのことを……話し、ます。でも……妹の、アナの為にも、僕を殺さないで、ください……。僕が死んだら、アナは、一人ぼっちに、なるんです……。アナは……アナは、何も悪く、ないのに……」
そこで一度鼻をすすり、小さく震えながら、
「お願い、します……」
後は痛みに気を失わないように気をつけながら、エミリオは反応を待った。
「エミリオ・ペルツァロッタ。それでもエトワールを独占しようとした疑いは晴れぬ。処刑は免れない」
絶望の淵に落ちそうになったが、次の二人の台詞に持ちこたえる。
「しかしまだ子供だ。怯えきっているではないか。これからいくらでも償いはできる」
「そうだ。裏切り者とはいえペルツァロッタはエトワールを発見したのだ。一度国王に意見を仰ごうではないか」
最後に言ったヴァンパイアだけが国王親衛隊のバッジを付けていた。国王親衛隊は国王の次に高い身分だ。
ヴァンパイアにとって身分は重要。故にその場にいた者は皆それに従った。
その後エミリオはハルカについて詳しく話した。手枷や足枷が外され、治療も兼ねて別の部屋に移ることになった時。エミリオは通路の前方に、魔法陣と魔法陣の繋ぎ目の、ほんの僅かな隙間を見つけた。この魔法陣は能力使用不能魔法陣なのでシフトはできないが、それでもありがたい。
その部分に差し掛かった時。渾身の力を振り絞って能力を使い、その場の全員の視界を青白い炎で奪った。そして混乱に乗じて通路を駆け抜けた。
何度も転んだ。足の骨が折られなかったことを幸運と思った。全身が奇妙な悲鳴を上げている。自分の身体が、今にも無理に積まれた積み木のように、いくつものパーツに分かれてガラガラと音を立てて崩れてしまうのではないかという錯覚に襲われた。
しかし、なんとしても他のヴァンパイア達よりも早くハルカを見つけなければならない。
でも大丈夫。エミリオはハルカの居場所を誰よりも詳しく知っている。魔法を掛けたネックレスがあるのだから……。大丈夫。
ハルカを見つけたら、その血をすぐにフィンランドの家にいるアナに飲ませてあげよう。
治るといいな……。きっと治るよな……。だってハルカの血は……特別、だから……。
(ごめんね……アナ)
エミリオは6年前にロシアでストリートチルドレンをやっていた時期を思い出していた。通行人に物乞いをするのに必死になって、ほんの少しアナから目を離した。ふと気付くとアナはいなかった。しかし街を走って、すぐに見つけた。
小さなアナは人気のない、暗い路地の奥にいた。裸だった。アナの上には汚らしい男が跨がっていた。まだ若かったが、あの頃のエミリオからすれば十分大人の部類に入った。
その男はナイフを持っていた。周囲でにやにやしながら見ている4人の大人も、みんなナイフを持っていた。アナの意識は無いようだった。
あの頃のエミリオは、その大人達がアナに何をしているのか分からなかった。ただ、人間の中には恐ろしい悪魔がいる──そう思った。
お巡りさーん! ここです!
警察なんか呼んでないのに、エミリオはそう叫んで路地に入って行った。敵は5人。ナイフを持っている。エミリオは1人。何も持っていない。
怖かった。しかしアナの為ならなんでもできた。
意気込んだもののどうってことなく、大人達は慌てたようにあっさり逃げて行った。拍子抜けだった。
目覚めたアナは……声を失っていた。アナはたったの5歳だった。
その日を境にエミリオは、ずっと受け入れられなかった、自分とアナがヴァンパイアだという事実を受け入れ、母親の遺言通り、アナと二人でおとなしくドイツに行った。
「うっ!」
派手に転んだ。もうすぐ駅なのに。そこまで行けば、地下鉄に乗って居住区まで行けるのに。居住区まで行けば、シフトが使えるのに。
「くっ……」
眩暈に霞んで使いものにならない右目。立ち上がろうとするもガタガタ震えて頼りない膝。荒くなる呼吸。激しい耳鳴り。全身の激痛。何度も飛んでは戻る意識。
もう、限界だった。
◆第5話『涙編』◆
◆END◆




