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My Fair Vampire  作者: 九重ゆえる
第4話 『ありがとうの難易度』
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第4話 2

「……め、て……」

 弱々しい寝言を聞こうとハイコは耳を澄ませた。

「……あ、つい……。やめ……て。……ごめ……なさい……」

「あついって、熱があるのかなハルカ?」

 エリザベスが心配そうにきいてきた。

「いや、熱はないよ」

 ハルカの額を触ったものの体温は普通だった。

「もしかして、エミリオ君に何か──酷いことをされてる夢でも見ているんでしょうか……?」

 言いにくそうに言ったセシリア。

「有り得るわね。屋上で何かされて、それを今悪夢として見てるって可能性も捨てきれないわね……。トラウマになっちゃったのかしら? かわいそうに。火遊びが大好きなサディストだからねぇ……エミリオちゃんは」

 ハイコは一人別のことを考えていた。今のハルカの寝言にエミリオは関係ないと思っていた。ただ一つ、“ごめんなさい”という言葉が気になっていた。

(……!)

 ハルカの瞼から透明な雫が零れた。驚いたハイコは同時に心を痛め、親指の腹で丁寧にそれを拭った。そしてふと、しかし本気で、ハルカの笑顔が見たいと思った。だがそれは難しいように思えた。ハルカは滅多に笑わない類の人間だろうから。

 しかしだからこそ──と、ハイコは強く決心した。

 ハルカが自然と笑顔になれるような、温もり溢れる温かい環境を自分が作ってあげようと。そしてエミリオからなんとしてもハルカを守ろうと。

 それが、ヴァンパイアの世界に巻き込んでしまい、怖い思いをさせてしまったことへの、せめてもの償いになると、ハイコは思っていた。

 次の日、その次の日も、ハルカは目覚めなかった。







「ハルカたん今日も来なかったねぇ……」

 放課後、自分の机に突っ伏したモモは不満げに言った。

「うん。どうしたのかな?」

 近くに立つ背の高いスマートな赤毛の女子生徒──ユカリが心配そうに言う。

「ハイコ先生ならなんか知ってるかなぁ?」

 モモは言いながら立ち上がり、前の黒板の文字を消しているモモ達の担任──ハイコに近付いて行った。

「ハイコ先生ー。ハルカたんって何かあったの? やっと来たと思ったらもう3日も休んじゃって──」

 ゴトッ!

 ハイコは肩を震わせて黒板消しを落とした。

「えっ、えっと──ハルカたんは──そのっ、い、家の用事で──」

 引き攣って言い訳らしきことを言い始めたハイコにユカリが、

「つまり事情は知ってるけど生徒には話せない──ってところ?」

「さっすが、ユカリ嬢は冴えてるね! 心配しなくても大丈夫さ。ちょっとプライベートなことなのだよ。さぁーっと、今日は確か職員会議があったりなかったりぃ~」とかなんとか言いながら、ハイコは黒板消しを戻すとそそくさと教室を出て行ってしまった。

「なぁ~んか怪しくない? ハイコ先生」

 疑いの眼差しを、ハイコが出て行った扉に向けるモモ。

「あいつが怪しいのは元からだよ。それより理由はちゃんと知ってるみたいだから、まぁ、安心じゃない? 変な事件に巻き込まれたとかじゃないならさ」

「……まぁ、そだねっ。モモ達はとりあえず待つしかないかぁ」

 納得いかなかったが、モモは諦めて席に戻った。

「そゆこと。じゃあ、私今日部活早く行かないといけない日だから、もう行くねっ」

「うん。後でねユカりん」

 ユカリに手を振って見送ったモモは、少し早いが自分も部活に行こうと立ち上がろうとした時だった。

「ねぇねぇねぇねぇ」

 明るい声。顔を見なくてもすぐに分かった。間宮リュウト──このクラスで一番の元気者で、モモの友達だった。

 相変わらず今日も指定のリボンは付けていないし、ワイシャツのボタンは全開でスラックスから出ているし、オレンジのTシャツを着ているし、アクセサリーを付けているはで、自由さにまったく衰えはなかった。

「なぁに?」

「相澤さんのこと何て言ってた? ハイコちゃんは」

 リュウトは眩しいくらいに興味津々な顔をしていた。

「うーん。なんかね、家の用事とか言ってたよ。プライベートなことなんだって」

 聞いたままを伝えたモモはふとあることに気付き、そのまま言ってみた。

「あー! 分かったぁ。リュウト君てばハルカたんにフォーリンラヴ?」

「なっ! なんで分かったのモモ!」

 ぎょっとしたように目を丸くしたリュウトの頬は、急激に赤くなった。そんなリュウトにいきなり腕を掴まれたモモは、教室の隅に連れて行かれた。

「じ、実は俺さ、告ろうと思って」

 そわそわした様子で話すリュウト。

「えー!? もう!? 早くない?」

 心底びっくりするモモ。

「なに言ってんだよ? 女子は貴重なんだから。ぼやぼやしてたら誰かに取られるだろっ? でさっ、相澤さんの好みのタイプってどんな奴?」

 リュウトは生き生きとした表情できいてくる。頬はまだ赤い。跳ねっ毛だらけのつんつんした茶色い髪は、いつにも増して艶やかだった。

「えー。分かんないよぅ。まだあんまりしゃべってないしぃ」

 困ったモモだったがこれだけは分かった。

「でもリュウト君みたいな人はタイプじゃないと思うなぁ。何て言うかぁ、もっと真面目そうな──知的な人が好みだと思うなぁハルカたんは」

「んなっ!? じゃあ俺は不真面目そうでバカっぽいってこと!?」

「うん」

 こくりと、当たり前に頷くモモ。

「がーんっ! 即答っ!?」

 雷に打たれたような顔をしたリュウトはその後いじけたように、

「だってさ、俺らいつも5人でつるんでんじゃん?」

「うん」

 頷くモモ。

「モモはケイタと付き合ってんじゃん? ユカリはカズキと付き合ってんじゃん? なんかもーグループ交際っぽいじゃん? なのに俺だけ独り者で切ないっていうの? マジ涙でてくるみたいな? だから決めたんだよ俺は」

 リュウトは急にきりっとした表情になった。

「相澤さんに告白して、誰もが羨む熱々カップルになってやるってな! 見てろよー? あのクールそうな相澤さんに、リュウト大好き、とか言ってもらっちゃうから! 語尾にハートが付く勢いでね! うはっ! そんなの言われちゃったらどうしよう俺! いよっしゃー! さっそくラブレター書かねぇと」

 一人でやる気満々そうなリュウトはモモを置いて行ってしまった。

(ラ、ラブレター……)

 リュウトには似合わないその言葉に引き攣るモモ。しかしメールアドレスや電話番号を知らないのなら仕方ないとも思った。

 これから6人でつるむことにはなるだろうけど、リュウトとハルカがカップルになる可能性は限りなくゼロに近い──そんなことを思いながらモモは一人部活に向かった。







 遅いわよ! どこで寄り道してたの!

 バタンッ! ガチャ。

 ハルカがまだ小学校に上がりたてで二桁にも満たないくらいに幼かった頃から、ハルカの母親はハルカが学校から帰ってくるなりいつもすぐに玄関の鍵を閉めた。そしてハルカのランドセルと服を剥ぎ取り、

 悪い子にはお仕置きしないといけないわ!

 と怒鳴り、黒の油性マジックでハルカの全身に“死ね”と書いた。それから蹴ったりひっぱたいたりいろいろしてきた。

 あの時の母親は狂っていた。異常だった。しかし幼いハルカにとっては母親がすべてだった(父親はあの頃からすでに家にはあまり帰って来ない人だったから)。見捨てられるくらいなら、憎まれても、暴力を振るわれても、それでもいいと思っていた。そんなハルカ自身も狂っていたのかもしれない。淀んだ暗い何かに、二人ではまり込んでしまっていたのかもしれない。

 いつまで入ってるのっ!

 マジックで書かれた“死ね”を落とす為、1時間以上バスルームに篭っていると、決まって母親はヒステリックな声を上げてやって来た。

 ハルカは縮こまりながら身構えた。これから起こることは嫌という程知っていたから。

 母親はシャワーのノズルを掴み、設定温度を最高まで上げて水を出した。

 熱いよお母さん。やめて。ごめんなさい。

 それがハルカの決まり文句だった。しかし母親は、

 ほんとハルカはバカね! だからあの小学校に落ちるのよ! この前も96点なんて低い点を取って! しつこい汚れにはこれが一番なの! 分かった?

 と叱るばかりだった。

 それから数年後のある日。珍しく父親がいる夜。私立中学の不合格通知が届いた日の夜だった。夕食中母親はいきなり離婚すると騒ぎ立てた。こんなバカ要らないこんなバカ要らないと、何度も言いながらハルカに食事を投げ付けてきた。父親は黙って母親を押さえ付けていた。ハルカはただぼんやりと、鳩尾辺りをぬるりと通るデミグラスソースが気持ち悪いなぁと思っていた。

 その頃ハルカはもうすでに、虚ろな人形になる術を身につけていた。自己防衛の為に、“本当の自分”を心の奥の奥へと避難させた。

 その後、ハルカ中学2年の夏休み。本当にハルカの両親は離婚した。母親は地方の、自然に囲まれたとある有名な精神病院に入院した。面会は可能だがハルカだけは別だった。ハルカの存在が母親の症状の悪化を招くということなので、拒否された。

 あれから2年経った今でも許可は出ない。母親は、ハルカの写真を見ただけで発狂するらしい。

 ぱたぱたぱた。ぱたぱたぱた。

 微かに聞こえる渇いた音。何だろうと思ったハルカはゆっくりと目を開けた。

 身体中がどんよりと重かった。酷く怖い夢を見ていた気がするが、内容は思い出せなかった。

 間接照明しかついてなかったが、ここが自分の部屋だということに気付いたハルカはゆっくりと半身を起こした。

 軽い頭痛がした。

 右側に見えるカーテンが少し揺れていた。僅かに覗く窓の外は黒かった。

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