第5話 涙編5
モモにかけてもよかったが、ユカリとモモは学園の寮住まいで同室なので、結局同じなのだ。
『……もしもし? どなたですか?』
非通知に警戒したのか、ユカリの声には緊張がみられた。
「あのっ、ユカリ? ハルカだけど──」
『ハルカ!? ホントに!?』
ユカリの声が一気に親しみを帯びた。
「うん」
『ちょっと今どこよ!?』
隣にモモもいるようで、『うっそー!? ハルカたんから!?』という明るい声が聞こえてくる。
『あっ、ごめんちょっと待って』
数秒間ガサゴソとノイズがした後、『イヤホンマイクにした』とユカリ。二人で片方ずつイヤホンをしてハルカの声を聞いているのだろう。
『で、ハルカたん今どこなのぅ? かばんはロッカーでしょう? 定期も財布も。あっ、ごめんね? 制服に入ってた鍵使ってロッカー開けちゃった。でもかばんの中身は絶対見てないからねっ?』
『心配したよハルカ? 家電かけても出ないし。まさか変質者に拉致られた──とか、一時は大騒ぎだったんだから。今はみんなも生徒会も寮とか家に帰ったけど、10時近くまで探してたんだよ? やり過ぎたって反省しながら。明日生徒会はハルカに謝るみたいだよ?』
だいたいのことをなんとなく理解したハルカは、「あの……、ごめんね。心配かけて」ととりあえず謝る。皆が探している間自分はぐっすり眠りこけていたなんて。申し訳なさ過ぎて胃が痛い。
「途中で“知り合い”に会っちゃって、どうしてもそのまま行かなきゃならない用事ができて……それで……連絡遅れちゃって……。ごめんね」
客がいるからとハイコに呼ばれた。その部屋で“発作”が起こってしまい、泣き疲れて眠ってしまった。起きたらなぜかハイコの家にいた──までは言えないにしても、客がいるからとハイコに呼ばれた。最近寝不足気味だったので眠くなり、そのまま寝てしまった。起きたらなぜかハイコの家にいた──ならば言えたはず。しかしハルカは、自分がなぜそう言わなかったのかが分からなかった。
ハイコを庇ったのか──? 自分を庇ったのか──? そもそも何から庇おうとしたのか──分からなかった。
ユカリとモモは、ハルカがいなくなった理由より、ハルカが無事だということに安心したようで、少しも疑う様子はなかった。それにハルカの心は小さく痛んだ。
それから、明日の朝早めにハルカが寮へ行って、制服やバッグを受け取り、衣裳を返す約束をした。その時ハルカの携帯電話がまだ生徒会室の金庫にあることを知った。
最後にハルカはもう一度だけ謝った。心配させてしまったことと嘘をついたこと、両方が詰まったごめんなさいだった。ユカリとモモはハルカが終話ボタンを押すまでずっと優しかった。ハルカはまた泣きそうになっていた。
続いてハルカは子機のメモリーを検索して、リュウトの携帯電話に電話をかけた。ユカリ達から連絡がいくかもしれないが、ハルカは自分から言いたかった。自分のことを好きだと言ってくれたリュウトが今どれだけ心配しているか──ということは、ハルカにもなんとなく分かるから。
「ねぇねぇハイコ。ハルカちゃん長くない? やっぱ男かな?」
ソファーでくつろぐチヒロが、いきなり小声でこそこそと話し掛けてきた。楽しげに。絨毯に座ってコーヒーをすすっていたハイコは、思わず目の前のテーブルにそれを噴き出した。
「なんだよその派手なリアクションは? 動揺してるってことはやっぱ好きなんだぁ」
テーブルを拭き終えたハイコは若干暗い表情で、
「……分からない。でも、ハルカが男子生徒と一緒にいたりすると、なんていうか……その、もやもや……してくるというか……。なんか、自分が変になるというか……──」
片手で額を押さえていると、チヒロが肩にばしっと手を置いてきた。そして呆れたように、
「おまえは田舎の中学生か?」
ハイコがきょとんとしていると、
「それを日本ではやきもちというのだよ。そしてなぜ人はやきもちを妬くのか? 好きだからに決まってんじゃん。ハイコはハルカちゃんに恋してるんだよ。Du verstehe?【ズー フェアシュテーエ/分かったか?】」
なぜ最後だけドイツ語なのか謎だったが、ハイコはつられて、「Ich verstehe【イヒ フェアシュテーエ/分かった】」と言っていた。そして言ってしまってから慌てて否定する。
「まっ、まさか! 違うよ! だっ、だってハルカは15歳だし高校生だし私の生徒だし……私は教師、だし……ヴァン……パイア……だし……」
だんだん消沈していくハイコ。
「はっはーん。それがハイコの“引け目達”か」
立ち上がったチヒロはどこか淋しげに、
「“ヴァンパイアだから”、ねぇ……。なにげにそれが一番ネックだったり? だからいつにも増して“拒絶”しまくりだったの? “満月”なのに……よく我慢できるな……」
熱帯魚の水槽を覗き込んだチヒロは少し怒ったようになって、
「飲んでないだろ? ──“血”」
ハイコの肩がびくっと震える。
なにもかもその通りだった。
自分がヴァンパイアというだけで、ハイコは知らず知らずのうちに何かを諦め遠慮してきた。“資格”が無いような気がしたのだ。人間社会で暮らしていけるだけでも十分なのに……恋なんて。おこがましいにも程があると思っていた。
ハイコが特にここ最近、人間の血を飲むことを拒絶していたのは、ヴァンパイアである自分を無理にでも遠ざけようとしていたからだった。
ヴァンパイアでなくなればハルカにもっと近付ける──。そんなことを夢想した軽い現実逃避だったのかもしれない。
もちろん本当は血が飲みたくて堪らなかった。今もコーヒーでごまかしているくらいだ。特に今日は満月なので尚更だった。
水槽から目を離し、こちらを見下ろしたチヒロはまだ続ける。
「人間に恋をしたヴァンパイアがさ、血を飲むのを拒んでついには死んじゃった──って話し知ってる? ……飲みたくないのは分かるけどさ、このまま死んだらおまえバカじゃん。残念だけど、この世界はどうしようもないことだらけなんだよ。だからさ、とりあえず今は“どうにかなること”をどうにかしてみれば? ハイコがヴァンパイアってことを変えるのは不可能だけど、ハルカちゃんをただの生徒から恋人に変える──ってことは不可能じゃないんだぞ?」
そしてチヒロはなぜかまたドイツ語で、「Du verstehe?【ズー フェアシュテーエ/分かったか?】」と付け足す。ハイコはほとんど無意識にぽつりと呟く。
「Ich verstehe……【イヒ フェアシュテーエ/分かった……】」
しかし自信はなかった。ハルカは自分になどまったく気が無いだろうとハイコは思う。その前に異性として、恋愛対象として見られていないと思う……。
やはりハルカには同世代の方が合っているのでは──。そんなことを考えてため息をついていたら。
チヒロが電話機の方へ歩いて行き、それのディスプレイを見下ろした。その時ハイコは気付いた。自分の電話機は、子機が通話中の場合、相手の名前が表示されるということを。つまりチヒロは今、ハルカが通話中の相手の名前を知った訳だ。
チヒロがソファーに戻ってきた。しかしハイコは特にきこうとはしない。プライバシーの侵害に近い気がしたし、ハルカが誰にかけているのかくらい分かるから。恐らくユカリかモモだ。だがその予想は次のチヒロの台詞に砕かれる。
「“間宮リュウト”ってどんな奴?」
ハイコはコーヒーが入ったマグカップを握ったまま固まった。同時にじわじわと焦りのような気持ちが湧く。ハルカはリュウトと何を話しているのだろう。リュウトは自分の知らないハルカをどのくらい知っているのだろう。
「ハルカちゃんとの関係は?」
「どっ、どうしてそんなこと訊くんだい?」
なんとか平静を装って訊いた。
「だって俺ハルカちゃんのファーター【Vater/お父さん】から頼まれてんだもん。“担任”から、ハルカちゃんの学校での様子を訊いておけって」
ここで仕事を持ってくるなんて卑怯だ──などと思いつつもハイコは素直に答える。
「リュウトはハルカの友人だよ」と言ってから急に不安になり、「……たぶん」と付け足す。
「なんだよたぶんて。自信ないの?」
「ハルカは一度リュウトに告白されているのだよ」
マグカップから手を離したハイコは、その手でプラチナブロンドを纏めていたベルベットの赤いリボンを解いた。
「でも断っていた」
「じゃあいいじゃん」
「でもリュウトはまた告白すると言っていた。最近一緒に帰ったりしてて仲良いし、手を繋いでいるのも見たことあるし、もしかしたらハルカはOKを出したのかも……」
ハイコは膝を抱えてうずくまった。なんだかどんよりとした気持ちが抜けない。自分の周囲に人魂でも漂っているような。
「ちょっとちょっとハイコ? どうしたんだよ? いつものバカみたいなプラス思考は? こういう時は、もうっ、ハルカってばいくら私に振り向いてもらいたいからって、これみよがしに男子と仲良くするなんて! かわいいにゃー──とか言って笑うところじゃないの?」
「ははっ……笑えないよ」
ハイコは渇いた苦笑いをチヒロに向けた。チヒロは気圧されたように、「なっ、なにもかも燃え尽きた顔だ……」と呟く。そして真面目な雰囲気になって、
「飲んでないからだよ。だからそんなマイナスオーラに包まれんだよ」




