第5話 恋編1
衣替えの季節だ。
朝、ホームルーム前の賑やかな教室で、ハルカは一人窓辺に佇み、すっかり秋らしい薄い雲が浮かぶ高い空を、黒い大きな瞳でぼんやりと見上げていた。
寝癖一つ無いまっすぐな黒髪が時折風に舞っている。
最近ハルカは寝不足気味だった。あと2週間もしないうちに中間試験が始まるから。毎晩遅くまで勉強していた。
私立セント・エーデルワイス学園高等部女子の冬服は、夏服と同じタイプのワンピースに、校章入りのブレザーを羽織るのが基本だった。両方とも色はワインレッドなので夏服の純白とは雰囲気ががらっと変わる。
ワンピースの上にセーターを着てからブレザーを羽織ったり、セーターだけでブレザーは着なかったりと、皆自由に着こなしていた。
2学期から転入してきたハルカにとっては初めての冬服だった。
ハルカはワンピースの上にボタンをすべてとめたブレザーを着ていて、その下は黒のニーソックスだった。寒がりのハルカは、衣替え2日目にして早くもこれを着用していた。エミリオの言う通り、この学園の制服のスカートは短すぎるから。
「ハッルッカたぁ~ん。おっはよ~ん」
リズムをつけて元気よく笑顔でハルカに挨拶をしてきたモモは、ワンピースの上にピンクのニットカーディガンを羽織っていた。ブレザーはなし。それから苺の刺繍と白いレースが入ったかわいらしいグレーのハイソックス。
そして相変わらず髪形はミルクティー色のくるくるツインテールだった。明るく無邪気で子供っぽいモモだからこそ許される格好かもしれない。
「お、おはよう。元気だね……」
ハルカが引き攣りながらも振り返って挨拶すると、
「ほんとだよまったく。なんでそんなにはしゃげるんだか。小学生か」
呆れた風に言ったのはユカリだった。ユカリはワンピースの上にボタンをすべて外したブレザーだけを羽織っていて、シンプルな紺のハイソックスを履いていた。
シャープな雰囲気とショートの赤毛、それから背の高さも相俟って、ユカリは今日も頼りがいのあるかっこいい大人の女性を感じさせた。黒のスーツが似合いそうだ。
「だってぇ。明日は待ちに待ったエーデル祭だよ~?」
モモの瞳が生き生きと輝く。
確かに明日から2日間、高等部ではエーデル祭という名の文化祭が始まる。高等部エリアはどこを見てもエーデル祭一色で、みんな最後の仕上げに余念がない。が、しかし。ハルカはまったくもって興味がなかった。そんなことより重要なのはその先の中間試験だった。
「衣裳班はもうほぼ完璧のパーフェクトなんだけど、ハルカたんの装飾班はどう? いい感じ? モモ忙しくて見に行けてないんだぁ」
「まぁ、いい感じかな」
どうでも良かったがいちおうそう答えた。
ハルカ達1年G組は飲食店を出せることになった(担任のハイコがくじ引きで当てたから)ので、装飾は別の校舎にある、教室の3倍はある多目的室に施されている。
テーブルや椅子の搬入も終わり、あとは細かい装飾を残すだけとなった。金持ち学園なのでなにもかもがやたら本格的だが。なにしろ一部本物の業者が手を加えている。生徒の文化祭なのに──というツッコミは誰もしなかった。
「わぁ! 早く見てみた~い!」
一際顔を輝かせるモモ。
「ロココ調なんでしょ~? おフランス萌え~」
「朝っぱらから萌えとか言わないのぉ~」
ユカリの手の平に両頬を挟まれたモモは、「うにゅ~」と意味不明な声を出していた。
「ユカリは食品班だっけ? そっちはどう?」
ハルカがきくと、ユカリはモモから手を放して、
「こっちもいい感じだよ。ケーキは駅前の美味しいケーキ屋さんから調達できることになったし、飲み物も良い紅茶とか手に入ったしね。当日作るパフェとかクレープの材料もバッチリ揃ったよ」
そこでいきなり憂鬱そうになったユカリは低い声で、
「……これで当日調理室に篭れたら最高なんだけどね……」
明日の今頃は、モモ達衣裳班が製作した衣裳を着て、装飾班だろうが食品班だろうが、女子はクラスに3人しかいないので問答無用で接客班に回される。もちろん男子もやるが、明らかに女子の方が労働時間が長い。
しかしユカリが憂鬱そうにしているのは労働時間のことではないのだ。
ユカリとはまだ少ししか過ごしていないが、ハルカはユカリの性格をだんだんと知ってきていた。
ユカリは責任感が強いし面倒見も良いので、滅多なことがない限り断ったり嫌がったりしない質なのだが、衣裳に大問題があったのだ。
なにしろG組の出し物はメイド喫茶で、着る衣裳はメイド服だったから。
「なんで現代日本でメイド服なんか着なきゃいけない訳? あんなひらひらした服見るだけで鳥肌が立つし。あー……。親に見られるなんてこの世の終わりだよ……。あーゆーのを私服で平気で着れる倉田がますます意味わかんない」
「あー。ひどーい。それって偏見だなぁ」
片頬を膨らませ、腰に手を当てて不満そうに言うモモ。
「ねぇねぇ、ハルカたんはメイド服楽しみだよねっ?」
ころっと表情を明るく変えたモモがハルカに詰め寄ってくる。
「え……」
困ったように目を逸らしたハルカは、「わたしも嫌」と一言。
恐らくユカリ程重症ではないが、ハルカもメイド服を着るのは心底憂鬱だった。ユカリのように見て欲しくない家族は来ないが、たぶん似合わないし、なにより初めて会う人すべてにバカだと勘違いされそうだから。
しかし、なんだかんだ言ってユカリは着るようだし、それにモモ達衣裳班が丹精込めて作ってくれたものをハルカだけ着ないなんてわがままなことはできないので、ハルカはメイド服を着る覚悟を決めていた。
唯一メイド服姿を見られたくないとしたら……。
(やだな……)
ハルカの脳裏にプラチナブロンドの変な担任が過ぎった。
あの人にだけは見られたくないかもしれない。いろいろうるさそうだ。あの人の前でだけ耳栓でもしようかな。
冗談とも本気ともとれないことを考えていると、
「みんなおっはー! ついに明日だよ!」
2週間以上前にハルカにいきなり告白してきたリュウトだった。その隣にはモモの彼氏の木之本ケイタと、ユカリの彼氏の橘カズキがいた。
木之本ケイタは、ノートパソコンと秋葉原とモモが大好きな無気力系オタク。
橘カズキは、弁護士を目指している成績優秀で打算的なインテリ系クラス委員長。
近頃ハルカはこの5人と行動していた。すべて不本意だが、昼食を一緒に摂ったり、放課後ゲームセンター(ハルカは見てるだけ)やカラオケ(ハルカは聞いてるだけ)に行ったりと。
当たり前だが男子も衣替えをしていた。基本は紺のスラックスに白のブレザーだったが、リュウトはカーディガン、木之本ケイタはセーター、橘カズキはブレザーと、みんな様々だった。リュウト以外はきちんと紺のリボンをしていた。
「おぉっ!? 相澤さん! そっ、そそそ、それはーっ!!」
近付いて来たリュウトがハルカの何かに驚いている。朝から大きな声を出して、テンションはモモ並だ。しかしその明るさのお蔭で、告白を断ってから一度も気まずい雰囲気になったことはない。
「うおー。眩し過ぎて見えないし」
「なに?」
気になったハルカは首を傾げた。
「あー! 分かったぁ。リュウトくんてばハルカたんのニーソックスに萌え萌えなんだぁ。スカートとニーソの間に覗く絶対領域に萌え萌えなんだぁ」
モモは楽しそうだ。
「ちちち、違っ──!」
慌てた様子のリュウトに、橘カズキが眼鏡の位置を中指で直しながら冷静な一言を。
「図星だな」
「違うっつってんだろっ!」
「ずっぼし、図星、変態、リュウちゃん」
リズムをつけながらも特に表情を変えずに言ったのは、めんどくさがり屋の木之本ケイタだ。
「バカにすんなよっ!」
リュウトの顔は赤い。
「ずっぼし、図星、変態、リュウちゃん!」
モモも彼氏である木之本ケイタの真似をし出した。彼女の場合、うきうきとこの上なく楽しそうだったが。しかしふと木之本ケイタの傍に寄って行って不安そうに、
「ねぇねぇねぇケイタくん。ケイタくんもニーソの方がいい? それならモモ明日から履いて来るよ?」
「んー? 確かにニーソは萌えるけどー……」
茶色いくせ毛を指に絡ませ、眠そうにゆっくりとしゃべる木之本ケイタに、「萌えるけどぉ?」とモモが見つめて次の言葉を待つ。
「僕はむしろ、モモみたいに明らかに履くだろうと思われる子が履いてない──というのに計り知れない萌えを感じるなぁ。ギャップこそ萌えの原点だと思うよ。うん」
「わかるー! ギャップこそすべての萌えに繋がってるよねっ!」
モモは木之本ケイタの腕に飛び付いた。
「わっけわかんね」
リュウトが呆れたようにぼやいた。ちょうど今ハルカもそう思ったところだった。こういうところなんかは実は気が合うのかもしれない。
「僕のことを分かってくれるのはモモだけだよ。ギャップは原点だよね?」
「うん。ギャップは原点よ。ケイタくん……」
「原点だよね。モモ……」
手を取り見つめ微笑み合う木之本ケイタとモモ。オタク同士、二人にしか分からない世界を醸し出していた。
「Guten Morgen!【グーテン モルゲン/おはよう】私のかわいい生徒達よ! ついに明日はエーデル祭だよ。 楽しみだねぇ。わくわくするねぇ」
その時プラチナブロンドの変な担任──ハイコが“いつもの”テンションでやってきた。
「このオタアホップルめ」
どこか悔しそうに吐き捨てたリュウトが離れて行く。
「はぁーあー、やってらんない。バカが感染るから行こっ? カズキ」
「同感」
ユカリと橘カズキもそれぞれの席へ。
「リュウちゃんその略し方ビミョー」
「ビミョー」
手を繋いだまま、木之本ケイタとモモも自分達の席へ。
ハルカも、窓際から2列目の前から4番目という微妙な自分の席へと戻った。




