第5話 恋編5
「え? えぇっ? そ、そうだよ」
不意にハルカの黒い大きな瞳と目が合ったリュウトは、緊張にどもってしまった。大胆なことをした後だし左手は繋いだままだしハルカは猫耳としっぽを付けているし──。近くで見つめられると鼓動は高鳴った。
「カズキにきいたから間違いないよ」
委員長──カズキの言った通り、生徒会室は西校舎の奥にある広葉樹の森の中にあった。
「なんか公園にある遊具みたい……」
生徒会室を見上げたハルカが独り言のように言った。そしてふとリュウトの手を放し、入り口へ向かって歩き出した。リュウトはその瞬間ハルカに悟られないように心中でがっかりとため息をついた。……もっと繋いでいたかったのに──と。
生徒会室の外観は本当に遊具のようだった。剥き出しのコンクリートなのでカラフルではなかったが、あらゆるところに用途不明の梯子や階段が付いていたし、吊橋やトンネルまであった。
「リュウトはここで待ってて」
自分から“下の名前呼び捨てでいい”と言ったにも関わらず、まだ呼ばれ慣れしていないリュウトは心臓が跳ね上がってしまった。それ故に、「待ってよ! 俺も行くって!」と声を掛けた時にはもうハルカは入り口のガラス扉に手をかけていた。半身で振り返ったハルカが、
「平気。一人でできるから」
ハルカの目は一匹狼的で近寄りがたかった。リュウトは仕方なく、「わ、わかった」と頷く。嫌われたくなかったので逆らうような行動は慎んだ。
ハルカが扉の向こうに消えると、リュウトはその場にあぐらをかき、時々茶色い髪を耳に掛けてみたりやっぱり戻してみたり、前髪をかき上げてみたりやっぱり下ろしてみたり、ニットカーディガンに糸屑が付いていないか探してみたり、頬杖をついたりしながら、ひたすらハルカを待った。
(あっ)
リュウトはぴくりと顔を上げた。ハルカが出てきたのだ。
「どうだった?」
駆け寄ってきいてみると、ハルカはとんでもないことを言い出した。
「わたし姫やることにした」
「…………え?」
一時固まってから、「えぇっ!? な、なんで!?」と目を丸くするリュウト。
「暇つぶし」
それだけ言ったハルカは校舎の方に歩き出してしまった。
「ちょ──! 待ってってば!」
もちろんリュウトは追い掛けた。
「断るつもりだったんじゃないの? もしかして変な圧力かけられたとか? 無理矢理やれって言われたの? だったら俺がびしっと言ってきてやるよ。だって知らない奴に1週間も一人占めにされるなんて嫌だろ? てゆーかキモいじゃん」
リュウトはハルカの背中に必死に話し掛けた。ハルカはあらゆることを自分からはほとんど話してくれない人だから。こっちから話し掛けなければ、存在自体がどんどん遠くへ行ってしまう気がした。
「いいの」
しゃべり出したハルカは凜としている。見ようによっては怒っているようにも見える。
「一人占めっていうのは休み時間に雑談したり、昼休みにお昼ご飯一緒に食べたりするだけでいいんだって。たいしたことじゃないよ。だからそれは別に気にしてない。それにたった1週間で済むし」
ハルカは滅多にたくさんしゃべったりはしないので、リュウトは貴重なハルカの声を耳に焼き付けるようにして聞いた。
「会長さんは落ち着いてて良い人だったよ? 怒鳴ったり脅したりして来なかったし。他のメンバーも優しかった。生徒会はただ後夜祭を盛り上げたいだけなんだって。わたしの名前をサイトに勝手に載せたことについては凄く丁寧に謝ってくれた。……菓子折りまで用意してたよ? 大量に。一つも貰って来なかったけど」
「えー? 貰って来りゃ良かったに。ごっそりと」
ついふざけ口調で口を挟むと、
「ダメだってば。だって30はあったもん。きっと冗談だよ。貰ったらむしろこっちが失礼になるよ」
窘め口調は柔らかな響きだった。もう少しで笑顔が見れそうな予感にリュウトの心は躍った。
「ははっ、そっか」
照れ笑いをしたリュウトは、この何気ないハルカとの会話に幸福を感じていた。そして小さな発見をする。ハルカは大勢人がいる場所では極端に無口だが、二人きりになってこっちから話し掛けさえすれば、比較的普通にしゃべってくれる。
「参加者はもう全校生徒の7割り越えてるみたいだし、なんかみんなもうすでに姫はわたしで決定みたいに盛り上がってるし、ここで断ったら年に一度のエーデル祭が白けちゃう気がしてさ。迷惑かけるの嫌だからやることにしたの。よく考えたらさ──」
そこでハルカが先の丸い黒い靴を揃えて立ち止まり、振り返った。
「捕まらなければいいんだよ。大袈裟になることないよ。走るのは得意じゃないけど、高等部は広いし、どこかにずっと隠れてればいいんだよ」
「そ、そうだよな! 捕まんなきゃいいんだよなっ!」
希望が見えたリュウトは意気込んだ。
「なんなら俺がケータイで情報とか教えてあげるよ!」
「あぁ、それはダメなんだって」
「へっ?」
「それすると失格になるんだって。失格になったら抽選で選ばれた人に1週間券を与えるみたい。あと先生に後夜祭のことを言って匿ってもらうのは絶対ダメって言ってた」
「へぇー。やっぱ細かいルール決めてんだぁ。ダメかぁ……」
リュウトは嘆いたが、すぐに、「じゃあさっ」と明るい口調で提案する。
「俺が見つけるよ。相澤さんのこと。絶対一番最初に。愛の力で」
言ってしまってから恥ずかしくなったリュウトは、「なんちゃって」とごまかし笑いをした。そんな横で、ハルカはなにやら深刻な表情で手の中のものを見つめていた。リュウトはそれに気付かなかった。
◆
マンションの部屋に着いたハルカは、今日生徒会長に貰った1枚の写真を取り出した。小さく折り畳んでいたので皺くちゃだった。しかしそこには紛れも無くハルカと白髪赤眼の少年ヴァンパイア──エミリオが写っている。
生徒会長は写真部員でもあり、あの日時計台には、最新型の、動くものに反応してシャッターが下りる、野生動物撮影用のカメラが設置してあったらしい。なんでも、この時期極稀に飛んでくる蝶を撮影する為だとか(時計台の壁には蜜が塗ってあったらしい)。
そんなカメラにハルカはばっちりおさまってしまったのだ。さすが野生動物撮影用。ハルカはシャッター音にまったく気付かなかった。
ハルカだけ写っていたのならまだしも、ハルカを閉じ込めるように壁に両手をつくエミリオまでもがしっかり写っていたので、ハルカは咄嗟に写真を奪った。そしてその行為がハルカの犯したミスだった。
平常心を保っていれば、“写真をばら撒かれたくなかったら姫をやって欲しい”──などと交換条件みたいな要求はされなかったはずなのに。
耐熱皿の上に銀紙を何枚か敷いたハルカは、その上に細かく契った写真を乗せ、帰りに買ってきた100円ライターで火を点けた。
ネガはまだ生徒会長が持っているが、ハルカが写った写真はこの1枚だけだった(ちょうどフィルムが切れたらしい)。
その事実にハルカはほっとした。左手を切られたところやネックレスが光った瞬間などを撮られていたらいろいろ面倒なことになっていただろうから。
ハルカが写真をばら撒かれたくない理由を、生徒会側はこうみていた。
写真の少年はハルカの彼氏で、学園のみんなには秘密にしておきたいから。
しかし実際は違った。ハルカはエミリオに会ったことを担任──ハイコに知られたくなかったのだ。エミリオが何者かを知っている、“ヴァンパイアであるハイコ”に。
それを隠す為だけに、時間の無駄だと思われる後夜祭の鬼ごっこに姫として参加することを承諾したのだった。
燃えカスを片付けたハルカはリュウトがくれた、案内パンフレットには載っていない高等部エリアの詳細な地図をリビングのテーブルに広げた。ところどころにはハルカの友人達が書き込んだ、“行き止まり注意!”や、“隠れ絶好ポイント!”という文字がある。まだ高等部エリアを把握しきれていないハルカの為に書いてくれたものなのだ。
地図を見回しながら、ハルカは明日どこに隠れようかを考えた。誰にも捕まる気はなかった。気配を消してじっとしているのには慣れていたから。
◆
エーデル祭2日目。今日は一般公開の日なので、高等部エリアは朝から大勢の人で賑わった。駐車場は何台もの高級車で埋まった。その中にもちろんハルカの両親のものはない。
奇抜な衣裳を着て頑張ったからか、ユカリの望みは叶い、ハルカ達1年G組は、見事“飲食部門売上第1位”という栄冠に輝いた。
繁盛したメイド喫茶に、担任のハイコは恥ずかしげもなく生徒一人一人にハイタッチをして喜んでいた。……ハルカはさりげなく逃げたが。
その後ハルカは不本意ながらも友人達といろんな場所で何枚も写真を撮った。ハルカ、モモ、ユカリの女子3人で撮ったり、リョウトとツーショットしたりもした。しかし、苦笑程度はしているものの、1枚もハルカの笑顔が写ったものはなかった。
現在時刻は午後5時55分。生徒しか知らない秘密の後夜祭が後5分で始まる。
ハルカは数時間前生徒会長に、後夜祭も衣裳で──とさりげなく不意打ちの如く要求されたので、不本意ながらも衣裳のままでいた。制服に着替えたら写真をばら撒く──と言われたので。
悔しさが込み上げてきたハルカの、“誰にも捕まりたくない”という思いはより一層強くなった。
(どこにしようかな)
ハルカは今隠れ場所を探していた。後夜祭参加者は皆第3講堂に集められているし、不参加者はほとんど下校したので、ハルカは一人悠々と高等部エリアを歩いていた。




