第57話 ネル、敵の屋敷で震える
三日後。
ネルはグレアム伯の屋敷の門前で震えていた。
本人は隠しているつもりだろう。
だが、手が帳簿袋を強く握りすぎて白くなっている。
「怖いか」
俺が聞くと、ネルは小さく頷いた。
「怖いです」
「それでいい」
「いいんですか」
「怖くないふりをすると、判断を間違える」
前世でも、初めて大企業の役員会に入る若手がいた。
震えている人間ほど、準備を怠らない。
怖さは弱さではない。
雑に扱えば壊れるが、正しく使えば注意深さになる。
ロウがネルの横に立った。
「逃げる時は、俺が先に道を作る」
「逃げる前提なんですね」
セイルが笑う。
「逃げ道のない交渉は、交渉ではありません」
その通りだ。
◇
屋敷に通されると、グレアム伯の家令が待っていた。
痩せた男だ。
背筋はまっすぐ。
声は低い。
「共同管理監査役、と伺っております」
言い方に棘がある。
ネルが一歩引きそうになる。
俺は口を出さない。
ここは彼女の初仕事だ。
ネルは震えながら頭を下げた。
「ネルと申します。本日は帳簿の照合に参りました」
「帳簿を疑うと?」
「いいえ」
ネルは袋から紙を出した。
「道の維持に使える数字を、同じ形にしたいのです」
家令の眉が動いた。
疑う、ではなく、同じ形にする。
エマならもっと鋭く斬り込む。
だがネルにはネルの戦い方がある。
相手の逃げ道を残しながら、記録を出させる。
「まず、橋の修繕記録を見せてください」
ネルの声はまだ震えていた。
それでも、言い切った。
家令はしばらく彼女を見ていた。
そして、従者に命じた。
「出せ」
最初の扉が、開いた。




