第4話 12
ほっとしたものの、ハルカはやっぱりむっとして、つんとそっぽを向きながら低い声で、
「……うるさいなぁ」
「でも本当はそんなこと思ってない──が正解かな?」
にこにこと分かったように言うハイコに、ハルカはまたもやむっとする。
「知らない。もうハイコ先生なんか大っ嫌い」
さっさと歩き出すハルカに、ついて来たハイコが妙に嬉しそうに、
「おぉ! 大嫌いということはだいす──んんっ!」
なんてことを言うのだろうとびっくりしたハルカは、背伸びをして慌ててハイコの口を塞いだ。そして冷たく睨み上げながら、
「バカじゃないの?」
すっと手を放したハルカは黒髪をぴっと翻し、またセントラルエリアの整備された石畳を歩き出す。ハイコは何も言わずに、ハルカの左斜め後ろからついて来た。
右斜め前を歩く、肩まで伸びたストレートな黒髪と意志の強そうな大きな瞳が特徴の小柄な少女──ハルカを、ハイコは碧い瞳でじっと見つめていた。少し動揺していた。いきなり口を塞がれたものだから。
まだ消毒液の匂いが微かにする。その奥にハルカの柔らかい匂いも。
ハイコはハルカの左手の包帯へと視線を移した。
(誰に巻いてもらったのかな……)
片手で巻いたにしては綺麗過ぎる。しかし保健室にハルカが寄っていないことは分かっていた。ハイコ自身が探しに行ったのだから。
その前に何より、ハイコが最後に見た時、ハルカは左手の甲など怪我していなかった。その後に怪我したのだろうか。
なんにしろ腕や足の擦り傷より大きいことは分かる。でなければ包帯などしない。
それからあのネックレス。
ハルカの首には確かに、最後に見た時にはしていなかったネックレスがあった。土星の形をしている、シンプルで繊細なものだ。
髪も染めていなければ制服を着崩してもいない真面目なハルカ。あのネックレスには何か特別な理由があるに違いない。
綺麗に巻かれた左手の包帯。茶色い紙袋。土星のネックレス。
(……うーん。分からない)
増えたものを挙げてみても、ハイコにはそれらが発するメッセージを解読することが出来なかった。
本人は答えてくれそうにないし、この謎を解くには時間がかかりそうだった。
「ハイコ先生は人気あるみたいだし──」
すると突然ハルカが立ち止まって振り返った。
「わたし一人に嫌われたところでどうってことないでしょ?」
ハルカの目は冷たく突き放すようで、顔に表情は無い。
「どうってことあるともさ!」
ハイコは熱を込めて言った。ハルカはびくっと肩を震わせて瞬きをした。こんな反応されるとは思ってなかった──というような顔だ。
「私は確かに生徒達に人気がある方かもしれない。けれど人にはそれぞれ好みがある。だから全校生徒に好かれたいなどと思ったことは一度もないし、多少の冷たい態度も全然気にしない」
「へ、へぇー。それで?」
ハルカの相槌は気圧されたようなものだった。
「でも、ハルカだけは違うのだ。ハルカは私の秘密を知った唯一の生徒。そんな生徒にはやっぱり嫌われたくない。好かれたい。受け入れて欲しい。……わがままで一方的なのは分かってる。でも、何て言うかその、ハルカに嫌われると、胸が痛むな……」
自分は何を言っているのだろう。
ハイコは頬を赤らめて下を向いた。
自分がヴァンパイアだということを明かして、それでもいつも通りに変わらずハイコに接してくれた人間は、今まで一人もいなかった。
急によそよそしくなったり、異常なまでに愛してくれたり。反応は様々だったが、みんな普通じゃなくなった。最後には少し手が触れただけで悲鳴を上げられたり怒鳴られたり。そして会わなくなっていった。
ハイコが誰かに正体を明かすのは数年振りくらいだったが、こういうことはいくら時間が経ったって、国が変わったって、結末は結局同じなのかもしれない。
しかしハイコは、ハルカだけはどうか違うといい、今までの人間と違うといい──。そう強く思っていた。願うように。
「わたしに嫌われたくないならさ」
しゃべり出したハルカの表情は少し和らいでいた。
「とりあえずしつこく纏わり付かない方がいいと思う。それから詮索する人も嫌い。人を勝手にかわいそうって決め付ける人も、約束を破る人も、嘘をつく人も、淋しい思いをさせる人も、他人のせいにする人も、みんな嫌い」
ハルカはまるで、“特定の人物”を頭に思い浮かべて言っているようだった。しかしそれが誰かはハイコにはまったく分からない。
ただ、ハルカには何か大きくて暗いものが隠されているように見えた。冷たくて、涙も凍るような闇が。
「ハルカに好かれるには大変そうだね」
冗談っぽく苦笑したら、ハルカは、「別に誰からも好かれなくたっていいもん」と言い、ふいっと横を向いてしまった。
ふて腐れているその様子が愛らしくて、ハイコはつい、「ごめんごめん」と微笑ってハルカの頭にぽんと手を置く。するとぶすっとした様子のハルカに、「あのさ、わたしの頭は先生の手置き場じゃないんですけど?」と言われ、腕で払われてしまった。その仕草はまるで子猫みたいで、ますます愛らしかった。
“ヴァンパイアに触られている”──という拒絶の色は見られなかった。ハルカは本当に、ヴァンパイアであるハイコに嫌悪感を抱いてはいないようだった。
“迷宮の薔薇園”で大きな声を上げられたが、あれは別にヴァンパイアなハイコが怖かったからではなかったのだ。
(良かった)
安堵したハイコが微笑んでいると、
「やっと見つけた。“やり方”」
黒い瞳でまっすぐに見つめてくるハルカ。




