第5話 恋編2
「はーい。今日も全員出席かなー? 藍内くん!」
ハイコが点呼を取り始めた。まったくもって平和な日常だ。
「相澤くん!」
ハルカが呼ばれた。
「……はい」
いつものように頬杖をついてそっぽを向きながらぼそっと返事をする。
ハイコはそんなハルカの態度を一度も注意することはなかった。そういう小さい教師ではなかった。寛大で、親近感があって、いつもバカみたいに、太陽みたいに微笑ってる。……ヴァンパイアだけど。
9月15日。ハルカはあの日時計台でエミリオに会ったことをハイコに言ってない。これからも言わないつもりだった。
ハルカはエミリオに貰ったネックレスの、土星みたいなヘッド部分を握った。純粋に、錆びたら困ると思って入浴前に外そうとしたら、どういう訳か外せなかった。ペンチを使ってみてもダメだった。その時ハルカは、エミリオが“外すな”と言わなかった理由が分かった。外せないのだ。
左手の甲の傷はほぼ治っていた。エミリオは傷が治る頃にまた来ると言っていた……。
(……先生……)
点呼を取るハイコを半ば無意識に見つめたハルカは、一人不安になっていた。
エミリオに逆らわないことが得策なのは分かっていたが、このままだらだらと従い続けるなんて嫌だった。自分の意志が消えてしまう。真っ暗闇の海に堕ちてしまう。これでは昔と変わらない。敵わないから黙って従い続けるなんて。それはきっと相手の為にもならない。
しかし今度の相手は大人でもなければ人間でもない。ヴァンパイアだ。瞬間移動したり道具もないのに炎を出したり。まったくもって反則的な技を使う。その上常識が通じない。
……どうすれば。
◆
いつも一緒に行動している5人の中で、リュウトだけが自宅から通っていた。
リュウトは大病院の大事な跡取り息子だそうで、いつも高級車で送迎されていた。しかし1週間前やっと話しが通ったとかで、現在はハルカと一緒にモノレールで通っている。東京タワー付近に住んでいるらしく、離れているが方面的にも同じだった。
「じゃあまた明日」
「うん、明日ね!」
明るくそう言うリュウトにハルカは軽く手を振ってモノレールを降りた。
リュウトは明日のハルカのメイド服を心から楽しみにしているらしい。ハルカは複雑だったが。
好きな人がバカっぽい格好をすることが、なぜそんなにも楽しみなのか。ハルカには全然分からなかった。
装飾班の仕事が思いの外長引いてしまったので、空はもう真っ黒だった。しかしハルカが降りた駅周辺は若者に人気の娯楽スポットなので、人通りも多く、十分に明るかった。道も清潔だし整備されているし、治安もそんなに悪くない。東京に引っ越して来てハルカは一度も不逞の輩に絡まれたことはなかった。
東京は怖いと前の学校の友人に言われたことがあるが、そんなことはなかった。
人が多くて夜も明るい──。ただそれだけ。
マンションの部屋に着き、いつものように夕食の冷凍食品(今日はチャーハン)をソファーの上で膝を抱えながら食べていると、電話が鳴った。
親機のディスプレイに表示されていたのはハルカの父親の名前だった。
それを見たハルカは一気に、今食べたものが出そうなくらいに重たい気持ちになった。憎む程ではないが、ハルカは父親を嫌っていた。仕事ばかりに夢中になって、母親に淋しい思いをさせたから。それなのに離婚後、自分は悪くないと言い張り、母親の悪口をたくさん言うから。
渦巻くものを心に感じながらも、ハルカは静かに受話器を取った。
「……もしもし」
『ハルカか』
低く、情の篭っていない淡泊な声。
「うん」
『東京はどうだ? 何か変わったことはないか?』
「ないよ。なんにも」
本当は言い尽くせない程あったが、父親なんかに言うつもりは毛頭なかった。
『そうか。もうすぐ試験だな。勉強は進んでるか?』
「うん」
『そうか……』
そこで一拍の沈黙。
『ハルカ。父さんが勧めた病院、まだ行っていないそうではないか』
引っ越し前と変わらず、ハルカの父親は相変わらず冷厳人間だった。
「……」
ハルカは一旦黙り込む。確かに父親に、精神科を受診しておくようにと言われていたが行っていない。
「もう治ったからいい」
『嘘を付くな。診断してもらえばすぐに分かるんだぞ? ハルカはPTSDなんだ。“あの女”のせいでな』
「……」
嫌悪と怒りがじわりと湧いたハルカは例によって無口になる。
一度は愛したはずの自分の妻をあの女呼ばわりするなんて。許せない。
『まぁいい。言っておいた病院にはもう行かなくていい』
意外な台詞に少し驚いたハルカは瞬きをする。
『少々変わった臨床心理士を見つけたんだ。個人でやっているそうだ。薬物治療はできないがカウンセリングの腕は確からしい。近いうちハルカの前に現れるから、名前だけ言っておこうと今日は連絡した。──牧野チヒロだ。もちろん男性なので安心しなさい』
その時受話器の向こうで、『お時間です』という男性の事務的な声がハルカの耳に微かに届いた。
『仕事だ。また連絡する』
父親が電話を切ろうとする気配に、ハルカは理由の分からない焦りを感じた。嫌いのはずなのに。早く切りたいはずなのに。
「お父さん……」
ぽつりと切り出す。
『なんだ?』
「今どの辺いるの?」
『ヴェネツィアだ』
父親は、それがどうした? とでも言いたげな口調。
「ふーん。じゃあね」
特に感情を込めずに言って切ろうとすると、今度は父親がぼそっと。
『……ハルカ、ちゃんと食べてるか?』
「食べてるよ」
冷凍食品だけど。
『そうか。もっとカードを使っても構わないんだぞ? 全然使ってないじゃないか』
カード……。確かにハルカは父親からクレジットカードをもらった。しかもブラック。しかしほとんど使ってない。テレビで見る裕福で華やかな芸能人みたいに、お金を使うことに興味はなかった。欲しいものも特にない。大型液晶テレビも、AV機器も、グランドピアノも、高性能望遠鏡も、最新型のパソコンも、すべて父親が買ってしまったから。その中で本当に欲しかったのは望遠鏡だけだったが。ピアノはアップライトで十分だったし、パソコンに到っては別に欲しくなかった。
「これでも使ってるよ。仕事なんでしょ? 切るよ?」
『あ、ああ。じゃあな』
少し引っ掛かるように言った後、父親は電話を切った。ハルカも受話器を置いてソファーの上に戻る。
「やだな……」
膝を抱えながらぼんやり呟いた。
不器用で淡泊なところなんかは父親に似ているのかもしれない。ハルカの顔は母親似だが、悔しいことにどうやら性格は父親似のようだった。
解凍した冷凍チャーハンはもう冷たくなっていた。特に味わうでもなく咀嚼したハルカはミネラルウォーターと一緒に飲み込んだ。
食べることにも興味がなかった。携帯用の固形食品で済ませることも多々あったので、今夜は“まし”な方だった。
◆
……何かが違う。
登校して来たハルカは自分の教室に向かう途中、生徒達の視線がいつもと違うことに気付いていた。
「……っ! ハルカたん!」
教室の扉を開けると、慌てた様子のモモがばたばたと駆け寄って来た。
「大変よう! 大変なのよう!」
モモが言うとあまり大変そうに聞こえない。
「どうしたの?」
とりあえずきいてみる。
今日女子が着る衣裳が間に合わなかったとか? モモには悪いが、それだったらそれはそれでいいかもしれない──などと思いながら。
「いいからこっち来てぇ!」
引っ張られるがまま、ハルカはいつものメンバーが集まる場所へと向かった。ユカリ、リュウト、ケイタ、カズキ。みんな揃っている。
「これよこれぇ!」
興奮気味にモモが指差したのは、机の上に開いて置かれたケイタのノートパソコン。
「ほんとは毎日変わるパスワードを入力しないと見れないんだけど、誰も知らなかったからケイタくんがハッキングしてくれたの」
「レンタルサーバのファイアウォールなんて簡単すぎてつまんないね」
そう言ったのはモモの彼氏でありノートパソコン所有者のケイタだ。二人してさらっとすごいことを言っている……。
「相澤さんオハ……」
挨拶してきたリュウトはいつものような元気がない。どうかしたのだろうか?
「おはよ。何かあった?」
「てゆーかこのサイト見てよ……」
言われるがまま見てみると。
それは、黒の背景に赤い文字という、ありがちなアンモラル臭の漂うサイトだった。そしてタイトルは“エーデルダークH”。トップ画像はエーデルワイス学園高等部全景の逆さま写真。その下には、このサイトは私立セント・エーデルワイス学園高等部生徒会公認の裏サイトです──という説明文。
(なにこれ?)
ハルカは目を見張る。こんな清純そうな金持ち学園に裏サイトがあったなんて。しかも生徒会公認?
ハルカの瞳に、一際大きな字体で表示された文字が映った。
ついに決定!!(遅いよっ)
今年の後夜祭は“鬼ごっこ”!!(パチパチパチ)
参加者全員が“鬼”となって1人の女子生徒──通称“姫”を捕まえてもらいます。
逃げる“姫”を見事捕まえることができた生徒には、なんと! なななんと!(早く言え)“姫”か生徒会メンバーの誰か1人を、1週間一人占めしていい券(というか“権”?)が与えられます!
こんなチャンス二度とないぞ!
さぁ、興味を持ったそこのキミ! 今すぐ管理人にメールを送って参加表明をしよう! 詳しいルールを折り返しメールでお知らせするよ! 参加資格は高等部の生徒であることのみだ!
“姫”が誰なのか知りたいキミは“ここ”をクリックだ!(ちなみにまだ姫の了承得てません。大丈夫! 必ずもらってみせます! 生徒会の名にかけてーっ!)




