第4話 4
「……んー……と……」
口ごもり、目を泳がせたハルカは結局たわいもないことをきいた。
「今日は……何日……ですか?」
「14日だよ。かれこれ1週間は眠っていたかな……。本当に心配したよハルカ」
「ごめんなさい」
この言葉なら簡単に言えた。“慣れていた”から。そう、悪いのはいつもハルカだった。
しかし1週間も眠っていたなんて驚きだった。もちろん最高新記録だ。
「ハルカは何も悪くないよ。巻き込んでしまった私が悪いのだ。だから謝らなくていい……。怖い思いをさせてしまってごめんね」
“ハルカは何も悪くない。謝らなくていい”。その言葉をハルカが人生で最初に掛けられたのは、2年前、父親からだった。その時のハルカは、抑えていたものが一気に溢れてしまい、理由の分からない涙をはらはらと流した。
しかし今は泣かない。ハイコが困るだろうし、人前で泣くのは好きじゃなかったから。
なんだか居心地が悪くなっていたら、空色の小鳥がハイコの左肩に舞い降りた。
「ハルカほんとに大丈夫?」
心配そうに言う小鳥を見てハルカは思い出した。エミリオが小鳥をリビングの壁に投げ付けていたことを。
「わたしは平気。それよりエリザベスは? 怪我してない? 痛くない?」
「オレはぜーんぜん平気だよっ。大丈夫だよっ」
宙返り飛びをした小鳥は本当に平気そうだった。それにハルカが心底安堵していたら、ハイコが、
「ところでハルカ、素朴な疑問なんだけれど──」
ハルカは“なに?”というような視線をハイコに向ける。
「一人暮らしなんだよね?」
それがどうかしたのか、ハルカはとりあえず頷く。
「風邪の時どうしていたんだい? メイドのような人もいないようだし──もしかしてずっと一人で!?」
「……それがどうかしたの?」
心底驚いた様子のハイコにハルカも驚いた。一人だったらなんだというのか。食事はデリバリーや冷凍食品があるし、薬だって買い置きがあるではないか。特に困るようなことはない。むしろ看病される方がハルカにとっては困る。
──早く食べなさい!
今まで風邪を引いた時、ハルカの母親はちゃんとお粥を作ってくれたが、ハルカが咳をして中々食べれないでいると、結局ヒステリーを起こしてお粥をハルカに投げ付けた。
看病なんかされたら、あの時のことを思い出し、神経が高ぶって落ち着かなくなるだろう。一人でいることがハルカにとっては一番の療養になる。
「どうかしますともっ!」
ハイコはいきなり声を荒げた。訳が分からないながらもハルカは今自分が叱られているような気がしたので、ただ黙って聞くことにした。
「どうして連絡くれなかったんだい? 毎日メール送っていただろう? あぁっ! 一人暮らしだと知っていたらお見舞いに来たのに……! リンゴ剥きに来たのに……! お粥作りに来たのにぃっ……!」
頭を抱えて劇的に悶え始めたハイコを見ながら、ハルカは冷静に、心の底から思っていた。
(良かった……。一人暮らしって言わないで)
担任の先生(しかも男)に看病されるくらいなら死んだ方がましだ。しかし──。この1週間ハイコはハルカを看病していたのではなかろうか。着替えこそあのセシリアという女の人がやっていただろうけど、もしかしたら、ハルカが空色の小鳥が心配で夜中何度も起きて様子を窺ってたみたいに、ハイコもハルカが心配で夜中何度も起きて様子を窺っていたのかもしれない。そう考えると、恥ずかしいような、申し訳ないような気持ちになっていた。だから自然と「ごめんなさい……」が口から出ていた。“ありがとう”を言った方がいいことは分かっていたが、どうしても言えなかった。
そういえば、父親以外の男の人に寝起きを見られたのは初めてだった。……最悪だ。憂鬱さと気恥ずかしさに襲われたハルカはいそいそと頭まで布団の中に潜った。まさに“穴があったら入りたかった”。
ハイコは案の定、「えっ!? なっ! ハルカ!? どこか痛いのかい?」と慌てたようになった。
ハルカは布団に潜ったまま、
「もういい。大丈夫。明日は学校行くから。帰っていいよ」
「無理しなくていいのだよ? 明日もう1日くらい休んだって──」
気遣わしげなハイコの台詞を遮って気丈に、
「大丈夫って言ってるでしょ」
「でも──……」
一旦黙ったハイコが、次に口を開いた時は明るい張りのある声だった。
「そうだ! お粥作るよハルカ。お腹空いただろう? 実は私は料理が得意なのだよ。ちょっと待っててくれ給え。ちゃちゃっと作って──」
パンッと手を叩いて部屋を出て行こうとするハイコの台詞を遮って、「いらない」と端的に、しかしはっきり冷たく突き放すようにハルカは言った。
「……え?」
「……どろどろした、熱いものは、嫌い……だから……」
ハイコが立ち止まる気配にハルカはもごもごと言った。
どろどろとした熱い食べものは本当に嫌いだった。投げ付けられたら火傷するし、服の中を滑る感じがぬるぬるしていて気持ち悪いから。
ハイコがハルカにお粥を投げ付けるなんてするはずないのだが、ハルカは瞬時に連想してしまった。
子供の頃に出来たトラウマは、今も確かにハルカを内側から苦しめ続けていた。
「そ、そうか、それなら──リンゴでも買って来ようか?」
ハイコの声は明るかったが、空回りしているようだった。しかしハルカを気遣ってくれているのは明白だった。きっと何かしたくて堪らないのだろう。だが今のハルカにとってはそれは煩わしいものでしかなかった。お腹は死ぬ程空いていたが、我慢するのは慣れている。それよりも早く帰って欲しかった。一人になりたかった。
「……なんにもいらない」
布団の中で横向きに膝を抱えたハルカは、目を閉じて静かに言った。
「……そうか。ごめんね。ハルカ……」
小さ過ぎて聞こえないくらいだった。そして悲しげだった。
「ハルカの家にはエリザベスが結界を張ったから、ここにエミリオ君が来ることはもうないよ。それから1週間の間に、昼はチャーリー達が、夜は私が、キッチンやリビングを少し使わせてもらったよ。ハルカが心配で、交代でみてたんだ。もちろん掃除はしておいたから、安心して。……それじゃ。何かあったら連絡して欲しい……」
「早く元気になってねハルカ」
小鳥の台詞の後、部屋は静かになった。本当に帰って行ったようだ。ハルカはそーっと布団から顔を出してみた。
誰もいなかった。
──交代でみてたんだ。
ハイコの言ったことから察するに、本当にハルカは看病されていたようだ。
キッチンやリビングを使われたことに関してはまったく気にしてなかったが、勝手に看病されていたことは──複雑だった。自分の知らない間に誰かが自分を心配しているというのは、なんともむず痒いというか、落ち着かないというか。
もやもやの気持ちを抱えたまま、ハルカはベッドから降りて時計を見た。午後10時。勉強をしてから寝ることにした。
ひと月後は2学期の中間試験だ。学年トップを取って、父親を安心させないといけない。低い点を取ったら、トラウマのせいで勉強が出来なかったと勘違いされ、母親を悪く言うから。そんなのは聞きたくない。
◆
(いよしっ! 完璧だぜっ!)
渾身の力を注ぎ込んで書き上げたラブレターを、相澤ハルカという女子の下駄箱にこっそりと忍ばせた間宮リュウトは、達成感に浸ってガッツポーズを取った。
が、しかし。
よく見ると“先客”がいた。その数約10枚。
一瞬魔が差し、すべて奪って捨ててしまおうかと考えた間宮リュウトだったが、ここは正義感の方が勝った。
正々堂々な勝負を望んだ間宮リュウトは、1枚も捨てることなく、そっとそのまま下駄箱を閉め、下校することにした。
どうしてヴァンパイアには人間を検索する能力がないのだろう。めんどくさくて仕方がない。
エミリオは目的の人物が通う、私立セント・エーデルワイスという学園の高等部に来ていた。深夜の下駄箱には誰もいない。
自分の左右に拳大程の青白い火の球を従え、ずらっと並ぶ下駄箱をしげしげと眺めていたエミリオは、ある人物のネームプレートの前で立ち止まる。
1-G。相澤ハルカ。
ハイコが1年G組を担当していることは知っていた。それからあの台詞。
──“相澤ハルカ”を、助けて……欲しい……。
ハルカは相澤というらしい。
間違いない。ここだ。
早速下駄箱を開けるエミリオ。
持って来た、ハルカにしか見えない文字で書いた、呼び出し場所を指定した手紙を入れようとしたら、何かがばらばらと崩れ落ちた。
(なにこれ?)
1枚拾って裏返してみる。それは封筒だった。しかし差出人の名前はない。一瞬迷ったがやはり気になり、エミリオは封を切って、中の派手なオレンジの便せんを読み始めた。
拝啓、相澤ハルカ様へ☆
間宮リュウトっていいます! 同じクラスです!
突然だけど俺は相澤さんが好きです! フォーリンラヴってやつッス! 顔とか仕草とか、なんか見てるだけでドキドキがおさまりません!
というわけで俺と付き合わない? いいや付き合おう! 絶対毎日を楽しくする自信ありまくりだし! いい感じなデートスポットも知ってるよ(ちなみに俺のオススメは渋谷!)。東京を案内するぜっ☆
つーわけで放課後、セントラル(大聖堂がある中央エリアのことだよ)のカフェ、「ツチノコ」で待ってまーす♪
P.S. 来ないとマジで自殺するから!(マジで!)
(うわ、しつこそうな奴。低俗、無能、下品)
軽蔑の目で便せんを見下ろした後、エミリオは封筒もろともくしゃくしゃに丸め、能力を使い、一瞬で灰にした。落ちたものも下駄箱に残っていたものも同様に。




