第4話 1
ドイツ連邦共和国。南西部のとある森──の地下。
「……申し訳ありません。……任務、失敗です」
俯き加減にぼそっと報告をするエミリオ。
地下とは思えない程豪華絢爛な造りの会議室には、無数のキャンドルが揺らめいていた。
この部屋にいるのは二人だけ。ヴァンパイア元帥の一人でもある、圧迫感のある大男──シュナイダー。それから上級ヴァンパイアのエミリオ。
シュナイダーは壁と平行に置かれた長方形のテーブルの向こう側の椅子に座り、腕を組んで、部屋の中央で立ったままのエミリオを冷たい目で見つめている。
「エミリオ・ペルツァロッタ」
空気を震わせるような、低い、凄みのある声。
呼ばれたエミリオは一瞬肩を震わせた。
「また俺の顔に泥を塗るつもりか? たかが不穏分子一人に何を手間取っている?」
「申し訳ありません」
言い訳をしない方が早く解放されることを知っていたエミリオは、ただ殊勝に見えるようにだけを心掛けた。
「……まあいい」
大きなため息をついたシュナイダーが立ち上がった。
「東京に潜伏中の出来損ない達──。これからはすべておまえに任せる。ペルツァロッタ。期待しているぞ? あいつら全員を更生させれば俺はさらに“上”へ行ける。そしたらおまえを元帥にしてやってもいい」
エミリオの傍にシュナイダーが立った。唐突にそのごつごつした拳を左頬にまともに受けたエミリオは、よろけて倒れそうになる。避けることくらいエミリオには簡単だったが、これも早く解放される為。文句一つ言わずに我慢した。
「上に行きたいのだろう? 行って、おまえのせいで精神を病んでしまったたった一人の家族である妹に、楽な暮らしをさせてやりたいのだろう? なら黙って俺に従えばいい。その歳で上級まで上げてやったのは誰だ? これ以上失望させるなよ? エミリオ・ペルツァロッタ」
扉に手をかけたシュナイダーがエミリオを振り返った。
「ああそれから、やっと研究が進んだらしい。トリプルSランクの人間の血から、正体不明の物質が見つかったそうだ。それには強力な浄化効果があるらしい。もしかしたらおまえの妹の病気も治るかもしれないが──俺達の身分ではとてもじゃないがその血には近付けないな。それに研究所にあるトリプルSの血は、もうとっくに死んだ少女のものだし、飲める程の量は残っていないそうだ。そんなものを分けてくれるはずがない。だからといってトリプルSを見つけるなんて不可能に近い。諦めるんだな」
そう言って扉を開けたシュナイダーは、「まぁ、トリプルSなんて所詮は夢だ……」などとぼやきながら出て行った。
「……だから黙って従ってんじゃん」
ふて腐れ気味に独りごちて左頬を押さえたエミリオは、壁を思い切り蹴飛ばした。つま先が痛んだ。殴られた左頬が疼いた。口の端が切れていた。
「でも、浄化効果か……」
キャンドルの炎を見つめながらエミリオは思案した。
トリプルSランクの血を妹に飲ませれば、治るかもしれない。ヴァンパイアの治癒術では治せない、心の病が。
エミリオは痛む口の端を指で押さえ、付着してきた赤いものを見つめた。
(ハルカ……)
黒髪の少女を思い出し、心中で呟く。
今まで味わったことがないくらい美味しかったハルカの血。3分の1も飲んでないが、身体中から、感じたことがない清浄な力が沸いて来た。あの時は戸惑ったが、その力を使いこなせれば、シュナイダーなんて簡単に力で従わせることがきっと出来る。そしたらもっと上へ行って、たくさんお金を稼いで、妹に何不自由ない生活をさせよう。
エミリオが少し目を離したことが原因で、妹は声を失ってしまったのだから……。
ハルカはほぼ間違いなくトリプルSだ。
トリプルSランクの血は飲んだことがなかったが、エミリオは確かにそう感じていた。
早く調べてみよう。誰にも内緒にして。
しかし今は恐らく、治癒術使いのヴァンパイアに増血魔法をかけられているので、味が落ちている。ハルカ本来の味に戻るまで、しばらく待たなくてはならない。
(首輪でも付けてやろうかな……)
にやりと含み笑いをしたエミリオは、ハルカの存在をシュナイダーには黙っておくことを決めた。自分と妹だけの家畜にしようと目論んだ。
「うぇっ」
自分の指に付いた血を舐めたエミリオは、吐き気に襲われた。
ヴァンパイアと人間の血は、似て非なるまったくの別もの。口に含むものではない。
◆
(……ごめん)
どこの誰ともつかない人間に心中で謝罪をしたハイコは、手に持った血液パックを握り締めて中の赤い液体を飲み始めた。
酷い目に遭った。起きた瞬間身体をソファーに押さえ付けられ、無理矢理血を飲まされそうになった。
ここはハルカの家のリビングのようだが、ハルカはいなかった。ハルカのことをきこうとしたら、“まずは血を飲んでから”と、“あの時”助けに来てくれたチャーリーと、いつの間にかいた治癒術を得意とする聖属性の女性ヴァンパイア──セシリアが言った。
「……っ」
言われた通り飲み干したが、なんとも言えぬ罪悪感がハイコを苦しめていた。血液とはいえ、自分は今人間を喰らったようなもの。こんな化け物みたいな自分が教師なんてやっていていいのか。
「あの……一つで足りますか? ずいぶんと飲んでなかったみたいですけど……?」
遠慮がちに気遣わしげな声を掛けて来たのは、向かい側のソファーに座るセシリアだった。セシリアは柔和な雰囲気の漂う慈愛に満ちた女性で、いつも他人のことを気に掛けている優しい人だ。
「平気さ。これで十分だよ」
ハイコは穏やかに微笑んで言ったが、内心は穏やかではなかった。結局血を飲んでいる自分を嫌悪している真っ最中だった。心身共に酷く疲れていた。やはりヴァンパイアである限り、血を飲まないと生きてはいかれない。どんなに抗っても、それは変えようのない真実。死にそうになると、本能が欲してしまう。
「それよりハルカは!? エリザベスは!? あれからどのくらい経ったんだい? エミリオ君は?」
堰切ってきくと、ハイコの後ろでソファーの背もたれに腰掛けていたチャーリーが、
「まぁまぁ、落ち着きなさい。あれから丸1日くらい経ったわ。エミリオちゃんはあの後あたしが、“このまま気を失ったら人工呼吸するわよ”って言ったらあっさり降参したわ。まぁ~ったくも~う。失礼しちゃうわぁ。それでシフトして帰ってったわ。たぶん今頃はシュナイダー元帥辺りに失敗報告してるんじゃないかしら?」
「ハルカさんとエリザベスさんはハルカさんの部屋にいます。そろそろ様子を見に行きましょうか」
その台詞を聞くや否や、ハイコは急いで立ち上がり、使い魔エリザベスの気配を感じ取って、辿り着いた部屋の扉を開けた。
その広い、シンプルで落ち着いた部屋の奥のベッドには、黒髪の小柄な少女が一人、よく見ても分からないくらいに小さな寝息を立てて仰向けに眠っていた。
もう二度と目を覚まさないのではないか──そんなことが頭を過ぎったハイコは、怖くなってハルカを見下ろしたまま動けなくなってしまった。
自分のせいだ。普段からちゃんと血を飲んでいれば、こんなことにはならなかった。人間のハルカをヴァンパイア同士の争いに巻き込んでしまった。
エミリオはまた来る。出来損ないのヴァンパイア達を更生させる為に。それが彼の仕事だから。しかしそれだけではないだろう。ハルカの血のランクを調べる為にも来るだろう。もしもトリプルSだったりしたら、ハルカは……。
ゆっくりとしゃがんだハイコはハルカの左手をそっと握った。思ったより冷たくなかったのでほっとする。
「ハイコォ! 大丈夫?」
鮮やかな空色の小鳥──ハイコの使い魔であるエリザベスが、心配そうに左肩にとまった。
「エリザベス。君こそ大丈夫だったかい? 痛かったろう……。本当にごめんね」
エリザベスを手の平に乗せたハイコは、優しくエリザベスの背を撫でた。
「どうしたんだよハイコ? 元気ないよ?」
少し驚いた様子のエリザベスが首を傾げた。
「オレなら大丈夫だよ。ハイコから力貰ってるから。羽根も折れてなかったし、どこも痛くないから。それより心配なのはハルカだよ」
「そうなんです」
部屋に入って来たセシリアがハイコの隣で言う。
「チャーリーさんのマリアンヌさんにエリザベスさんの居場所を教えてもらって、ここに連れて来て大方治療をしたので、もう命に別状はありませんし、いつ目覚めてもいいはずなんですが、まだ一度も目覚めていないんです」
「それって──」
ハイコの台詞を遮るようにチャーリーが、
「精神的なこと──かしらね」
「やっぱり相当ショックだったんじゃないでしょうか……。見た目自分と同じくらいの男の子に首を噛まれて血を吸われるというのは──。ハルカさん女の子ですし……余計……」
ハイコは両手でハルカの左手を握った。
「……ごめん」
目を閉じて呟いた。届いていなくてもいい。許してくれなくてもいい。ただ、言いたかった。謝りたかった。
「怖かったよね……。ごめんね……ハルカ……」
小さく小さく呟くハイコを慰めるようにセシリアが、
「ハイコさん。あなたのせいではありませんよ。あまり自分を責めないで下さい」
「そうよぉ。明日になればきっと跳び起きるわよこの子。だから大丈夫っ」
二人を振り返ったハイコは泣きそうになりながら、
「あ゛……ありがとう……」
「ハイコ鼻水出てるぞ」
呆れたように言ったエリザベスがティッシュペーパーをくちばしにくわえて飛んで来た。
「ありがとう……」
鼻をかんだハイコがお礼を言った時だった。
「──い……」
ハルカが何か言った。




