少年とお姉さん
「こりゃいかん。どうしましょ星崎先生」
京香が暴発するように去って、それから蒔田先輩もそれを追い掛けていって、残された我々は茫然としていた。その状況からいち早く立ち直ったのは紀子だった。しかし彼女もそのまま追い掛けていく訳ではなく、とりあえず教師である星崎先生に判断を仰ぐようにしたのだった。その状況を、私はほとんど頭を真っ白にして眺めていた。美也ちゃんも大体同じだった。
「そんなに危ない状況になっている訳じゃないけれど、放っておく訳にもいかないわね」
星崎先生はいつになく神妙な顔をしている。しかし蒔田先輩と京香の関係性を一番知っているのもこのひとに間違いはないはずなのだった。この邂逅は偶然かもしれないが、それを見て京香が暴発する可能性は考えなかったのだろうか? とすれば完璧超人に見えるこのひとにも抜けたところがあるとも言える。もっとも、私は最初から蒔田先輩と星崎先生が恋仲であるとは思っていなかった(そこは京香が恋ゆえに盲目になってしまっていたのだ)。
星崎先生は誤解を解くためなのか、自分と蒔田先輩が従姉弟であることを明かした。
「あの子がそんな勘違いをしていたなんて……」
「そりゃ星崎先生、センセはすっげえ魅力的な女性ですから」
「もう。そんなことを言ってる場合じゃないでしょ」
状況は複雑な様相を呈していた。京香が逃げるようにして走り去っていき、蒔田先輩が慌てたようにそれを追い掛け、そしてクラスの副担任とその生徒が取り残されている。さらには美也ちゃんもいるのだが、それがさらに訳の分からなさを加速している。
しかし私はあまり心配していなかったのである。きっと京香と蒔田先輩は上手く行くだろうという確信があった。だが別の問題がない訳でもない。その勢いのままふたりがホテルに雪崩れ込んで……などということなども想像してしまう。それならそれでよろしくやっていればいい、と私個人は思うが、教師である星崎先生はそうもいくまい。まして蒔田先輩が親戚で、受験も目前に控えている身となれば。
「とにかく、手分けしてふたりを探しましょう」
「りょーかい! いくよ美也ちゃん!」
「え、あたしっすか?」
何故私ではなく美也ちゃんを指名したのかよく分からない。
「カナちんは別ルートで捜索しな! 後輩ちゃんは私が面倒見るから」
とだけ言い残し、ほとんど強引に連れ回すような感じで美也ちゃんを引き連れ、紀子は神社の境内から消えていった。星崎先生もやはり京香たちを放っておく訳にはいかないので、これまた境内から消えていった。とすれば私も捜索隊にならなければならないのだが、いまいち乗り気ではなかった。前述の通り、私は京香たちのことを全然心配していなかったからだ。いかがわしい行為に至るならまずいかもしれないが、それはそれで彼女たちの選択ではある。私が異議を挟む余地はない。
そういうことなので、私は申し訳程度に捜索するふりをしながら、実際にはふらふらと辺りをうろついているだけだった。それには別の理由もある――晴れて恋人同士と相成ったふたりを前にして、果たして私はどんな顔をすればいいのか分からなかったからだ。いつもの通り、私は現実に向き合うという選択を放棄していた。
誤解を招くかもしれないから、一応言っておこう――私は別に京香に嫉妬している訳ではない。いや、ある意味では嫉妬していると言えるのかもしれないが。つまり、彼女が恋人を作ることになんの異議もない。喜ばしいと思う。だがいっぽうで、それは私がひとを本気で好きになれない事実を突き付けるものなのでもある。
「正月の街はきれいだな……静かで、澄んで、とてもいい……」
嗚呼、なんという現実逃避ぶり。最近顔を出していなかった自己卑下の感情がまたうずうずと芽生えてくる。ここまでくると私は好きで自己卑下をしているのではないかとすら疑ってしまう。そしてそれが私であると開き直るほどの強さもない。私の心は危うい方向に揺らいでいる。
そんな気持ちにぴったり当てはまる場所が、もう、定めし設えたようにそこにあった。住宅地の中にある寂れた公園だった。とても狭く、さび付いたブランコと砂場しかない。市の造園設備課にも忘れ去られているような、そもそも公共の場所なのかすら怪しい公園。当然ながら遊んでいる子供もいない。その一角だけが、なにか異世界のような佇まいを見せていて、私はそれに惹かれた。簡単に言えば、ことが終わるまで自分はここでずっと時間を潰しておこうと思ったのである。人目の付かないところだからおあつらえ向きと言えよう。
ベンチもなく、枯れた木が一本植えられているだけだった。枯葉すら見当たらない。私は身の置き場に少々迷い、結局ブランコに座った。子供の使う遊具なのだからその座席は小さく、少々お尻が窮屈でもあったが、そんなに問題ではない。
「うーん……」
私はさほど陰鬱にはなっていないことに気付いた。これまでの私なら違っただろう。だが、しかし……とはいえ鬱屈が皆無という訳でもない。なにか気を晴らす手段が必要であり、それはすぐここにあったのである。
「ヒャッハー!」
私は大きく足を後ろに蹴って、ブランコを揺らし始めた。ブランコで遊ぶのはいつぶりだろうかという間抜けぶり。振袖姿の女子高生という姿がその間抜けさをさらに助長する。しかしやけくそ的に楽しい。
誰にも見られていないのが幸い――
その筈だったのだが。
「お~い、藤見よ~い」
うわ、と声を出すのをなんとか堪えた。何故か、本当に何故かなのだが、支えを失ったようなジャージ姿の少年がボストンバッグを肩にぶら下げながらうろついて来たのである。少年といっても小学生ほどではない、私よりかはちょっとだけ年下だろうか――中学生くらいか。しかしまだ顔付きは中性的であり、声変わりもしていない。どこかもっさりしていたが、恐らくは、そこが私がさして初見から彼を警戒していなかった理由でもあるであろう。
「藤見よ~い……」
少年はなんだかへこたれているようにも見えた。それがゆえ、私は彼を放っておけないと思ってしまったのである。私はずざーっと地面に足を止め、ブランコから降りた。
「おーい、少年。なにをしておるか?」
なんだかヘンな声掛けになり、もし私がこの時成人していたら事案になっていただろうが、幸いにもまだ女子高生であるし、それに誰にも見られていないから問題ではない。私自身の羞恥を除けば。
「うぇ?」
ほとんど涙目の少年だった。その顔は美少年とは言い難いがそれなりに整っており、素朴でもある。あんまり格好良くなる将来は見えなかったが、きっといずれ年上のお姉さんに可愛がられるであろう魂をひしひしと感じる――
いや待て。
彼は(恐らく)中学生である。とすれば、この状況。その年上のお姉さんとは、他ならぬ私自身ではないのか? いやしかし。
「……お姉さん、なにしてんの? そんなカッコで」
やはり振袖姿というのが異様なのであろう。少年はまずそこから指摘した。しかし私はあまり恥ずかしくなかったのである。あまりの非日常感、非現実感、異世界感がいつもの私の感性を鈍麻させていたのかもしれない。しかしそれだけではなかった。
私は初対面の彼にまったく警戒していなかった。これは私にはあり得ないことだった。何故そうなっているのか、まったく分からない。まさか、それが少年の人徳なのだろうか。子供だから、というのもあるだろうが……
「わはは。格好いいだろう、少年。このふりふりがスーパーロボットっぽくない?」
なにを口走っているのだろうか、と私は自分で驚愕してしまった。嗚呼、これはじつにまずい。私の、今まで必死に封印していた阿呆の血が覚醒しようとしている――しかし、何故?
「全然スパロボっぽくないよ。かわいいけれど……」
「む、まあそうね。でも少年、こんなところでひとり、なにをしているの?」
「そりゃお姉さんも同じじゃないの」
警戒していないのは向こうも同じのようだった。というより、あまりにも少年が無防備すぎるから、私のタガも外れかかって――いや、もう外れている。
なんだか奇妙な感覚がする。そう、なんというか、心が開いているような――
「まああたしのことなんかどうでもいいじゃない。少年はなにをここでやってんの?」
「友達とはぐれちゃったんだ」
聞くところによると、少年はある中学校のサッカー部に所属していて、なんというかまあ殊勝なことなのだが、元旦から友達だけで自主合宿をしようとしていたらしい。しかも他県から来たという。
「なんとまあ。それは淋しいだろうね。お姉さんもなんだか悲しくなってきちゃう」
「お姉さんに同情されてもなぁ」
「そう言わないの。女の子に同情されるのがどれほど貴重な体験なのか、まあ……きみはまだ子供だから分からんだよな」
「恥ずかしいだけだよ」
不思議な感覚があった。何故この少年を前にすると胸の内を曝け出せるのだろうか。こんな話をしていても後ろめたいきもちにならないのだろうか。そしてそれがいかに気持ちいいことなのか。こんな感覚は初めて――いや、久し振りである。
「あたしも一緒に友達捜してあげようか?」
京香を捜すミッションを放棄してなにを、といった感じだが私はそう言った。
「いや、いいよ。お姉さんに迷惑かけたくない」
「じゃあちょっと遊んでいかない? 決して損はさせませんぜ。さあこっちにいらっしゃい」
私が手招きすると、少年は意外にも素直に隣のブランコに座った。最初は凹み不安でもあったようだが、彼も心を開いているようだった。
「わっはっは。では競争してみようか!」
「なんでそうなるんだよ」
「ふふ。座った時点できみはもう勝負のフィールドに立っているのだ。男なら振り向くな、前を向け!」
「まあいいけどさ」
そして私たちはふたりしてブランコを漕ぎ始めた。もともと小学生くらいまでを想定しているブランコは鎖をぎしぎし軋ませて悲鳴を上げている。古くて錆び付いているのもあるだろう。しかしそれでも、いや、だからこそ私は愉快だった。
「ほーら! ほーら! このままじゃ女の子に負けちゃうぞー!」
「なにおう!」
そうやって年甲斐もなく、ブランコの振れ具合を競争していた。私は別に勝ち負けを意識していなかった。ただ少年をからかうのが楽しかっただけである。しかし、しかしだ……これが本当に私なのか。おかしい、なにかがおかしい。
いちばんおかしいのは、あまりにも爽快だったところだった。調子に乗っている意識は確かにあった。それでも、この少年の前ならそれでもいい。本当の自分を曝け出してもいいと思っている。
――本当の、自分?
「とうッ!」
私は跳び上がり、ブランコから離れて着地した。体操選手のようにピッタリ足を揃え、腕をピンと上げる――つもりだったのだが、運動音痴の私は情けなくよろけ、コケるまではいかなかったものの、なんとも締まらない着地になってしまった。少年はそれを見てブランコの運動を緩め、少しずつ降りてくる。
「あはは。お姉さんは楽しいな」
「ふっ。傷心の少年を慰めるならなんだってするよ。あ、いや、えっちなのはナシね」
「えっちなことなんか考えてない!」
「そりゃそうか」
そうして私たちはわっはっはと笑い合った。なにかが融け合っているような感じがした。その時、私は「私」を忘れていたのである。
「お姉さんも友達とはぐれちゃったの?」
「いや、あたしははぐれた訳じゃあ……あ、いやまあ似たようなもんか」
京香たちを捜索するとは言ったものの、再合流地点を決めていないのはまずいことだった。まあ携帯で連絡を取ればいいだけの話ではあるが、それでは星崎先生の連絡先を知らないため完璧ではない。
といった所で私は気付いた。
「少年。携帯は持ってないの? それで友達と連絡とればいいじゃない」
「あ、そうか」
すこしパニックになっていて、それに気付いていなかったらしい。彼ははっとしたような顔を見せ、それから鞄から携帯を取り出した。程なくして迎えがやって来た。もう一人の少年は中学生らしからぬ精悍な顔付きで、迷子の少年はかわいい系なら、そちらは格好いい系だった。しかし私は何故中学生男子の値踏みなぞしているのか。
「なにやってんだよ有馬。アホ。ボケ」
「そっちがはぐれたんだろうが」
「ヘンなところで意地をはってもよくないよ。いい友達じゃない。ここは素直に謝りなさい! ほら! あたしも謝ってあげるから!」
私は自分でもよく分からないが頭を下げた。迎えの少年は「いや、意味分からないです、それ」と言って唖然とした。まあ私が訳が分からないのだから彼はもっとそうだろう。
「ゴメン、藤見」
「……まあお前が素直になってくれるなら、お姉さん効果を認めるしかないな」
そして別に私が助けた訳でもないのだが、ふたりとも同じく頭を下げた。そうしているところを見ると、私も皆のところに帰りたくなったのである。
「じゃあね、少年。楽しかったよ。また会えたらいいね」
「そうだね……その可能性は薄いと思うけど」
「きみは結構冷めてるな。そんなんじゃモテないぞー」
「そんな心配されなくてもいいよ!」
結局、それが彼との別れになった。どこから来たのかも知れない少年――
「あ、そういや……お互い名前も名乗らなかったなぁ……」
それはまあ、それだけの話である。




