竹
禎兆八年(一五八九年) 八月下旬 山城国葛野郡 近衛前久邸 近衛鶴
「なんと、夢のような」
姉の竹が私と弟の四郎右衛門を見ながら呟いた。
「夢では有りませんわ、姉上」
「ええ、そうですね。でも私の知っている四郎右衛門殿は万千代、赤子だったのですよ。私は母上と一緒にあやしたのです。そなたも一生懸命あやしました。でも幼いから危なっかしくて……」
姉がクスクスと笑った。四郎右衛門が困ったように姉を見ている。
「そんなに危なかったのでしょうか?」
「ええ、未だ五歳かしら。私の真似をして四郎右衛門殿を抱き上げようとするのです。顔を真っ赤にして踏ん張っていました」
姉の言葉に四郎右衛門がプッと噴き出した。あのね、笑わなくても良いじゃない。覚えているわよ。確かに力を入れたわ。貴方重かったのよ。でも力を入れすぎたのかしら? 嫌がって泣いたわね。姉が抱き上げると大人しく抱かれていた。
「私が上杉に嫁いでから十四年も経ったのです。本当にまるで夢のよう」
姉がホウッと息を吐いた。そうね、そうよね。本当なら二度と会えない筈だった。でも天下が統一され乱世が終わった。だから会う事が出来た。でも不思議だわ。姉は上杉家、私は近衛家。二人とも天下でも有数の家に嫁いでいるんだから。
「喜平次様が京に行くと聞いて私も行きたいとお願いしたのです。京には鶴が居ますし父上にも会えると思いました。本当なら奥州遠征の後、父上は越後に寄られる筈でした。それが無くなってしまったので……」
姉が寂しそうに言った。会いたかったのだと思う。姉は越後で大事にされただろう。でも周りに肉親が居ないのだ。寂しかっただろう。
「四郎右衛門殿は姉上の事を覚えていないでしょう?」
私が問うと四郎右衛門が”ええ”と頷いた。
「一番上に竹姉上が居るというのは皆から聞いていましたけど……。記憶が無いですよ。ちょっと想像とは違うなあ」
「違う?」
私が問うと四郎右衛門が姉を見ながら”ええ”と頷いた。
「私は竹姉上は姉上に似てもっと活発な性格なのかと思っていました。母上も結構ハキハキしていますし」
なるほどと思った。さっきから四郎右衛門が困惑しているのはそれが原因なのね。確かに姉はおっとりとした雰囲気を醸し出している。私や母上とはちょっと違う感じがするわ。それに口惜しいけど私よりも美人だと思う。母上よりも美人ね。四郎右衛門が困惑しているのはそれも有ると思う。こんな美人にいきなり姉だと言われても……。男って肉親でも美人には弱いんだから。
「見る目が無いわね、四郎右衛門は」
「え、何でです?」
「姉上は戦場にも出ているのよ。それに今日だっていきなり近衛家に来て四郎右衛門を呼び出してくれなんて言うんだから。大人しいように見えても行動力が有るわよ」
私が姉を見ながら言うと姉は頬を染めて”鶴”と私を窘めた。怒っても綺麗なんだから。臈長けてるって感じよね。惚れ惚れしちゃう。敵わないなあ。
「四郎右衛門殿は琉球に行ったのでしょう? 琉球はどんなところなのです?」
姉が問うと四郎右衛門が”そうですねえ”と少し考える素振りを見せた。
「南国ですね。暑いです。琉球人の衣服は日本よりも明のものに近いと思います。琉球は明に従属し冊封されてきましたからね。それだけ明の影響を受けてきたのでしょう。食事も日本の食事に比べるとやはり違います。美味しいとは思いますけど日本の食事が恋しくなりますね」
「まあ」
「ほほほほほ」
姉が”他には?”と訊ねた。
「豊かですよ。島国で小さいから交易で豊かになった国です。日本や明、それに南国の国々と交易する事で豊かになりました」
「……」
「日本が琉球を得たのは大きいと思います。交易の面では大きな拠点を持つ事が出来ましたし南から来る敵には先ず琉球で防ぐという形が出来ました。いずれ琉球を得た事の意味を皆が知る筈です」
四郎右衛門の言葉に姉が頷いた。なんか不思議だわ。昔は初陣とか騒いでいたのにそんな事を言うなんて……。
「私などより四郎右衛門殿の方が行動力が有ると思います。琉球には自分から行きたいと言ったのでしょう? 母上から文で教えて貰いました。それに琉球から戻ると奥州に行ったとも聞きました。本当に凄い」
姉が褒めると四郎右衛門が照れたような表情を見せた。全く!
「自分など未だ未だです。父上は本当に凄いですし三郎右衛門の兄上も凄いです。とても敵いません」
三郎右衛門か、父上に似ているのよね。大樹公よりも似ているかもしれない。
「ところで、父上は異国の者を庇護したそうですね。四郎右衛門殿は知っているでしょう?」
「ど、どうして、それを」
え、四郎右衛門が顔を強張らせている。何それ? どういう事? 私知らないわよ?
「何者なのです? 父上が意味も無く異国の者を庇護するとは思えませぬ。四郎右衛門殿、私に教えてくれますね?」
「あ、姉上」
姉が微笑んでいる。四郎右衛門は蒼白。拙いわ、四郎右衛門は蛇に睨まれた蛙よ。このままじゃ食べられちゃうわ。でも、私も知りたい。それ、何の話なの?
「四郎右衛門、それ何なの? 私も知りたいわ」
四郎右衛門がハッとしたように私を見ると勢いよく首を横に振った。
「駄目です。それは言えません。いずれ父上からお話が有ります。それまでは駄目です」
姉上が強い目で私を見た。え、怒ってる? 邪魔しちゃった? ごめんなさい。でも知りたかったのよ。
禎兆九年(一五八九年) 八月下旬 山城国葛野・愛宕郡 平安京内裏 朽木堅綱
「大樹、歳は幾つかな?」
院が和やかな表情で訊ねてきた。心臓がドクンと高鳴ったような気がした。落ち着け、落ち着くんだ。深夜の参内、深秘の会談。その事が更に重くのしかかる。嫌でも緊張した。「二十四になりまする」
答えると院が”若いのう”と上機嫌に笑った。
「その若さで関東、奥州を制するとは見事よ。天下統一が成った。真、征夷大将軍に相応しい若者じゃ。相国、頼もしい息子を持ったの」
「畏れ入りまする」
父が頭を下げる。私も頭を下げた。笑い声が上がった。
院、帝、近衛太閤殿下、九条前関白殿下、一条関白殿下、二条左大臣、近衛右大臣、鷹司内大臣が和やかに笑っている。分かっている。私の機嫌を取っているのだ。朝廷は私に馴染みが無い。その事に不安を感じている。そして以前官位の事で私が屈辱を受けたと怒った事も知っているのだ。朝廷と朽木の関係を円滑にするには私を宥める必要が有ると見ている。九条前関白……。私を利用しようとしたのはこの男だった。
「武家の棟梁が弱くては世が乱れるからの。もう乱世はこりごりじゃ。そうであろう」
「はい、父上の仰るとおりです」
院、帝の遣り取りに皆が頷いている。公家の方々の頷きは父上の頷きよりも深いと思った。朝廷の、公家の方々の困窮は深刻だったのだろう。その事が足利への嫌悪に繋がり父への支持に繋がった。
「国内の統一が終わるや直ぐに琉球を下した。それも見事よ。日本は異国に武威を示したのだからの」
院がまた声を上げて笑った。
「父上、それだけにこれからの事が心配です。相国、琉球制圧見事であった。これからどうなるか、そなたの見立てを教えて欲しい」
帝の言葉に父が”はっ”と畏まった。
「息子から報告させましょう。足りない部分は某が補いまする」
父が私を見た。父からは何度も説明を受けている。私が話す事も打ち合わせ済みだ。予行演習もした。それでも喉が干上がる思いがした。戦の方がましだ。いや、討ち死にする恐れは無いのだ。こちらの方がましだと自分に言い聞かせた。
「皆様方が不安に思っておられるのは明の動向かと思いまする。従属していた琉球を滅ぼされた明が如何思うか。日本を咎め琉球の再興に動くのでは無いか……」
皆が私を見ているのが分かった。先ほどまでの笑みは無い。それだけ大国である明の動きを重視しているのだと思った。
「結論から申しますと明は動きませぬ。琉球を見殺しにしました」
彼方此方から息を吐く音が聞こえた。”見殺しとは”、”愚かな”という声が聞こえる。
「相国の予想通りか……」
帝の呟きに皆が頷いた。父は静かに座っている。予想通り、誇るほどの事では無いのだろう。
「大樹、間違いないのかな?」
問い掛けてきたのは九条前関白だった。目が鋭い。落ち着け、気にするな。
「琉球は明、朝鮮に使者を出したそうです。日本の蛮行を止めて欲しいと。しかし明は琉球の要請を拒否しました。また、朝鮮には明の使者が銀を求めて来ていたそうです」
”銀を?”という声が上がった。皆が顔を見合わせている。予想外の事だったのだと思った。
「朝鮮は琉球の窮状を使者に伝えたそうですが使者は何の関心も示さなかったのだとか。朝鮮は明が関心を持たないと知って琉球の窮状を無視しました」
朝鮮は単独では日本に敵対出来ないと見ているのだろう。
「琉球王が早期に降伏したのは明が琉球を見捨てた事が大きかったようです。抵抗しても無駄に損害が増えるだけだと思ったのでしょう」
父の言葉に皆が頷いた。
「明が銀不足で苦しんでいる事は相国から聞いていた。日本に銀を求めるかもしれないとも聞いた。しかし本当に朝鮮に銀を求めたとは……。朝鮮はどう対応したのだ?」
帝が不安そうに問い掛けてきた。私が父に視線を向けたが父の反応は無い。私に答えろという事だ。
「朝鮮は何度も使者に朝鮮に銀は無いと言ったそうです。しかし使者は執拗に銀を求めたのだとか。已むを得ず朝鮮は僅かな銀と様々な産物を渡したそうです。その中には人間もおります」
空気がざわめく。驚いているのが分かった。
「それと朝鮮は使者に銀、干し椎茸、昆布などの海産物も渡しこれらは日本に有ると言ったそうです」
”馬鹿な!”、”何を考えている!”と怒りの声が上がった。皆が興奮している。
「朝鮮は明の関心を日本に向けようとしているのでおじゃろう。狡猾な!」
「では兄上、明から使者が?」
「来るかもしれぬ」
左府と内府の会話に部屋がシンとした。皆がこちらを見ている。私と父、父の方に向かう視線が圧倒的に多い。それだけ父は頼られているのだと思った。
「大樹、対馬の事を話さぬのか?」
「あ、はい」
いけない、つい皆の反応に気を取られた。
「朝鮮が対馬は朝鮮領だと主張しております」
”何だと?”、”馬鹿な!”と声が上がった。
「それと対馬から銀が産出されました」
またシンとした。先ほどまでの興奮が消えた。皆が顔を見合わせている。
「相国、朝鮮は対馬の銀を明に献上するために対馬は朝鮮の領土だと言っているのか?」
帝が訊ねた。
「分かりませぬ。まあこちらも銀の事は隠してはおりませぬから何時かは朝鮮にも伝わると思います。朝鮮は日本との関係が悪化する事を恐れていません。むしろ望んでいるでしょう。対馬は朝鮮の領土で日本が奪ったという事にすれば日本は琉球だけでは無い、対馬も奪った。極めて危険な国だと明に訴えられます。銀の事を知れば銀を献上するから対馬を取り返してくれと言うでしょう。日本を明の力を使って抑える事が出来ます。明の要求にも応える事が出来る」
二条左府が”狡猾な”と呟いた。父が”ふふふふ”と笑った。何故笑えるのか……。皆も驚いて父を見ている。
「相国は朝鮮が狡猾とは思わぬのか?」
院の問いに父が”はい”と頷いた。
「愚かと思いまする」
父の言葉に皆が唖然とした。
「朝鮮は明の力を利用して日本を抑えようとしているようですが日本が退かなければ明との戦となりましょう。それが朝鮮に何を齎すか。分かっておりませぬ」
皆が顔を見合わせた。父は笑みを浮かべている。一体何を分かっていないのか……。父が私を見た。思わず身が引き締まった。
「大樹、日本と明が戦になった時、朝鮮が高みの見物を決め込む事が出来ると思うか?」「それは……。無理です。元寇の時は高麗は元と共に攻めてきました。明は朝鮮にも兵を出せと言うでしょう」
対馬が戦のきっかけになるなら尚更朝鮮は兵を出さずには済むまい。
「ならばだ、朝鮮は戦の準備をしなければなるまい。元寇の時、高麗は一千隻程の軍船を用意したと聞く。そのために国が疲弊したそうだ。同じ事が起きるな。愚かとは思わぬか?」
「……確かに」
そうか、そういう事か。朝鮮に水軍が無いと教えられていたのに何故そこに気付かなかったか……。戦には銭が掛かるのだ。軍船を作るとなれば膨大な銭が要るだろう。それに水夫も要る。朝鮮王はそれが分かっているのだろうか? 分かっていて日本との関係を悪化させているのだろうか? 父は分かっていないと見ている……。
「朝鮮王へ書状を出しております。対馬は日本の固有の領土でり朝鮮が領有を主張する理は無いと。それと明の使者を唆すような事をしたのは日本に対する敵対行為である。朝鮮王の謝罪を求めると。謝罪をせぬようなら武力に訴えると」
父の言葉に皆が顔を見合わせた。 「相国、次は呂宋のイスパニアと戦うのではなかったのか? 太閤からそう聞いているが……」
困惑したような院の言葉に太閤殿下が頷いた。父が私を見た。
「朝鮮を攻めると見せかけてイスパニアを攻めまする」
私の言葉にざわめきが起こった。”なんと!”、”そういう事か”。そして息を吐く音も……。
「日本と朝鮮の関係が悪化すれば当然ではありますが朝鮮は明に助けを求めましょう。南蛮の者達は日本と明が戦う事を望んでおります。そこに食い込んで利権を得ようとするか、或いは日本と明を疲弊させて滅ぼそうとする事を望んでいるのです。彼等の望むとおりに動いていると思わせ油断させます。そして不意を突いてマニラを攻略致しまする」
頷く姿を見て少し恥ずかしかった。これは父の考えだ。それを自分で考えたかのように言っている。
「大樹、琉球は大丈夫なのか? 琉球が安定しなければイスパニア攻めは難しいのではおじゃらぬのかな?」
関白殿下が心配そうに訊ねてきた。チラッチラッと父を見ている。
「現時点で琉球に混乱は有りませぬ。しかし不安定ではあります。そこで後方の拠点としてアゴーを考えております」
私が答えると”アゴー”と訝しむ声が聞こえた。
「アゴーはマニラの北にある日本人の待ちです。そしてアゴーはイスパニアを嫌い日本への服属を表明しております。後方の拠点として不足はありませぬ」
”なるほど”と声が聞こえる。何人かが頷いている。
「マニラに攻め込むのは年が明けてからとなりましょう。そこでお願いがございまする」
父の言葉に皆が居ずまいを正した。
「今日の参内ですが公家の方々は当然ですが何を話したかを知りたがりましょう。そこで先ほどの朝鮮が明を唆した件、朝鮮が対馬を朝鮮領だと主張している件。これについてご報告に来たと教えて頂きたいのです」
太閤殿下が”ほほほほほ”と笑い声を上げた。
「相国、そんな事をすれば朝廷は朝鮮討つべしの声で溢れよう。それが狙いでおじゃるかな?」 「はい、朝廷が声を上げれば京に、そして天下に朝鮮討つべしの声が溢れましょう」
また太閤殿下が”ほほほほほ”と笑い声を上げた。
「そなた、朝廷を使うのが上手いの。まさか南蛮を騙すために朝廷を使うとは」
太閤殿下が三度”ほほほほほ”と笑うと皆が笑い声を上げた。
「イスパニア攻めが上手く行ったら第一の功は朝廷じゃの。そうでなければ騙された公家達が収まるまい」
院の言葉にまた笑い声が上がった。父も笑っている。
「当然ではございますが恩賞は弾ませて頂きまする」
また笑い声が上がった。 「父上、私は未だ戦の功で恩賞というものを貰った事が有りませぬ。楽しみです」
「私も初めてだ。楽しみな事よ」
帝と院の言葉に皆が自分も初めてだと言って笑った。
「よしなに願いまする」
父が頭を下げたので自分も下げた。これで終わりかな?
「しかし、今イスパニアを攻めると言うが急ぎすぎではおじゃらぬかな?」
いや、終わりじゃ無かった。九条前関白が厳しい目で父と私を見ていた。もう一戦だな。それにデマルカシオンの事を話さなければ……。




