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My Fair Vampire  作者: 九重ゆえる
第3話 『赤眼の侵入者に与えられたもの』
13/123

第3話 4

「なっ、なんでもないのだよエミリオ君! 気のせい気のせい。いやだなぁ──」

 慌てたように言ったハイコは最後に、「ハッハッ」と無理矢理な笑い声を出した。

「そうだよ! “人間の若い女の子”なんてここにはいないよっ?」

 エリザベスも慌てているようだった。

「ふーん」

 据わった赤い瞳が光った。少年は指をパチンと鳴らし、

「インフェルノ!」

「エリザベスッ!」

 鋭い、命令するような声。

「了解!」

 カーテン内部がサウナのような熱気に包まれた。パニックになりかけたハルカだったが、すぐに常温に戻ったのでとりあえず落ち着く。

 ハルカがカーテンから恐る恐る出ると、ハイコの肩にいたエリザベスの瞳の色がエメラルドに光っていた。そしてカーテンも同じ色に。カーテンの周りには青白い火の球がいくつか浮遊していたが、エメラルド色の光に当たった途端に弾けて消滅していった。まるでエメラルドの光りが、カーテンと中のハルカを守っているようだった。

 ハルカがそれをぽかんと見つめていたら、

「何のつもりかなエミリオ君」

 その声にふざけた要素はなく、憤慨しているようだった。

「ハルカが火傷したらどうするんだぁ!」

 エリザベスの瞳はもう光ってなかった。

「僕の能力を甘く見ないで欲しいです。カーテンだけ焼いて、中には一切傷を付けないことなど簡単なんですけど」

 少年は腕を組み、半眼で見下すように言った。そしてハルカをじっと見つめてきた。珍しいものでも見るように。食い入るように。ハルカはすぐに目を逸らす。異常な赤眼が怖かった。

「ちょうどいいです。この女を連れて行きましょう。久しぶりならこういう小さくて力の弱そうな人間が適しているんです。それに若い女の血は一番美味しいですし、あなたが吸血に目覚めて更生するには持ってこいじゃないですか。しかもこいつ処女っぽいし、最高じゃないですか。うらやましいくらいですよ。僕の面子の為にも元帥達の前でこの女の頸動脈に噛み付き、血を貪るように吸って下さい?」

 企むように嘲笑った少年は、「さぁ行きましょう。今すぐ行きましょう」と言って、いきなりハルカに手を伸ばして来た。しかしその手がハルカに触れる前に、ハイコの大きな手が弾いた。

「ハルカに触るな人殺し」

 低くどすの効いた声だった。ハイコには似合わないようなその声に、少し怖くなったハルカは半歩下がる。

「はいそうです。僕は人殺しですね。生きる為に血を吸うんです。当たり前じゃないですか。人間だって生きる為に動物を殺して食べるでしょう? “動物殺し”じゃないですか。同じですよ。何かを犠牲にして生きてるんですよ、この世のすべての生き物は」

 開き直ったように淡々と言う白髪赤眼の少年に迷いは無いようだった。

「同じではない。殺さなくたって私たちは生きてゆけるではないか! 生きる為に最低限必要な量だけ飲めばいいではないか! 何故それが分からないのだ?」

 ハイコは熱く語っていた。そんな様子をハルカは黒い瞳で静かに見上げていた。

 これが嘘とは思えなかった。作り話しとも思えない。

 ハルカは知らず知らずのうちに理解していた。ハイコは本当に正真正銘のヴァンパイアであるということを。この世にヴァンパイアが存在するということを。

「分かりませんね。なんで僕らヴァンパイアが我慢しなければいけないんです? 飲みたいから飲みたいだけ飲む。それはそんなに悪いことなんですか? 別に僕らは殺すのを目的としてる訳じゃないのに? それにあなたは知っているでしょう? 渇きを覚えたヴァンパイアが、“泉の水”を前にして、一口だけでやめられる生き物ではないことを。口に含んだ瞬間、理性なんて飛んでしまうことを。でも個人に罪はないと僕は思います。すべてはこのヴァンパイアという呪われた血のせいなんですよ。だから殺してしまっても自分を責める必要はないんです。本能に従った素直な自分を、むしろ誇るべきなんです。ハイコ・ヴェインリッヒ。あなたも素直になって下さい。そして思い出してみて下さい。……生暖かくて芳醇な、あの赤い“ワイン”の味を……」

 にやりと嘲笑った少年は赤眼を細め、ハルカを見ながら舌舐めずりをした。ゆっくりと。焦らすように。まだ幼さの残る顔立ちなのに、その行為が少年を一気に大人にして見せた。

 ハルカは目を逸らして大きく一歩下がる。本当は誰かに縋り付きたいくらい怯えていたが、誰かに頼ることを知らないハルカは、ただただ折れないように負けないように、相手に感情を読み取られないように、冷静に“人形フェイス”の構築を続けていた。

 ハイコは悲痛な表情で下を向き、何かを考えているようだった。その顔を見たハルカは、そういう顔は似合わない、見たくないと、確かに思っていた。

「逃げてハルカッ!」

 エリザベスの叫びにはっとする。目の前にいる白髪赤眼の少年から急いで離れたハルカは、広いリビングを駆け抜けて玄関に繋がる廊下に出たが──

「無駄ですよ」

「……っ!」

 いきなり進路を塞ぐように現れた少年に息を飲む。原理は不明だが、どうやらヴァンパイアというのは瞬間移動が出来るらしい。ハルカは学園内のエレベーターから学園上空に移動させられたことを思い出し、あれがハイコのイリュージョンなどではなかったことを今さらながら悟る。トリックでもなんでもない、ヴァンパイアの能力だったのだ。

「ただの人間ごときがこの僕から逃げられると思ってるんですか? 逃げたとしてもあなたはエレベーター内で確実に捕まえられます。この階かなり高いみたいだから、時間はたっぷりありますし」

 ゆっくり近付いて来る少年からじりじりと後退するハルカ。結局またリビングに戻って来てしまった。

「ハルカを連れて行くなぁ! ハルカはオレが気に入った唯一の人間なんだぞ!」

 ハルカの左肩にエリザベスがとまる。

「ふーん。人間嫌いのエリザベスがねぇ……」

 ハルカを覗き込みながら顎に手を当て、熟考している風の少年。そしてさも名案が浮かんだとばかりに形の良い薄い唇の端を吊り上げ、

「決めた。こいつは僕が貰う」

 その言葉にぎょっとしたハルカは固まってしまった。

「はぁっ!? 何言ってんだよ!」

 ハルカが言いたかったことを代弁するようなエリザベスの台詞。

「なんかさ、君ってアレだよね?──」

 舐め回すように見ながらハルカの周りを回り始めた少年。ハルカはじっとして、視線だけで少年を追った。警戒心はマックスだった。

「他の女には無い不思議な魅力があるよね? ちびなのに。胸もないのに。なんで? 日本人だから? この綺麗な黒髪のせい?」

「やめて」

 勝手に髪を触る少年の手を払い退けながら、ハルカは端的に言った。その声が震えていなかったことに自分で安堵する。

「……むかつく」

「ひゃっ」

 赤眼が据わった瞬間、ハルカはいきなり左頬をひっぱたかれた。手加減を知らないと思われる平手は、ハルカをリビングの絨毯に這いつくばるには十分な威力だった。

「わぁっ! ハルカァー!」

 少年の手とハルカの頬がぶつかる高音の余韻が覚めやらぬ中、エリザベスがばたばたと羽根をばたつかせてハルカの傍に舞い降りた。

 絨毯に右手をついて左手でじんと疼く頬を押さえたハルカは、上を見上げることが出来なかった。思い出してしまった。昔──ハルカがまだ小学生だった頃、母親に同じことをされた時のことを。


 ──ふざけんじゃないわよっ!!


 “96点”だったハルカのテスト用紙を見て、母親は癇癪を起こした。部屋中の物を投げてハルカを罵りひっぱたいた。そして床に崩れたハルカが見上げた母親の顔は、とても自分の子供に向けているとは思えない、ハルカの存在すべてを否定する、憎しみと蔑みに満ちた悪魔のような形相だった。

 今見上げたらまたあの顔があるような気がして、ハルカは怖くて見上げることが出来なかった。

「……っ」

 手を振り上げる少年の気配にハルカは身体を強張らせた。第二波に耐えようと急いで頭を両手で覆い、縮こまった。






 人間の血を浴びるように飲むあの快感を忘れてしまったのですか?


 ハイコはリビングの窓辺でひざまずき、プラチナブロンドを垂らして下を向いていた。

 忘れたことなどない。一度だって。

 本当は飲みたくて堪らない。生きるのに必要以上の量でも、気兼ねなく浴びるように飲みたい──。

 それを忘れられたらどんなに楽になれることか。少なくとも渇きを覚えた時、いつ自分の理性が崩壊して、人間を襲って命を奪う程に大量の血を飲んでしまわないか──という恐怖に怯えないで済む。

 しかし決して忘れることを許してはくれない。ハイコの中に流れる忌まわしきヴァンパイアの血が。

(ハルカ……)

 心中で呟き、名前の人物を見ながらゆっくり立ち上がったハイコ。

 ハルカはリビングの入り口で膝を折ってしゃがみ、黒髪を垂らして下を向いていた。傍らには空色の小鳥──エリザベスが。そしてそれを、嗜虐心が満たされたような薄笑いを浮かべて見下ろす白髪赤眼の少年──エミリオ。

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