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朽木の天下




禎兆九年(一五八九年)    八月中旬            武蔵国荏原郡桜田郷 江戸城   木下長秀




「大殿は今頃は京かな? 帝への天下平定のご報告は下旬だと聞いたがそれだけではないからのう」

 兄がニコニコしながら言った。

「改めて大政の委任が行われると聞きました」

「そうじゃ、小一郎。新しい天下の始まりよ。朽木の天下じゃ」

 兄の言葉に小六殿、将右衛門殿が”そうですのう”、”真に”と声を上げた。二人も嬉しそうにしている。


「上杉や毛利も京に集まると聞きました」

「三好、松永、内藤の有力大名も集まるとか」

 小六殿、将右衛門殿の言葉に兄が頷いた。

「そうじゃ、朽木の天下を歓迎しているという証じゃからの。評定衆、奉行衆も半数くらいは京に行く筈じゃ。俺も行きたかったんだが……」

 兄が唇を噛み締めた。


「兄上、お気持ちは分かりますが……」

 兄が遣る瀬なさそうに”分かっている”と言った。

「大崎左衛門佐と二本松右京大夫の結末を見届けなければならぬ。腹を切れと命じたがどうなるかのう」

 兄が息を吐いた。


「素直に腹は切りますまい。その事は兄上が一番良くお分かりの筈」

 私の言葉に兄が渋い表情で”うむ”と頷いた。

「奥州から一緒に移って来た者達が集まっているようです。如何するか相談しているのでしょう。ただ戦支度はしておりませぬ」

 小六殿の言葉に兄が頷いた。

「まあそうじゃろう。奥州から移ってきたばかりじゃ。戦支度など無理よ。百姓もあの連中のために戦おうとはせぬわ」

 兄の言葉に皆が頷いた。彼等には土地との繋がりが無い。木と同じだ。根の浅い大名などあっという間に枯れてしまう。


「腹は切りたくない。戦も出来ぬ。思案のしどころですな」

 将右衛門殿の言葉に皆が頷いた。三日前、大崎左衛門佐と二本松右京大夫を此処に呼び出した。大崎家、二本松家は改易、当主は切腹。十日後に検視役を送るので準備を整えて待つようにと……。驚き抗議する二人を無視して兄は席を立った。二人は小姓達の手で城から追い出された。屈辱だっただろう。大人しく腹など切れまい。だがそれが狙いなのだ。腹を切らせるより攻め潰す……。


「集まっている者達も戦は出来ますまい。となれば何とか処分を撤回させようとする筈です。そろそろ使者が来るかもしれませぬ」

 私の言葉に兄が”そうじゃの”と頷いた。そしてニヤッと笑った。

「小一郎、なんと言ってくると思う?」

「先ず心を入れ替えると言ってくるでしょう。次に大崎家、二本松家は名門だから許して欲しいと言う筈です。最後は人質を出す。そんなところだと思います」

 兄が笑い出した。


「話にならんわ。そうじゃろう?」

 兄の問いに皆が頷いた。

「小六、将右衛門、準備は出来ておるな?」

 小六殿がニヤリと笑って”はい”と答えると将右衛門殿も頷いた。七日後、切腹を拒否するようなら攻め潰す事になる。小六殿が大崎、将右衛門殿が二本松。


「失礼致しまする」

 廊下に小姓が控えている。ふむ、来たのかもしれぬ。そう思ったのは私だけでは無いだろう。皆がおかしそうにしている。

「稗貫備中守様、和賀薩摩守様が総奉行様との面会を望んでおりまする」

 兄がクスッと笑った。

「兄弟で来たか。此処へお通しせよ」

 小姓が”はっ”と言って下がった。


「宜しいのでございますか? 此処で?」

 小六殿が問うと兄が顔を綻ばせた。

「本来なら広間で会うべきじゃ。向こうも不満に思うかもしれぬ。大事な話なのに私室で会うのかとな。しかし、此処で良いわ」

 小六殿が曖昧な表情で頷いた。困っているのかもしれぬ。


 少しすると稗貫備中守殿、和賀薩摩守殿がやってきた。良く似ている。やはり兄弟だと思った。二人が兄の前に座った。二人とも表情が硬い。兄がチラッと私を見た。目が笑っていると思った。

「お主達は大崎、二本松の件で来たのか?」

「如何にも。大事な話でござる。広間に座を移して頂きたい」

 備中守殿が厳しい表情で言った。


「此処は不満か?」

「当然でござろう」

 備中守殿が声を上げると薩摩守殿が頷いた。

「本当に良いのか? ここでなら何を話そうと雑談で済むが広間に移れば俺は関東総奉行じゃ。腹を割った話などは出来ぬぞ。俺はお主達に一切妥協などせぬ。それで良いのか?」

「……」

 二人が僅かに身動ぎした。なるほど、そういう事か。だからこの部屋を選んだか。


「此処で話した方が良いわ。大崎と二本松には腹を切らせる。拒むなら攻め潰す。これは決定事項じゃ」

「いきなりの改易、切腹とは余りに……」

 兄が手を振って薩摩守殿を止めた。

「詰まらん事を言うな。お主等は散々大殿の、朽木の悪口を言っていたではないか。潰されても仕方があるまい。関東なら気付かれぬとでも思ったか? 甘いわ」

 兄が呆れたように言うと二人の表情が渋くなった。


「大崎左衛門佐殿も二本松右京大夫も心を入れ替えると申しております。それ故御取り成しを願いたいのです」

 備中守殿の言葉に兄が首を横に振った。

「話にならん。切腹を命じられて心を入れ替えますから許してくれ? 誰がそんな虫の良い話を受け入れる? お主等は大殿を馬鹿にしているのか? いや馬鹿にしているのは俺か? 百姓上がりの俺なら受け入れるとでも思ったか?」

 備中守殿、薩摩守殿が”そのような事は”、”違いまする”と慌てて否定した。


「隠す事は有るまい。百姓上がりの男が自分達の上に立つのかと大分不満だったそうではないか」

「そのような事は……、大崎も二本松も名門にございます。何卒格段の御配慮を……」

「必要無い」

 兄が備中守殿の言葉を遮った。そして息を吐いた。


「俺はな、大崎や二本松を名門とは認めておらん」

「大崎は」

 反論しようとする薩摩守殿を兄が”止めい”と遮った。

「大崎が斯波、二本松は畠山から分かれたと言うんじゃろう。そのくらいは俺も知っとるわ。足利の時代なら尊ばれたじゃろう。だが今は足利の時代か?」

「……」

「……」

 兄が問い掛けたが二人は無言だ。


「何故答えぬ? 本当ならお主達は今は足利の時代では無い、朽木の時代だと答えなければならぬ筈じゃ。だがお主達は答えぬ。それは朽木の天下を認められぬという事か?」

「そのような事はありませぬ。朽木の天下にござる。そうであろう? 薩摩守」

「兄の申すとおりにござる」

 二人が朽木の天下だと言ったが兄は”ふん!”と鼻を鳴らした。


「ならば大崎、二本松を潰す理由が分かっただろう。大崎も二本松も天下人が変わったという事を認めず足利の天下で認められた権威に縋っている。朽木の天下を認められぬのじゃ。だから潰すのよ」

「……」

「今一つ教えてやる。俺はな、大崎、二本松の減刑に動く者が居ればそれも潰せと大殿から命じられているのじゃ。その連中も朽木の天下を認められぬ者だからの」

 兄の言葉に二人がギョッとしたような表情を見せた。


「何じゃ、想像しなかったのか? 大殿の命を覆そうとしたのじゃぞ。そのくらいの事は覚悟すべきであろう。今からでも良いぞ、広間に行くか? お主等は随分と広間に行きたがっていたが」

 二人が”いいえ”、”このままにて”と顔を強張らせている。そんな二人を見て兄が息を吐いた。


「お主等、余程に腹を括らねば生き残れぬぞ。俺がお主等なら大崎や二本松など放り出して今直ぐ京に向かうわ。京では大殿と御屋形様が天下平定の報告と大政の委任の儀式を今月の下旬に行う事になっている。それに間に合うように東海道を遮二無二駆け抜けて大殿に会う。そして天下平定と大政の委任を言祝ぐのじゃ。関東に領地を貰った事に感謝しているとな」

 薩摩守殿が”そこまで”と呟いた。


「好きにすれば良いわ、俺は強要はせぬ。だが後悔はするなよ。俺はお主達を潰すのに何の痛痒も感じぬからの」

 備中守殿、薩摩守殿がハッとした。そして顔を見合わせると頷いた。

「御教示、有り難うございまする。我等はこれより京に向かいまする」

 備中守殿、薩摩守殿が頭を下げた。

「俺は雑談しただけじゃ。礼を言われるような事はしとらん」

 二人がもう一度頭を下げると部屋から下がった。


「宜しかったのでございますか? 大殿の命に背く事になりますが?」

 私が問うと兄が困ったような表情を見せた。

「潰すのは良いんじゃ。だがのう、潰すだけでは怯えさせ反撥させるだけじゃ。だからの、大崎、二本松は潰す。他は助けてこちらに引き寄せる」

 兄の言葉に小六殿が頷いた。

「他は分かりませんがあの二人は大丈夫でしょう」

「連中の中に楔を打ち込む事になりますな。大きいと思います」

 小六殿、将右衛門殿の言葉に兄が頷いた。


「京にまで行って頭を下げれば大殿も悪い気はせんじゃろう。朽木の恐ろしさが身に滲みたという事だからの。それに京、近江の繁栄を自分の目で見れば大殿を蔑むのが如何に馬鹿げているかを理解する筈じゃ。まあこれも調略よ。はははははは」

 兄が笑うと私、小六殿、将右衛門殿も笑った。調略か、兄らしいと思った。




禎兆九年(一五八九年)    八月下旬            近江国蒲生郡八幡町 八幡城  荒川長道




「天気が良いのは有り難いが……」

 晴れた空を見ながら暑いと思った。しかし寒いよりはましだ。冷夏ともなれば米の収穫にも影響する。水不足は困るが夏は暑くなければ……。琉球は南国、此処より暑かろうな。「ふふふふふふ」

 平四郎は暑がりだ。堪え性が無い息子だ。さぞかし悲鳴を上げているだろう。


 しかしサトウキビは暑くて水が豊富な所で栽培されるらしい。琉球はサトウキビの栽培に適していると報告が来たが……。収穫は再来年の初めか。何とか上手く行って欲しいものだ。砂糖が作られれば琉球は大いに潤うだろう。その分だけ琉球の民は朽木の統治を受け入れる筈だ。それに砂糖は明から購入している。明と戦う事になれば当然だが影響を受けるだろう。琉球で砂糖が作られるようになれば安心だ。


 戦が無くなり平和になった。皆が生きる事を楽しむようになる。これからは嗜好品が売れるようになるだろう。

「ふふふふふふ」

 可笑しかった。自分の若い時は嗜好品など贅沢としか思えなかった。第一に備えるのは米、次は武具だった。それなのに……。

「ふふふふふふ」

 駄目だ。笑い声が止まらない。


「平九郎殿、御機嫌ですな」

「おお、又兵衛殿」

 何時の間にか又兵衛殿が傍に来ていた。

「如何なされた。先ほどから笑っているが」

「見ておられたか」

 ちょっと恥ずかしかった。


「謹厳実直な御倉奉行が一人で笑っている。天変地異の前触れかと思いましたぞ」

 又兵衛殿が”ははははは”と笑った。私も笑った。

「又兵衛殿、天変地異は酷い」

「いやいや、真の事です。如何なされた?」

「豊かになったと思いましてな」

「確かに」

 又兵衛殿がゆっくりと頷いた。殖産奉行だ。思うところは有るだろう。


「朽木谷に居た頃は先ず米、次に武具でした。どちらも戦を想定しての事です。贅沢などする余裕は有りませんでしたな。それでも朽木は皆から豊かだと言われた。何処も貧しかったのでしょうな」

 又兵衛殿が”そうですな”と頷いた。

「あの頃は常に戦を念頭に置かなければならなかった。それは朽木谷を出てからも同じです。殖産奉行は戦とは無縁の仕事です。特産品が産まれれば民が喜ぶ、国が豊かになる、銭が増えるとは思いましたが肩身が狭かったのも事実です。某の父は戦働きをせぬ某を嘆いておりました」

「美味いものばかり食べていると良く言っておりましたな」

 又兵衛殿が顔を綻ばせた。


「ええ、言っておりました。太る一方だと。大殿にも注意してくれと頼んだそうです」

 二人で声を合わせて笑った。

「他の家なら叱責されたでしょう。しかし大殿は叱りませんでしたな」

「ええ、大殿ですからな。父は頼んでも無駄だと諦めたそうです」

 また二人で笑った。


「自分の銭で食べているのだから問題無いと。それどころか紙に記しておけ、いずれ役に立つと言われた時は驚きました。面白がっておりましたな。妙な御方だと思いました。やはり変わっていると。しかしやりたい事をやらせてくれるのです。良い主君だと思いました」

 そうだな、良い主君だった。大殿は公私の区別をはっきり付けていた。仕事をきちんとすれば個人の趣味には何も言わなかった。いや、大殿は無趣味だから関心を持たなかったのかもしれぬ。唯一の趣味が壺磨きだからな。


「琉球ではサトウキビの栽培が始まりました」

 又兵衛殿が頷いた。

「収穫は再来年の初めでしたな。砂糖が琉球で作られるようになれば国内に安い砂糖が運び込まれる事になります。砂糖が民に広まるでしょう。砂糖を使った料理、菓子も広まる。北との交易にも使われる筈です。そうなれば皆が豊かになったと実感すると思います」

「絹もそうですな」

「ええ、陶磁器もそうです」

 又兵衛殿が大きく頷いた。砂糖も絹も陶磁器も必需品では無い、嗜好品だ。日本は今嗜好品を作ろうとしている。豊かになった、いや贅沢になった証だと思った。


「おかしな御方ですな」

「大殿ですか?」

 問い掛けた又兵衛殿が笑っている。又兵衛殿もおかしな御方だと思っているのだろう。

「ええ、天下の諸大名が争っている時に大殿は贅沢になろうとしていたのです。おかしな御方でしょう」

 又兵衛殿が堪えきれずに噴き出した。


「そうですな、おかしな御方でした。しかし朽木が天下を獲れたのはそれが理由かもしれませぬな」

「と言うと?」

 又兵衛殿がニヤリと笑った。

「皆も贅沢をしたいと思ったのですよ。だから朽木に人が集まった。より豊かに、より贅沢に。一度きりの人生なのです。生きる事を楽しみたいと思った……」

 なるほど。粗食に耐え節約して武具を整えるなど御免だと思った者が朽木に集まったか……。


「かもしれませぬな」

「ええ、かもしれませぬ」

 二人で声を上げて笑った。大殿は京で天下統一の報告をする。しかしこれからも戦いは続く。南蛮、明。そして何よりも贅沢を追求する戦が待っている。未だ未だ、休めぬわ。







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― 新着の感想 ―
この辺の対応力はさすがに秀吉ですね。史実でも絶頂期でしたでしょうから、東北の田舎大名ぐらいだと掌の上で転がすぐらいは朝飯前でしょう。 大崎切腹となると、義弟の最上義光あたりが絡んでくれば面白くなりそう…
秀吉が優秀すぎる まあ当たり前なんですけどね
ある意味、今回の秀吉の動きは史実の宇喜多直家に対するもののオマージュになるのかな。
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