↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
食べたい君を食べる僕。  作者: 宮川学
第一章「少女」
3/10

第一章/第二話

 五テイク目くらいで向こうからピンポンとインターフォンが押され、そんな律儀なゾンビは居ないということで無事私の疑いは晴れた。


「……は、はぁーぃ……」


 普段亜希さん以外に使うことのない声帯から必死に声を絞り出すと、視界に一人の腕が入った。


 白い肌をしていた。筆舌尽くし難いが、まず形容するなら肌が白い。私と同じくらい、いや同い年か?そんな少年で、インドア至上主義の私ですら驚くレベルで肌が白かった。生まれてから一度も直射日光を浴びたことがないのではと思ってしまうくらい。いっそ心配にすらなってしまいそうだった。自分的に気味が悪くてあまり大っぴらにしないのだが、私は人間を見るとその骨格や顔立ちをまじまじと観察してしまう癖がある。完全に無意識なのでやり終わってから「またか」と気づくことがほとんどなのだが。


 そこで理解した。少年の着ている制服が私の通う高校と同じものなことに。しかも進級以来まともに袖を通していなかった私には、夏服のカッターシャツが目に新しい代物で。ネクタイを軽く緩めた襟の隙間から変に翳(かげ)りの差して色素の暗い鎖骨が垣間見えていた。


「あの…な、…なに?」


 じっと見ていると向こうから不信感をそのままラッピングしたような声が降ってきた。当たり前だ。


「ごめんなさい…。ところで何の御用でしょうか…」

「……一応確認だけど同級生だよね??」


 もう一度見る。肌が白…それはどうでもいいから。まじまじと凝視する。当然ながら見られている側は居心地が悪いだろう。申し訳ない。


そうして少しの気まずさ片目に見つめていたときだった。


 記憶の出どころは大抵曖昧だ。どこからともなく現れて、脳は記憶を探る作業よりその湧かんとする場所を探し出すのに時間を要する。だが当然、その作業は再三再四上手くいくわけではない。


 私の脳内には一つ邪魔が入っているのだ。喪失という名の邪魔が。ぽっかり空いた前頭前野のどこかに、その邪魔は存在している。突き止めても、虚空に針を刺すのと同じ。意味がなく、吸収されて終わってしまう。今までこの記憶にたどり着く手がかりは無かった。何も。母を失った悲しみも、事故に遭ったという痛みも、何もかもがトリガーという役割すらろくに果たさず、私の空白はこの有様。


 だからこそ、最初の違和感を私の脳は異常と受け取ったのだと思う。恋愛的なドキドキでは断じてなく、ある意味の拒否反応のような心臓の暴れ具合に体がオーバーフローを起こしてしまいそうで。目の前の少年が、脳内のどこかに痛烈な衝撃を与えたのだ。一瞬のことで、コンマ一拍の後には消えている。そのコンマは記憶できるものではない。もう一度体験したいと強く願うが、数秒後にはそれすらも無かったことになって、結局言い表しようのない違和感が記憶を駆け巡って犯人を探し出すのだ。


 デジャヴ、とは。暗にこの感覚のことを言うのではないだろうか。私が記憶を失ってから幾度となく経験してきたかと問われ首を振ってきた、未知の感性が。


 私の空白に、本来捨て去られるはずだったその既視感はぴったり嵌った。その二度目の景色の出会いに、一度目と充てられる記憶はないのに。


「あ、いや、うん。会ったこと、あるかな」

「そりゃそうでしょ。だっておれ君と隣の席だったし」

「え?」


 ん?と顔に書いてある。


「気にしないで…ていうか何かあった?」


 少年はやっと本題に入れることに心底安堵しながら、鞄から一封の封筒を取り出した。学校でよく見る茶色の封筒だ。紙なのに木の匂いがするやつ。ご丁寧に「二年七組。明野凪」とでかでか書かれている。担任の字だ。


「明日終業式だから参加しろっていう書類と…それから色々配布されたから。出てない授業の書類と合わせて渡す」


 よく見ると封筒は想像以上の分厚さだった。細長く血管の浮き出た指が封筒の皮を被った紙袋にめりめりと押されている。


「あ、ありがと…?」


 封筒を受け取る間際、一瞬触れた指先が冷たくて心臓がびくっと跳ねた。末端冷え性とか聞いたことあるけどこの灼熱の真夏に適用されるんだろうか。果たして。


 封筒を渡し終えると、もう役目は終わったとばかりに少年は足早に去って行ってしまった。私でもそこまで薄情な足の運び方なんてしないだろう。けれど、言うて私も秒でドアを閉めてしまったし。そこまで変わらないのかもしれない。直射日光から避難した玄関は、まだ炎天下の焼き色を肌に残してはいたもののやはり涼しかった。封筒をダンボールの上に置いて丸めていたワークを復活させる。改めて見ると科学のワークだった。科学教師なんて四月に一度顔を見ただけでどんな人物かなんてほとんど覚えていない。


 エアコンのよく効いたリビングの中心に、胡座をかいてワークを広げる。筆記用具を忘れていた。なんでこうやる気が出た、さあやろうと言う時に限って大事な何かを忘れてしまうのだろうか。その労力で割かれるやる気は計り知れない。二階に行くのも怠くて結局亜希さんの仕事机からシャーペンとカラーペン、定規消しゴムを拝借させてもらった。後でちゃんと返そう。


 私の通っている高校は、この県内でも有数の進学校だ。現在は失われた記憶の中にいる、過去の私がこの高校に行きたいと決めたらしい。現在の性格から考えてよほどのきっかけがない限り、こんな苦労を伴うことなどしようとしないはずなのだが、疑問でしかない。


 母が亡くなった後、担任や親族は「志望校を考え直しても良いのではないか」と私に問うたが、なんとなく過去の自分の決意を裏切るような気持ちになって、なんとか勉強して合格。今に至る。


 そう考えると、裏切りたくないなどと言っておいてどうしてお前は不登校になっているんだという話になる。理由は単純。人間関係が甚(はなは)だ面倒だから。それは今までの人生において私に共通していた価値観で、曖昧な人間関係より勉強。勉強より将来。そのヒエラルキーの中で自然と私の中での「学校に登校する」という行動の優先順位は右肩下がりしていったのである。


 こんな私でも唯一無二の趣味がある。それが絵だ。美術だけは全授業出席しているし、そして毎回作品はA判定をもらうのだから、内心達成感でガッツポーズしている。


 私は絵が好きだ。兎にも角にも、絵が好きだ。絵を描いていると自分を曝け出せる。白紙のキャンバスに、たった一人の手で、何層にも世界が作り出されていく。細かなディテールと、荒い刷毛のベタ塗り。油絵は一つ一つを荒く描き出した中に作者の心の叫びが感じられていい。一番好きだ。水彩は海や川だったり、水を媒体にしているだけあって水面を描くのにはもってこい。水をよく吸う砂っぽいメディウムを重ねて、上に水彩絵の具を乗せるとリアルな砂浜になる。


 そんなことを考えている間に、庭の蝉の鳴き声が止んだ。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。