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My Fair Vampire  作者: 九重ゆえる
第5話 『はじまりの……』涙編
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第5話 涙編7

「ハルカちゃんの前じゃ恥ずかしいんだろ? とっととあっちで飲んで来いって。3週間以上飲んでないなんて異常なんだぞ? 分かってんのか?」

 ハイコは難しい顔で血液パックを見下ろした後、戸惑うようにこちらを見た。まだ正座したままのハルカは、「が、がんばって」と真剣に言う。そして言ってしまってから、なんでもっとましなことが言えないのか──と悔やむ。だってハイコはこれから、ハルカにとっての“鳥肉”を食べようとしているのだから。

 ハイコは覚悟を決めたのか、ただまっすぐ脱衣所の扉を見つめ、「うん」と頷いた。






(ありがとう……ハルカ……)

 脱衣所の扉を閉めたハイコはハルカの優しさを噛み締めていた。

 ハイコが出会った今までの人間なら、血液パックを見つけた時点で逃げ出していただろう。こちらの身体を気遣い、飲んで欲しいと懇願までするなんて、やはりハルカは何かが違う。初めて会った時に感じた“何か”はこれだったのかもしれない。

 ハルカこそが、きっと生まれた瞬間から探していた、辿り着くべき場所なのかもしれない。

 やっと、見つけてしまったのかもしれない。

 守らなければ。ハルカを。この広い世界でたった一人の小さなハルカを。あらゆる苦痛から。救ってあげよう。過去の闇に怯えて流す涙を、いつも一番近くで拭ってあげよう。貰った優しさを、何倍にもして返してあげよう。

 たくさんたくさん愛したい。ずっと傍にいたい。大人を信じる勇気をあげたい。

 そしていつか、天使のように微笑む彼女を見つめたい……。

 ゆっくりと、血液パックの端をはさみで数センチ程切ったハイコは、一度深呼吸をしてから口を付けて飲み始めた。

 久しぶりの味は、やはり美味しかった。どこかで期待はしていた。酷くまずくなっていればいいと。そうすれば、本当に“生きる為の薬”として飲めるのに……。

 ハイコはため息をつく。そして伏し目がちに、どうしようもない、叶わない夢を思う。

(人間になりたい……)

 血液パックのラベルに表記されている“A”の文字を親指で隠したハイコは、せめてもう二度とA型の血液だけは飲まないことを決めた。







 ハイコを待つ間、チヒロはヴァンパイアと血液についてハルカにいろいろと教えてくれた。

 例えば、ヴァンパイアは1週間置きくらいに血を飲むのが普通──とか、血液型で一番人気なのがA、次がO、そしてAB、B、という順番になっている──とか(それぞれ全く味が違うらしい)。

 そしてハルカは、血液は10段階にランク分けされるが、それを調べる為の専用の薬──エリクシルは、低い身分のヴァンパイアは触ることすら許されず、高い身分のヴァンパイアでも使うには正式で大袈裟な手続きが必要になる──という話しでどきりとなった。

 白髪赤眼の少年ヴァンパイア──エミリオを思い出した。そして自分の血が“トリプルS”という最高ランクだったことも。

「その面倒な手続きには、高ランクの血液を持つ人間を見つけた場合に、一人占めされないようにって意味があるんだよ。エリクシルで調べようと思う程美味しかった血は、だいたい高ランクだからね。だからエリクシルを使ったヴァンパイアは必ず上に報告しなくちゃならないんだ。調べた血液がどのランクだったかをね」

 エミリオも報告したのだろうか──。そんなことを考えていたら。今のハルカにとっては冗談にもならない怖いことをチヒロが言った。

「そしてあまりにも高ランクだった場合その人間は、高い身分のヴァンパイア達に“回し飲み”されるんだ。死なない程度にね。もったいないから」

 そこでハルカは膝を抱えて縮こまった。

(まっ、回し飲み……!?)

 なんて恐ろしい。冗談じゃない。

 しかしこの間エミリオは、ハルカの血を大量に飲ませたいヴァンパイアがいる──と言っていた。それはエミリオの──いわゆる“上司”だろうか。

「あっ! ちなみに俺は回し飲みなんて残酷なことやったことないからね? そんなことやるのは特にヨーロッパにいる古ーい考え方のヴァンパイアだけだよ?」

 ハルカがこくりと慎重に頷くと、

「それにヴァンパイアは身分制だからね。もしも俺が“エミリオ側のヴァンパイア”だとしても、上級なんかじゃそんな“宴”には呼ばれないよ。上級って聞くと高そうに聞こえるけど、実際は8段階の中で下から3番目だからね。ちなみに一番偉いのが国王──つまり王様だね。なにげに王制国家なんだよ」

「……何人くらいいるの? ヴァンパイアって」

 素朴な疑問だった。

「日本は少ないよ。確か300人くらいだったかな」

「そんなに?」

 合計で300人くらいだと思っていたハルカは思わずぎょっとする。

 チヒロは驚くハルカを楽しむように微笑んで、

「ヨーロッパには1000万もいるよ? 全世界合わせると3000万人くらいかな。──びっくりした?」

 その通りだった。またもやこくりと頷くハルカ。

「そんな話し聞いて楽しいかい?」

 斜め後ろから聞こえた声にハルカははっとなって振り返った。そこにはいつの間にかハイコがいた。その表情は、苦笑しているような恥ずかしがっているような──微妙な表情だった。

 こんな場合、ハイコにどんな態度でなんて言葉を掛ければ良いのか分からなかったハルカは、顔を前に戻し、無表情で淡々と、

「ハイコ先生の授業よりは楽しい」

 するとチヒロが腹を抱えて楽しげに笑い出した。

「なになに? ハイコの授業ってそんなにつまんないの? 見てぇー」

「ひっ、酷いよハルカ……。チヒロまで……。これでも一生懸命……──」

 そこでいかにも“泣いてるぞ”という風に大袈裟にめそめそと目を擦り出したハイコは、壁に手を付きなよなよと崩れて、

「毎晩毎晩麗しの月光が、海よりも深く愛し合い永遠を誓い合った二人を冷酷に分かつこの渇き疲れた不条理な世界を照らす頃、私は心の底から愛するかわいいかわいい生徒達の為に、寝る間も惜しんで明るく楽しく愉快で素敵な授業を構想しているというのに……!」

 明らかにハイコはふざけている。それに気付いたハルカは、いきなり一人悲劇を演じ始めたハイコに若干気圧されながらも、安堵した。

 元々ハイコはこんな変な人物だったから。ぴりぴりとした真面目で暗い雰囲気は似合わない。本気で泣いているハイコももう見たくない。

 いつも近付き易い雰囲気で、バカみたいに微笑っていて欲しかった。

「ハイコきもい! いつもいつも思うんだけどどっからそんな言葉持ってくる訳? つーか誰に日本語習ったの? 日本人の父親だっけ? 発音も文法も完璧なんだけど他の何かがいろいろと間違ってるよ。何年日本にいんだよ。そろそろ気付こうよ」

 チヒロは呆れているようだったが、どこか嬉しそうでもあった。やはりチヒロも“こういうハイコ”の方が好きなのだろう。

 その後二人はまるで少年のようにふざけ合いじゃれ合い冗談を言い合い笑っていた。

 チヒロもだがハルカも、ハイコがちゃんと血を飲んだかどうか訊かなかった。そんなものは霧が晴れたようなハイコの表情を見ればすぐに分かるからだ。

 チヒロがハイコに背を向けるように跨がり、なにやらプロレス技をかけようと大騒ぎしている横で、ハルカは自分の両手の甲を伏し目がちに見下ろしていた。

 右手に油性マジックの跡はない。誰かは分からないが、寝ている間に消してくれたことが有り難かった。肌を強く擦ることでいちいち嫌なことを思い出してしまうから。

 左手にはエミリオに付けられた切り傷の痕がある。もうほぼ治っている。つまりいつ来てもおかしくないという訳だ。

 ハルカはあのネックレスのことで気になることが浮かび、何気なく訊いてみた。

「ねぇ、エミリオがネックレスに掛けた、居場所が分かる発信機みたいな魔法──? は消えたの? 消えてないなら、結局エミリオは今ここに来るかもしれないってこと?」

 ハイコとチヒロはぴたっとおとなしくなった。そしてチヒロがしゃべり出す。

「消えてないよ。残念ながら完全に消すと、ネックレスに何か起こったってさすがに感づかれるからね。でも大丈夫。来ても俺達がお仕置きしてやるからさ。それからこのネックレスは──」

 チヒロがポケットからあのネックレスを出した。

「俺が持ってるよ。東京湾にでも沈めようと思ったけど、それじゃ接触しに来ても分かんないしね。あのガキに会ったら言っとくよ。ハルカちゃんはおまえなんか大っ嫌いだって」

 チヒロがハルカを安心させるように言った。それでもハルカの不安は消えなかった。エミリオはハルカの通う学園を知っている。そこに探しに来るだろう。クラスの皆にも迷惑が掛かるかもしれない。

 ハルカが煮え切らない表情で俯いていると、落ち着かない様子のハイコが、

「エ、エミリオ君がハルカの居場所を常に把握しておきたい理由って……。やっぱりハルカは──その──も、もしかして、ト、ト、トリプルSだったりしたのかな?」

 一瞬どきりと固まったが、ハルカはゆっくり頷き、ぼそっと、

「エリクシル? っていうやつに血を入れたら、白く光って……。そしたらエミリオが……そう、言ってた」

 チヒロが素っ頓狂な声を上げた。そして信じられないというように、

「まじで!? ありえなくない!? だってそんなすごい人間見つかってたらさすがにドイツは今頃大騒ぎなんじゃないの? そしてそれだけビッグな情報なら“俺達”にも漏れてくるでしょ? トリプルSが見つかったなんて情報は噂すら入ってないよ? これでも俺ドイツの情報に詳しい方なんだけど……」

 そこでチヒロは何かに気付いたように、「そうか!」と声を上げ、思案するように、

「エミリオはハルカちゃんを独占しようとしてる……? ねぇ、これって“上”にばれたらやばくない? エリクシルは盗んだのかな? 何考えてんだあいつ。“シュナイダーに忠実な犬”じゃなかったのか?」

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