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十年




禎兆九年(一五八九年)    八月上旬            近江国蒲生郡八幡町 八幡城  謝啓紹




 尚寧王、尚宏様が相国様に呼び出しを受けた。高嶺顕殿、巴択信殿と共にお二方に付いていく。日本に来て一月が過ぎた。待遇は悪くない。粗略な扱いを受ける事は無いし気遣いも受けている。食事は十分に美味しいし高嶺顕殿、巴択信殿の怪我も薬を十分に用意してくれるお陰で治りが早い。先日は淡海乃海で相国様と釣りをした。尚寧王、尚宏様も笑顔で楽しんでいた。尚寧王が”亡国の王がこんなに楽しんで良いのかな”と呟いたのが心に残っている。琉球では常に傍に人が居た。監視されているようで落ち着かなかったらしい。だが日本に来て解放されたように感じている。


 一昨日、尚寧王、尚宏様は相国様の嫡男である大樹公に会った。大樹公の名は堅綱。年は二十四、尚寧王よりも二歳年下という事になる。生真面目な感じのする若者だ。悪い感じはしなかったが父親の相国様のような闊達さは余り感じられない。そのせいだろう、話も余り弾まなかった。高嶺顕殿、巴択信殿も相国様の方が話しやすいと言っている。妙な御方だ。相国様は琉球を滅ぼした敵なのだが我々がもっとも信頼し頼りにするのも相国様だ。


 あの御方の考えは分かっている。琉球を安定させるには王を殺すのは下策だと考えているのだ。だが琉球に残す事も下策だと考えている。だから日本に連れてきた。日本に連れてきてしまえば尚寧王、尚宏様が琉球王国再興に利用される事は無い。そう考えたのだろう。悪くないと思う。その分だけ尚寧王、尚宏様は安全だ。高嶺顕殿、巴択信殿も琉球に居るのは危険だと納得している。相国様は厳しい御方だが惨い御方では無い。日本の方が安心して暮らせるだろう。


 相国様のところに行くとそこには大樹公も居た。

「長らく待たせたな。七日後に京に行く。それからは京で過ごして頂く」

 相国様の言葉を訳すと皆が頷いた。大凡の予定は既に聞いていた。驚きは無い。

「用意した邸には既に身の回りを世話する者達が待っている。その者達は琉球の言葉は喋れぬが筆談は可能だ。上手くやって欲しい。安心して良いぞ、その者達は間者では無い。邸の中では何を喋っても安全だ。俺の悪口を言ってもな」

 相国様が”ははははは”と笑う。訳すと皆が困ったような顔をした。大樹公が”父上”と窘めた。大樹公も困ったような顔をしている。何度も接している内にこの御方が冗談好きだという事も分かった。でも笑えない冗談も有る。困った御方だ。


「以前に言ったがこれからは帝に仕えて頂く事になる。その事で尚寧殿、尚宏殿は官位を帝から授けられる事になった。尚寧殿には従一位、琉球王。尚宏殿には従三位、近衛中将。尚寧殿は琉球王に任じられる。封じられるのでは無い。そこは間違えないでくれ。それと日本には家格というものが有る。家の格だな。尚家は摂家となる。朝廷ではもっとも高貴な家格だ」

 訳しながら驚くのを抑えられなかった。任じられるか、名前だけだが琉球王と名乗れるらしい。それに摂家……。尚寧王を相当に重視している。いや、それ以前に琉球王に任ずるのだ。日本は明と同格の立場に立とうとしている。偶然か? それとも敢えて明の顔を潰すような事をしているのか? 尚寧王、尚宏様、高嶺顕殿、巴択信殿も顔が強張っている。


「ああ、もう一つ言うのを忘れた。琉球王は官職の兼帯は許されぬ。だから摂家と言えども摂政、関白に任じられる事は無い。謝啓紹、その辺りの事はよく説明してくれよ」

「はい」

 相国様の表情は穏やかだ。こちらを気遣うように見ている。分からない、判断出来ない。「それと琉球王の官職は太政大臣の下、左右の両大臣の上という事になる」

 なるほど、摂政関白には任じられない。摂家というのは形だけだが大臣の上だから丁重に扱っているという事なのだと思った。


「京に着いたら先ずは天下統一の報告をする事になる。これは俺と大樹が行う。その後は大政の委任、相国府の開府等を行う。そして尚寧殿を琉球王に任ずる儀式が有る」

 天下統一か。幕府ではなく相国府を開く。そして琉球王の任命……。国内に敵は居ない。これからは海の外に向かって武を振るう事になるのだろう。となると明の顔を潰すのもわざとかもしれぬ。挑発か……。


「それと謝啓紹、高嶺顕、巴択信にも従五位下、侍従の官位が与えられる。尚寧殿、尚宏殿は宮中に出仕する事になるが二人だけでは言葉も分からぬし心細かろう。三人で尚寧殿、尚宏殿を支えよ。従五位下、侍従の官位が有れば宮中に入る事が出来る」

 訳すと高嶺顕殿、巴択信殿が驚き尚寧王、尚宏様がホッとしたのが分かった。行き届いた事だ。相国様は我等が不満を持たぬように気を遣っている。 


「そんなところかな? 大樹、他に何か有ったか?」

「父上、琉球から人を呼ぶ件が。それと銭の件を話さなければ」

 大樹公の指摘に相国様が”おお”と頷いた。

「そうだったな、それが有った。琉球王に任じられたら琉球から人を呼ぼうと考えている。新たな琉球王に挨拶をさせねばな」

 尚寧王、尚宏様が不安そうな表情を見せた。琉球の者達が自分達を如何思うかと心配なのだろう。


「尚寧殿が大事にされていると分かれば琉球の者達は安心するだろう。それに日本に来る事で日本を知ってもらおうと考えている」

 これは断れないと思った。尚寧王を日本に連れてきたのは琉球人に日本を見せる狙いも有ったのだろう。琉球人はどうしても明を重視する。それを少しずつ変えようとしている。上手いやり方だ。

「案ずるな」

 相国様が笑みを浮かべて不安そうにしている尚寧王、尚宏様を見た。

「無理はせぬからな、少しずつだ」

 訳すとお二人がホッとしたように頷いた。


「それと収入の事だが土地を与えようと思ったのだが言葉も通じぬ中で税を取るのは中々難しかろう。俺の方から毎年正月に二千貫の銭を渡そう。如何かな?」

 訳すと尚寧王、尚宏様が笑顔で頷いた。高嶺顕殿、巴択信殿も喜んでいる。どんな形でも良い。相国様との繋がりを維持すべきだというのが我等の認識だ。頼りになる。やはり妙な御方だ。




禎兆九年(一五八九年)    八月上旬            近江国蒲生郡八幡町 八幡城  朽木堅綱




 琉球王兄弟と家臣達が去ると父が腕を動かして大きくのびをした。疲れたのだろうか?

「大分こちらに慣れてきたな」

「そうなのですか?」

「ああ、最初の頃は相当に警戒していたと思う。まあ、当たり前だがな」

 そうだろうな、亡国の王なのだ。どんな惨い目に遭うかと不安だっただろう。その心を解したのだ。相当に気遣いをしただろう。気疲れかもしれない。


「琉球王という官職に驚いていたようですが?」

 父が軽く”ふふふ”と笑った。

「それは驚くだろう。琉球は明に服属していたのだ。その琉球を日本が滅ぼし尚寧を琉球王に任じた。明の皇帝がそれを知れば当然だが面白くないだろう。尚寧を琉球王に任じられるのは自分だけだと思う筈だ」

「……」

「琉球を滅ぼすのは明の皇帝の顔を叩くようなものだが琉球王に任ずるのは明の皇帝の横に並び立つようなものだな」

 なるほど、父が私を征夷大将軍に任ずるようなものか。帝は面白くないだろう。


「尚寧を琉球王に任じたら朝鮮に使者を送る」

「尚寧を琉球王に任じたとですか?」

 問い掛けると父が”そうだ”と頷いた。

「日本には尚寧を琉球王に任じるだけの力が有る。日本は明の権威など認めていないという表明になる」

「朝鮮に何時までも日本を無視するなと?」

 父が私を見た。おかしそうな表情をしている。


「大樹は警告だと思うか?」

 意表を突かれた。

「違うのですか?」

 問い返すと父が頷いた。

「明は儒教の思想によって国を治めている。法では無いぞ、それ以前の大本の考え方がだ。自分達こそが中華、つまり天下の秩序を定める国で周辺の国は自分達の徳に従わなければならない。従わない国は野蛮な国だと蔑む。そんな野蛮な国は相手にする必要は無いとな。明だけでは無いぞ、あの大陸を治めた国は皆そうだ。大陸にはそういう考えが常識として広まっているのだ」

 驚いていると父が”ふふふ”と笑った。


「朝鮮は明に服属し儒教を重んじている。朝鮮は明こそが中華であり朝鮮は明と共に天下の秩序を守るものだと考えているのだ。日本は明に服属せず儒教も重んじない。そして明が定めた秩序を無視して琉球を滅ぼした。朝鮮がそんな日本を相手にすると思うか?」

「いいえ」

 首を横に振ると父が頷いた。


「その通りだ、相手にしない。益々明に近付いて日本を蔑み無視するだろう」

「では何故朝鮮に使者を?」

 父がニヤリと笑った。

「日本と朝鮮が揉めている。そう思わせたい」

 思わせたい?

「南蛮でございますか?」

 父が”そうだ”と満足そうに頷いた。


「年が明ければ呂宋のイスパニアを攻める」

「はい」

 初めてそれを聞いた時は驚いた。だがイスパニアは危険だ。呂宋から日本に攻め寄せたのだ。そして兵を増強しようとしている。攻めるならその増援が来る前だろうという父の考えが間違っているとは思えない。問題は琉球が安定するかどうかだが……。


「だが連中にそれを知られたくない。だからな、故意に朝鮮との関係悪化を作り出す。あの者ども、喜ぶぞ。日本と朝鮮、明の関係がおかしくなるのを望んでいるからな。戦になれば食い込めると見ているのだ」

 父が”ふふふ”と笑った。なるほど、目眩ましか……。戦支度も朝鮮との戦に備えるという形で進めるのかもしれない。


「しかし、遣り過ぎると朝鮮、明と本当に戦になりませぬか?」

「朝鮮が単独で戦を起こす事は無い。そして明も戦を望んではいない。こちらから攻め込まなければ大丈夫だ」

「……」

 父が顔を綻ばせた。

「不安か? 朝鮮にも明にも日本に攻め寄せるだけの水軍は無いぞ」

「あ!」

 思わず赤面した。父は私が不安を感じていると思ったのだろう。実際感じていたが水軍が無いか……。では朝鮮、明が日本との戦を覚悟した時は水軍を整える事から始まるという事か……。


「失礼しました。己の未熟を恥じまする」

 頭を下げると父が”ふふふ”と笑った。足りない、未だ未だ父には及ばないと思った。

「以前、元が日本に攻め寄せた事が有る。その時は高麗が協力したのだが元も高麗も日本に攻め込むために船を作るところから始めた。その意味が分かるか?」

「敵が船を揃える前にこちらの船を整えておけば優位に戦えるという事でしょうか?」

 父が”違う”と言って首を横に振った。


「元も明も高麗も朝鮮も海を制する水軍を持っていないという事だ。海に関心を持っていないのだろうな」

「……」

「呂宋ではな、先年の負け戦のせいで戦船が減った。そのせいで倭寇が暴れ商船がマニラに寄り付かなくなった。マニラでの取引が減ったのだ。物が不足して値が上がったと聞く」

 そんな事が……。


「イスパニアはマニラの海を守る水軍を持っていないのだ。だからマニラは貧しくなった」

「はい」

「日本は四方を海に囲まれている。海が荒れれば貧しくなるのは日本も同じだ。日本の領土とは陸地だけではないのだ。海も日本の領土なのだ。それを肝に銘じよ。海を守る水軍が必要だ。戦のためでは無いぞ、国の豊かさを守るためだ」

「はっ」

 なるほどと思った。国を守るだけでは無い、豊かさを守るために水軍が必要か。


「明も朝鮮もその辺りの意識が希薄だ。それを分かっているのがイスパニアとポルトガルだ。彼等は船を遠くまで派遣し時に領土を奪い時に交易する事で富を得ている。海を制する者が富を得ると分かっているのだ。だから危険なのだ。その事を忘れるな」

「はい、御教示有り難うございます」

 礼を言うと父が頷いた。


「父上、尚寧達は琉球の者達に会う事に気が進まないようですが……」

 問い掛けると父が頷いた。

「尚寧は琉球の王族ではあるが先代の王の実子では無い。先代の王の娘婿だ。王に男子が居ない事で王位を継いだ。王になると日本との関係を改善しようとしたらしい。だが周囲に居るのは先代の王が引き立てた重臣達だ」

「……では?」

 父が”うむ”と頷いた。


「反対した。日本との関係を改善するという事は先代の王が間違っていたという事になる。重臣達が認めるわけがない。尚宏が日本に使者を寄越したのはこのままでは戦になると案じたからだが身動きの取れない尚寧を少しでも助けたいという思いも有ったようだ」

 溜息が出た。そんな裏が有ったのか。

「ではあの兄弟と重臣達は不仲なのですね」

 父が”そうだ”と頷いた。


「戦になると尚寧は早い段階で降伏した。戦っても勝てない。損害が増えるだけで意味が無いと見たのだろう。正しい判断だと思う。重臣達もそれは分かっていただろう。だが重臣達は尚寧を非難した。脇から入ったから琉球を守ろうという気持ちが無い。尚寧の周りには日本に通じる者が居るとな。先代王や自分達の過ちを尚寧達を誹る事で隠したのだ。高嶺顕、巴択信は日本に通じ王や王弟を誑かした裏切り者とされて琉球人に斬られた」

「なんと! あの傷は日本との戦での負傷ではないのですか?」

 父が苦い表情で”違う”と言った。


「哀れな事だ。尚寧、尚宏の兄弟は琉球王家の恥と蔑まれるのだろう。謝啓紹、高嶺顕、巴択信の三人は日本に通じた裏切り者と蔑まれるに違いない」

「……何故彼等を琉球人に会わせるのです? 会わせない方が良いような気がしますが……」

 父がフッと笑った。

「琉球人が尚寧達を如何思うと構わぬ。大事なのは日本が琉球王を重視している。厚遇していると琉球人に見せる事だ。それと尚寧達が琉球に戻る事は無いという事も理解させる。安心するだろう。彼等が恐れているのは尚寧が日本の力で琉球に戻り自分達に報復する事だろうからな。その恐れが無くなれば平四郎の政にも協力し易くなる」

 なるほどと思った。父は琉球王ではなく琉球そのものの安定を重視しているのだ。琉球王はそのための道具か。父は尚寧達を気遣っているように見えたが……。未だ未だ敵わないと思った。




禎兆九年(一五八九年)    八月上旬            近江国蒲生郡八幡町 八幡城  朽木奈津




 御屋形様がお戻りになられた。腰を下ろすと”ホウッ”と息を吐いた。大殿のところから戻るといつも息を吐く。

「お疲れのようでございますね。矢尾に麦湯を用意させましょう」

「そうしてくれるか」

 矢尾が笑顔でそそくさと席を立った。


「如何成されました?」

「いや、未だ未だだと思ったのだ。父上には到底及ばぬ」

「またいつものお口癖が」

 私が敢えて軽く笑うと御屋形様は苦笑いを頬に浮かべた。

「そうだな、いつもの事だな」

 今度は”はははは”と声を上げて笑った。少しは気が晴れただろうか? 余り深刻になって欲しくない。


 矢尾が戻ってきた。御屋形様と私の前に麦湯を置くと脇に控えた。御屋形様が麦湯を一口飲む。”ホウッ”と息を吐いた。

「竹若丸と桐は如何した?」

「若君は大方様の所に、姫様は御台所様の所に行っております」

 矢尾が答えると御屋形様が”そうか”と言った。大方様は竹若丸に夢中だけど竹若丸と桐が懐いているのは大殿。でも大殿は政で忙しい。中々相手をしてもらえない。その事を寂しがっている。


「十年だそうです」

「十年?」

 御屋形様が訝しげな表情で私を見ている。

「ええ、大殿は十年かけて御屋形様に政を教えるのだとか。御台所様から伺いました」

「十年か」

 また御屋形様が息を吐いた。


「そのように息を吐かなくても……。十年などあっという間でございますよ。私も嫁いで十年です」

 御屋形様が”はははははは”と笑い出した。

「奈津、私が思ったのは十年で学び終える事が出来るだろうかという事だ。先が長いと思ったのではない」

「まあ、ほほほほほほ」

「はははははは」

 二人で声を合わせて笑った。


「一つ一つ足りない部分を埋めて行くしかないな」

「左様でございますね。……そう言えば殖産奉行の又兵衛殿が御屋形様を探しておられました。お話ししたい事が有ると」

 御屋形様が息を吐いた。麦湯を一口飲む。

「やれやれだな。昨日は御倉奉行の平九郎から銭の説明を受けた。半分も分からなかったな。今日は一体何を教えられるのか……。奈津、十年で足りるかと危惧したのは冗談ではないのだぞ」

 御屋形様が肩を竦める。胸が痛んだが敢えて笑みを浮かべた。


「お気張りなされませ。一つ一つにございます」

「そうだな、一つ一つだ」

 御屋形様が立ち上がって部屋を出て行く。それを見届けると自然と溜息を吐いていた。十年、こんな日が続くのだろうか……。

 







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バイリンガルやトリリンガルになって 父親を追い越せ!
10年で大樹に帝王学も教育か。こればかりは家臣に任せられないし、大殿は忙し過ぎて大変だな。
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