第一章/第五話
隣で真面目に勉学に励む早坂君と好きな画家の画集を読む私はいい対比になっていた。左が良い例、右が悪い例みたいなイメージで。
「集中できないんですけど」
ぎょっとした。シャーペンを弄りながら早坂君がこっちを見ている。胸の奥がきゅっと締まる感覚がした。
「ごめんなさい。迷惑だった?」
「迷惑っていうか。何かあったのかなってなるから」
「なんかあったと言えば、まあ」
「どうしたの」
「提出物とかあったのかわからない」
早坂君は少し驚いてから、っはと息だけで笑った。
「変なとこ真面目だね」
「不登校で課題もちゃんとやってなかったらそれはただの問題児でしょ」
「そこが真面目だって言ってんの」
眉を寄せる私を見て、まだ笑いの余韻が残る動きでプリントを差し出してきた。二人の机の間に置いて、指で一点を差している。
「これね。今日は健康調査の紙だけ」
「あー、あれか」
リュックからファイルを取り出し、ぺらぺらなプラスチックの中から紙を出した。大人に優しく説明されて、褒められようとやってますよアピールする子供みたいじゃないか。恥ずかしくなったが今更手を引っ込めるわけにもいかず、クラスメイトに自分の健康調査書を見せるというなんとも不思議な空間を作り出してしまった。
「明野さん不登校なのに健康なんだ」
「不登校に対する偏見が凄くない?」
おれ学校行ってても体調崩すから。
しばらくして担任が入ってきた。ずっと炎天下の中で生徒に声をかけていたのだろう。顔が幾分赤い。教壇に立つと息を吸って、私たちに向き直る。
「よし、まずはみんなおはよう!」
呑気な反芻がそこかしこから聞こえてくる。きっと大方の生徒は暑さにやられて、家に帰りだらけることしか考えていないのだろう。そう言う私もその一人だが。私も周りに紛れそうな声量で「おはようございます」と口にした。担任は満足そうに首を縦に振る。
「今日は終業式だな。二年に上がって初めての夏休みだ。一年とは違って勉強や部活、学校行事により主体的に取り組める一ヶ月にしてほしいと思っている」
決まり文句だ。「先生まじめー」だとかなんとか言う声が飛び交っている。
「ただ!先生は勉強だけで堅苦しく夏休みを終えてほしくない!二年は学校行事の主役になる学年だ。文化祭、体育祭、たくさんあるだろう?全てに全力で向き合い、青春を謳歌してくれ!」
彼が生徒に慕われている理由がよくわかった気がする。青春を謳歌、なんてこと教師の口からはそうそう軽く言えないはずだ。それを簡単に言ってのける明るさが自然と人を惹きつけるんだろう。
「で、通知表な。名簿順に取りに来てくれ」
一気に現実に引き戻された気分で口の中が乾いた。ぱくぱく開閉している間に「一番明野ー」と呼ばれた。クラス中の視線に肌を痛めながら廊下に向かう。
「はい…」
さっきとは変わって教師らしく荘厳な顔つきの担任が立っていた。教卓を挟んで向かい合うと、少しお高そうなクリアファイルに入れられた数枚の紙を、メニューのように私に向けてきた。教科ごとの評定が目に入る。十段階評価。文系科目は授業に割と出ているしテストの点数もそこそこなので五を下回らずに済んだ。美術は。相変わらず十だ。よし。理系科目は……ちょっと見たくない。
「おい明野、目逸らしたって何も変わらんぞ」
豪快に笑う担任。楽しそうなところ悪いが笑うところじゃない。
「すみません…これって補習ですかね」
「そうだろうな。文系科目と美術に対する興味を理系科目にも向けてくれんかね」
「このままだと三年の文理選択に響きます?」
「うーん…まあ文系行くなら別にいいとは思うが、どのみちこのままだと選択どころか留年だぞ」
げ、と声が出た。
「それより、早坂とはどうだった?話せたか」
「あ、はい。さっきまで話してました」
「そうかそうか!良かったなぁ明野!」
自分のことで自分以上に喜んでくれる人を見ると、心が暖かくなる。ああ、こんな無愛想な私にも優しくしてくれるということは、それだけ人が良いのだろうと。人の良さというのはどれだけ技術が進歩しても奪えない人間の好点だ。人が良い。たった一つの要素でぞろぞろ周りには人が集まってくる。すごいな。あれだけ。
私にはないから。
_________________________
ここ数年右肩上がりに悪化している温暖化が飛び火して、本来体育館で集まる予定だった全校集会は教室のスクリーンを使ってのリモートになった。ホワイトボードの上に映し出されていつもより白っぽくなった校長。進級直後の全校集会は体育館でやったけど、話の怠さと長ったらしさは変わっていない。
『えー…ですから。皆さんには高校生としての自覚を持ちつつ、有意義な夏休みを過ごしていただきたいと思っており…』
こういう時いつも思うが(思ってはいけないのだろうが)、なんで当たり前のことをさも私はすごいことを言ってるみたいに言うんだろう。口から紡がれる言葉に聞き覚えがありすぎて、なぜ今晒そんなことを念押さなければならないんだ。「有意義な」とか、アバウトすぎる。それぞれに個人の「有意義な」があるんだから、たとえば私が課題をサボり倒して一生絵を描くのも私にとっては「有意義な」だ。
気が逸れまくった結果あっという間に全校集会は終わった。
さっさと帰ろうとする私を、担任が怖い笑顔で止めに来た。怖い。
「あけのー?補習だって先生言ったぞ??」
「それは幻聴です」
「お前のそういうノリいいところもっと見せたら、クラスに馴染めると先生思うんだけどなぁ」
捨て犬みたいな顔をしながら参考書を持つのをやめてほしい。担任は美術教師だ。よって私のいいところ、優秀と呼ばれる部分を何より見てきている。それが功を奏さず、担任は「明野こういうとこすごいんだから」と私のめんどくさいで日陰に隠してた可能性をこじ開けてくるのだ。
「とりあえず先教室行っとけ。今日は数Ⅱな。…んな苦い顔すんなよ」
少人数教室に向かって私はとぼとぼ歩いていた。手に持った画集がぶらんぶらん揺れる。重さに釣られて力の抜けていた私の体もぐらりと傾く。
暑さに当てられたのは私も一緒みたいだ。




