第1話〜凍てつく冬を前に
木々が葉を落とし、冬の眠りにつく準備を始める武蔵野の街。
十五年間、静かな図書館の書架の間で、誰にも心を乱されない平穏な日々を送ってきた四十五歳の志賀冬子。
そして、無骨な手で寡黙に木々と向き合い、孤独を静かに抱えて生きる四十八歳の造園師、野上秋弘。
冷たい風が吹き抜ける十一半ば、冬囲いの依頼をきっかけに二人の静止していた時間は、お互いの孤独をそっと分け合うように動き始めます。
本書は、大人の不器用で、しかしどこまでも温かい心の交流を描いた、静かな愛の物語です。
第1話:冷たい風の吹く日に
十一月も半ばを過ぎると、武蔵野の面影を残す街には、ちぎれた雲が低く垂れ込める日が増えてくる。
志賀冬子は、勤務先である市立図書館の窓から、銀杏の葉が舗道に黄色い絨毯を広げていくのを眺めていた。四十五歳。独り身。十五年前に離婚を経験して以来、この静かな書架の間が彼女の世界のすべてだった。本に囲まれ、誰にも心を乱されない平穏な日々。それに満足しているつもりだったが、冷え込む夜に古びた二階建ての一軒家へ帰ると、足元から忍び寄るような底冷えと、このまま静かに老いていくことへの淡い寂しさを覚えるのも事実だった。
「冬子さん、お庭の冬囲い、今年はもう頼んだ?」
閉館準備中、同僚の司書が声をかけてきた。冬子の自宅の庭には、亡くなった祖父が植えた立派な五葉松やツツジがある。
「あ……そういえば、まだでした。去年頼んだところ、確か代替わりされたんですよね」
「そうそう、息子さんが継いで『野上造園』になったのよ。寡黙だけど、すごく丁寧で良い仕事をするって評判だから、早めに連絡したほうがいいわよ」
帰宅後、冬子は思い出して古い名刺を頼りに電話をかけた。受話器の向こうから聞こえてきたのは、低く、少しぶっきらぼうだが、芯の通った落ち着いた男の声だった。
土曜日の朝、約束通りにやってきたのは、道具を入れた軽トラックと、濃紺の作業着に身を包んだ男だった。
「野上です。……冬囲いの下見に伺いました」
野上秋弘は四十八歳。日焼けした顔に、深く刻まれた目尻の皺が印象的な男だった。無駄な愛想笑いは一切なく、挨拶も最小限。しかし、庭に一歩足を踏み入れた瞬間、その視線は鋭く、かつ愛おしそうに木々へと注がれた。
「立派な松ですね。手入れが行き届いている」
「祖父が大切にしていたんです。私はあまり詳しくなくて……」
「大丈夫です。雪の重みで枝が折れないよう、しっかり吊りますから」
秋弘はしゃがみ込み、五葉松の根元や幹の状態を確かめていく。その手は、土や木に触れ続けてきた人間特有の、ゴツゴツと無骨で力強いものだった。冬子は思わず、自分の白く冷えた指先をコートのポケットに隠した。
作業の手順や日程を決めるための短いやり取りの中で、冬子は彼から不思議な居心地の良さを感じていた。秋弘の言葉には、世間話特有の探りを入れるような気配が一切ない。同時に、彼の背中に漂う、どこか自分と同じ「諦めに似た孤独」を、冬子の繊細な直感が敏感に察知していた。
「では、来週の火曜日から作業に入ります」
「はい、よろしくお願いします。……あの、お寒いですから、お気をつけて」
秋弘は一瞬だけ驚いたように目を見張り、それから小さく頭を下げた。
「ありがとうございます。寒さには慣れていますから」
そう言って軽トラックに乗り込む彼の横顔を見送りながら、冬子は胸の奥がほんの少しだけ、いつもより温かくなるのを感じていた。木々が冬を迎える準備を始めるように、彼女の止まっていた時間もまた、静かに動き出そうとしていた。
本作をお読みいただき、ありがとうございます。
十一月の冷え込む空気の中、それぞれに孤独を抱えた四十五歳の冬子と四十八歳の秋弘が出会う場面からこの物語は始まります。派手な展開はありませんが、冬を迎える庭木たちの変化とともに、少しずつ変化していく二人の心の機微を丁寧に描いていきたいと思っています。
言葉数の少ない二人が、これからどのような言葉を交わし、距離を縮めていくのか。静かに動き出した彼らの時間を、温かく見守っていただければ幸いです




