第4話 11
足を止めたハルカは戸惑いながら、
「だ、だからごめんなさいって……」
言ってるでしょ。しかしリュウトは、
「どうしてもダメ? 青春はまさに今なんだよ? 断っちゃもったいないって。カップルライフへいざ出陣だよ。想像以上に楽しいかもじゃん! やってみなきゃ分かんないよ! ねっ? 付き合っちゃおう?」
リュウトの笑顔は眩しくて、プラスなオーラに満ちていた。すごいエネルギーを感じた。流されそうだった。
しかし人の好きという気持ちなんてすぐに廃れてしまうものだ。いつか必ず終わりが来る。終わりの虚しさといったらない。会うのも会話をするのも気まずい雰囲気に包まれ、白けていく。
ハルカはそういうクラスメイトを何人も見て来た。
愛なんてものは結局、孤独な人間の為に用意された束の間の遊戯にすぎないのだ。
「無理です。もう帰る」
素っ気なく立ち去ろうとした。
「ちょ、待ぁーった待った! 聞いてってば。そうだ、じゃあこうしない?」
ハルカの進路に立ちはだかったリュウトは必死そうだった。
「3ヶ月くらいお試し期間ということで付き合ってくんない?」
(さ、3ヶ月!?)
心底びっくりしたハルカは、「フツーに長いよ」と突っ込む。
「あははっ。やっぱり?」
リュウトは照れたように笑った。
「じゃあ1週間は?」
いきなり約12分の1にしてきた。
最初にすごく高い値段を見せて、そこから大幅に値下げし、客に得をしたと思わせつつ実は初めからその値段で売り出す予定だった──みたいな。……なんだかそういう詐欺があった気がする。そして今実際に遭っている気がする。
「……」
ハルカは斜め下を見ながら考えた。
リュウトの言う通り、何事もやってみなければ分からない。逃げて避けてばかりいては、道は開いていかない。が。それとこれとは話しが別だった。彼氏なんて作ったらエミリオはきっと怒るだろう。リュウトに何か危害を加えるかもしれない。
そんなことは絶対に避けたい。
「……ダメ?」
困ったような表情で首を傾げるリュウト。その愛らしい仕草はまるで幼い男の子のようだった。屈託のない純粋な──。
「好きって言ってくれたのは嬉しかった。ありがとう」
ハルカはリュウトの目を見て静穏に言った。
「でも、やっぱりわたしは誰とも付き合う気はないから。ごめんなさい」
「分かった」
「え?」
物分かりの早さに少し驚いた。
「“今回は”諦めるよ。でも絶対また告るから。それは明日かもしれないし1ヶ月後かもしれないし──俺にも分からない。でも必ずね。俺しつこいからよろしく! うっ。やべぇ。挫けてしまいそうだ。あっ、傷ちゃんと手当てしときなよ? じゃ、じゃあ! 俺もう行くわっ」
「あっ」
リュウトは片手を上げると、まるで退却するように走り去って行った。短距離走の勢いで。
最後だけ声が震えていた。泣いていたのかもしれない。
「あ……」
ハルカはまた小さな声を上げた。
“あの人”には言えなかったありがとうの言葉を、また簡単に誰かに言っている自分に気が付いた。
どうして“あの人”には簡単に言えないのだろう。たった5文字の言葉なのに。
「ハルカみーつけた」
まるでタイミングを計ったかのような登場だった。
斜め後ろ辺りから聞こえて来た落ち着いた甘い声に、ハルカはゆっくり振り返った。
「すごいねハルカは。まだ2日しか通ってないのにもう告白されてしまうなんて。いやー先生正直ハラハラドキドキしてしまったよ。やっぱ青春はいいよねぇ」
「……見てたの?」
覗きなんて趣味が悪い。思わず半眼で睨むハルカ。
違うのに。そうじゃないのに。
「うっ。えっと──その──たっ、たまたま通り掛かって──それで──声が聞こえたから──覗き見するつもりは──」
言い訳らしきことを目を泳がせて言ったハイコは、最後に「ごめんなさい! 覗いてました!」と頭を下げた。結っていないプラチナブロンドがふわっと舞った。
「違う。そうじゃないの」
「はい?」
きょとんと顔を上げたハイコ。
「違う。別に怒ってない。見られたくらいどうでもいい」
「……そうなのかい? それはひと安心だ」
「ハイコ……先生は? まだ怒ってる……?」
ハルカは上目遣いでハイコの顔色をそっと窺った。時計台に行く前、自分が“触らないで”と強く言ったことで、ハイコが怒っているのではないかと思っていた。
「えっ? 私が? どうして?」
ハイコはさっぱり意味が分からないというように瞬きをしていた。
「どうしてって……」
言われても。
困ったハルカはもう一度きいてみた。
「本当にもう怒ってない?」
「当たり前だよ。ハルカに怒りを覚えたことなんて一度もないさ。安心して?」
微笑みながら、ハイコはぽんとハルカの頭に手を置いてきた。その手は大きくて、温かかった。
父親に頭を撫でられた記憶がまったく無いことを、ハルカはこの時ふっと思い出した。
「やめて」
居心地が悪くなったハルカは嫌々をし、後退してハイコの手から避難した。出来るだけやんわりと。……また傷付けてしまうかもしれないから。
「ははっ。ハルカはかわいいね。だから告白されてしまったんだね。ちなみに彼、リュウトは軽めの印象を受けるかもしれないけれど、根は律儀で情に脆く、その上感動屋さんなのだよ。夕日を見て泣いたこともあると言っていたなぁ……」
「興味ないよ。男子なんて」
そっぽを向いてぼそっと呟くハルカ。
「悲しいなぁ。恋はいいものだよ? 甘く美しく、時に儚く切ない……。情熱という名のメリーゴーランドは、愛という甘美な安らぎを糧に回り続けるのさっ」
ハイコは夢見るように生き生きと語っていた。
(なにそれ……)
意味が分からない。引いたハルカは真顔で一言。
「それって笑うところ?」
「ガーン! 違うよっ。感動して涙を流し、あまつスタンディングオベーションするところだよっ」
ショックを受けたようなハイコは必死そうだ。
「余計分かんない」
眉をひそめ首を傾げるハルカ。すると落ち着きを取り戻した様子のハイコが、「ハルカはしたことないのかい? 恋」ときいてくる。
「そんなこと先生には関係ないと思います」
意地悪っぽく言ってしまった。ありがとうを言わなくてならない人にする態度ではない。
「それは失礼致しました」
ハイコが優雅に一礼する。
「ところで、ねぇハルカ。その手はどうしたんだい? それからその紙袋はなんだい? さっきは持ってなかっただろう?」
ハイコの視線を自分の左手の包帯と右手の茶色い紙袋に感じたハルカは、とっさに両方を背中に隠した。
傷は言い訳出来そうだが、紙袋の中の治療用具やエミリオから貰ったノートを見られたら非常に困る。ドイツ製の消毒液をハイコが見たら、一瞬でヴァンパイア関係の何かを連想するかもしれない。エミリオに会ったなんて知られたら心配するだろうし、脅されたとはいえ相談無しに会いに行ってしまった軽率なハルカを叱るかもしれない。……怒られるのは嫌だ。
「ハルカは隠し事が下手だね。それ、急いで隠さなければならない程機密性が高いんだ?」
「……っ」
ぎくりと肩を震わせる。失敗した。もっと普通にしていれば良かった。
「ねぇハルカ。何かあったのなら相談に乗るよ? 私が嫌なら保健の先生やスクールカウンセラーがいるから。一人で悩まないで欲しい。モモやユカリだってとても良い子だ。きっとハルカを助けてくれるよ?」
「……別になんでもない」
エミリオにペットにされた。次に会う時は外国に連れて行かれ、血をたくさん吸われるらしい。殺しはしないみたいだけどやっぱり怖い。行きたくない。
そんなことは言えない。しかしもしも誰かに相談するのなら、それはハイコ以外には誰もいないのではないか? こんなクレイジーな悩みを本気できいてくれそうなのは、今ハルカの目の前にいるハイコだけだった。
しかしハルカは黙っていた。まだ切羽詰まった状況とはいえない。まだ耐えられる。2年前以前の方が切迫していた。毎日が不安と恐怖でいっぱいで、常に何かに脅迫されている窮屈感が漂っていた頃よりは、今の方が何倍もましだった。
それにハルカは相談するということの意味が分からなかった。何も知らない他人に自分の内をさらけ出すことが、いったい何の救いになるというのか。傷が増えるだけではないか。相手はただ憐れむことしかできないくせに。
相談を請け負う人というのは、ただ自分よりも惨めで哀れな人生を送っている人間を、見下して優越感に浸りたいだけなのかもしれない。
“こいつよりはまし”──。そんなことを思って嘲っているに違いない。
ハルカは短く小さくため息をついた。
自分のネガティブさに自分で呆れていた。どうしてこんな考え方になってしまうのだろう。どうして自分は他人の善意を素直に受け取れないのだろう。
「本当に何もないの? だったらどうしてため息なんかつくんだい?」
「……先生のことが嫌いだから」
目を逸らして無愛想に言ってしまった。本当は別に嫌ってなどいない。感謝しているくらいなのに……。
「やっぱりそうだったんだね……」
「え?」
おどけた風に大袈裟にショックを受けるだろうと思っていたハルカは、ハイコの悲しげな表情に目を丸くした。
「昨日ハルカは首を横に振っていたけれど、本当は私が怖いのだろう? なのに優しいから嘘をついてくれたのだろう?」
ハルカはまたしても目を丸くした。ハイコはそんなことを思っていたのか。
「違うよ。ハイコ先生は怖くないよ。さっき逃げ出したのは、先生が怒ってるんじゃないかって思ったからで……」
一瞬伏し目がちになったハルカはまたハイコを見上げて、
「だから気にしないでいいと思う。それにわたし、思ってないこととか反対のこととかも言ったりするから、いちいち真に受けないでいいよ」
「ははっ。ハルカはおもしろいね。あまのじゃくさんなんだねっ」
ハイコの表情が少し明るくなった。




