第3話 2
「話し──の前に、これだけは言っておくよ? ハルカは勘違いしているようだから」
ハルカの左側に座ったハイコはハルカの方に身体を向け、
「よく聞いてハルカ」
背もたれに右腕を乗せて、なにやら真面目に、
「立場や義務なんかじゃないんだ。私が君を構うのは」
ハイコの右手はいつの間にかハルカの艶やかな黒髪に触れていた。一束摘んで愛でるように指の腹で擦りながら、
「私個人が気になると思ったから構うんだ。今日君が教室に入って来た瞬間から、何か不思議な魅力を感じていたのだよ。非常に興味をそそられたなぁ。こんなのはどれくらい振りかなっ?」
「……」
そっぽを向いてハイコの手を払ったハルカの表情は完璧な“人形フェイス”だった。ハルカの心は冷めていた。たかが15の小娘に、会ったその日にこんなに優しくしたり興味があるとか言うのはおかしい。変だ。裏がある。新手の詐欺かもしれない。もしかしたら言葉巧に騙して、海外に売るつもりかも。いや、もしかしたら臓器売買に係わっている人? はたまた財産目当ての誘拐犯?
普通の人ならハイコの、映画スターのような華やかな魅力と整った顔立ち、それからその甘い声にころりと騙されるだろうが、あいにくハルカのあまのじゃくっぷりは半端じゃなかったので、ハルカはまったくなびかなかった。さっき泣きそうになったのは何かの間違いだ。きっと──いや絶対に。
「さっさと言うこと言って帰れば?」
疑い始めたハルカの心は冷めていく一方だった。
「うっ……。冷たいなぁ……」
そんな捨てられた子犬のような目をしたって無駄。
「じゃあエリザベスとはぐれてしまった理由を話そう」
ハイコはハルカの方を向きながらソファーの上であぐらをかき、話し始めた。
どういう“作り話し”なのかは知らないが短ければいい──そんなことをぼんやり思いながらハルカはそっぽを向いていた。
◆
懲りていなかったら殺してしまおうか。
少年は濃紺のベルベットマントをはためかせながら港区上空を飛行していた。
大事な使い魔とはぐれ、今頃失意のどん底にいるはずの一人の男の元へと向かって。
非常にめんどくさいが、これが少年にとっての仕事だったので。
“出来損ないのだめヴァンパイアを更生”するという名の──。
(……この辺りだ)
立ち並ぶ高層マンション群を見下ろした少年は静止し、精神を集中させて男の正確な位置を検索し始めた。
◆
「エリザベスは私の使い魔なのだ。人間の図鑑には載っていない特別な鳥さ。だから言葉を発せるのだよ」
「ちなみに日本語、ドイツ語、英語はもちろん、フランス語にイタリア語、それからロシア語まで話せるぞっ」
空色の小鳥──エリザベスが自慢げに言う。
「ヴァンパイアには使い魔がいるんだ。もちろん持ってない人もいる。個人の自由ってやつだね。ヴァンパイアと使い魔は契約した瞬間から強い絆で結ばれるんだ。だからお互いの居場所も心で感じることが出来る。……でも昨日はヴァンパイア仲間の“とある人物”に魔法をかけられ、その絆を分断させられてしまって……。エリザベスの居場所が分からなくなってしまったんだ。エリザベスに触れた途端戻ったんだけどね」
「そのヤな魔法をかけられた時、オレ達は空間転移──いわゆる瞬間移動させられちゃったんだ。ちなみにみんなは“シフト”って言ってるよ。で、シフトさせられたオレをハルカが見つけてくれたってこと。オレが弱ってたのは絆を分断させられたからなんだ。使い魔は契約した瞬間から絆を通してマスターから生命力を貰ってるから、絆が途切れたら──情けないけど一気に弱々になるんだ……。でも今はもう平気っ」
エリザベスは宙返りをした。ハルカはエリザベスだけは疑っていなかった。気に入っていた。でも言っていることはクレイジーで信じられなかったけれど……。そもそもしゃべること自体十分クレイジーだが。
「使い魔は生命力を貰う代わりに、マスターが能力を使う時に、より早く確実にそれを使えるようにサポートしてるんだ。──ハイコはこれでも強いんだぞ?」
急にハイコを庇うように言ったエリザベスに、「“これでも”は余計だよエリザベス君?」と突っ込むハイコ。
「本当は強いって知ってるから、オレはハイコの使い魔になったんだ。本当は“あんなやつ”に負けないんだぞっ? ヴァンパイアにとって人間の血は、“飲まなきゃ死んじゃう生きる為の薬”でもあるんだけど、元気になったり能力の威力が上がったりする“栄養ドリンク”でもあるんだ。でもハイコは人間の血を“栄養ドリンクとして”は滅多に飲まないんだよ。昨日も飲まなかったから負けちゃったんだ……。ずーっと前は飲んでたけど、今は人から直接飲むこともないんだ。理由は“噛まれたら相手が痛そうだから”だって。こんなだめヴァンパイア笑っちゃうよね。でもオレはそんな優しいハイコが大好きなんだっ」
照れた様子もなくさらりと本人の前で“大好き”なんて言ってのける、エリザベスの素直さが、ハルカは少しうらやましいと思っていた。
「あっ! それにね、“薬として”飲む時なんか、輸血パックを盗んでわざわざトマトジュースのペットボトルに入れてちびちび飲んでるんだよ。あとね──」
「エリザベスゥ~」
窘めるように遮るハイコ。
「もうそのくらいにしてくれ給え。恥ずかしいではないか。それよりなぜに人間嫌いのエリザベスが人間のハルカにそんなにいろいろ詳しく話しているんだい? ただの苦手克服かい?」
「う~ん。分かんないけど、ハルカはなんか“嫌な感じ”がしないんだ。ハルカは“いい”んだっ」
何の根拠もなさそうなのに妙に自信ありげに明るく話すエリザベス。それを見たハイコも、「そっかぁ! エリザベスもかぁ!」と妙に明るい。
「私もなんかハルカは“いい”と思っていたのだよ! あっははっ! 気が合うなぁ、エリザベス! さっすが私の使い魔だ!」
いきなり上機嫌そうに立ち上がったハイコが片手をエリザベスに差し出した。当たり前のようにそこにちょこんと乗るエリザベス。そしてハイコはエリザベスの乗る手を高く上げて「あはははっ」と楽しげに笑い、そこを中心にスキップしながら回り始めた。……何と言うか、“息がぴったり”だった。これがマスターと使い魔の絆の強さなのだろうか……。
いや。違う。
ただのバカ。
ハルカは半眼で横目をやりながらクールに思っていた。
「さっ、これで──」
ソファーに座ってハルカの方を向いたハイコは、
「だいたい話したかなっ。もちろんまだまだ知って欲しいことはたくさんあるのだけれど、“今日のところは”このくらいにしておくよ」
“今日のところは”って……。また来るつもりなのだろうかこの男は。嫌だ嫌だ。絶対に嫌だ。
そんなハルカの心情もお構いなしに、
「さぁ、ハルカ? 臆することなく自分のことをずずいっと語り尽くしてくれ給え」
はきはきとやる気満々な様子のハイコ。
「やだ」
「えっ!?」
「めんどくさい。話すなんて一言も言ってないし。もう眠いから早く帰って……」
ハルカの“物ぐさエンジン”に火が点いた。こうなるとなにもかもがめんどくさくなって来る。だらだらとしゃべるハルカはだらりと首を横に曲げてソファーのひじ掛けにこめかみを乗せる。黒髪が頬を滑り顔が隠れた。
夜中エリザベスをちょくちょく見ていたハルカはあまり寝ていなかったので、本当に眠くなってきて静かにまぶたを閉じた。
「ハルカァ。男はみんな狼なんだぞっ? そんな無防備にしてたら隣の“変なの”に襲われちゃうんだぞっ? そしたら女は“なきねいり”するしかないって本に書いてあったぞ?」
「なっ! エリザベス! 君はいったいどんな本を読んだのだっ? 内容が古いよその本っ。その前に“変なの”とはなんだ! ご主人様に向かってぇ!」
「……!」
近くで“火事だ!”と叫ばれたみたいにがばっと起き上がったハルカは、クッションを抱えながら警戒心剥き出しにハイコを見る。睨むというよりは、一対一のスポーツ選手のように相手の出方を慎重に窺った。
「うわ~ん。ハルカが変な目で見る~。エリザベスのせいだぁ! 私はレディーを襲ったことなどないぞぉ! そんなのことをする男は最低なのだ!──ところでハルカ」
泣きそうになったり憤慨したり──忙しい様子のハイコは最後に微笑んだ。
「少しでもいいから、自分のこと話してみないかい? 何でもいいのだよ。趣味とか好きな食べ物とか──何でも。相手に話して聞かせるという行為が大切なのだよ。ささっ。遠慮なくしゃべくっちゃってくれ給え」
両手で“望遠鏡”を作り、その穴からハルカを覗くハイコは、とても大人とは思えなかった。こんなのが担任だなんて──と、ハルカは改めて悲しくなってきていた。しかしふと嫌なことが過ぎった。
(まさか)
全身が寒気立った。
ハイコは知ってしまったのか? 絶対に他人に知られたくないハルカの秘密を。そしてハルカの父親に何か頼まれでもしたのだろうか? だからこんな臨床心理士──カウンセラーみたいなことをやっているのか?
遠回しにでもきいてみようかと思ったが、怖くなったハルカはやっぱりやめてしまった。
押し黙って膝を抱え、膝頭に額を付けて目を閉じた。




