大逆転(?)
大晦日は割と暖かかったのだけれど、年明けの元旦は打って変わって異様に寒かった。せっかくの新年始めだというのに空はどんよりと曇っていて、雪でも降りそうな気配になっている。なんだか暗い前途を予言しているようで私は気が滅入ってしまった。こんなことはあんまりないのだけれど。
というのも、元旦は地味同盟のみんなで初詣にいこうという話になっていたからだ。ここまでくれば私も乗り気になっているけれど、だからこそ天気は晴れやかでいてほしかった。
神社前での現地集合とのことだったので、その神社に一番近い私が先に到着していて、ほかのみんなはまだ来ていない。
元旦だからと言って、私は別に着飾ることもしない。灰色のダウンコート、中にはベージュのセーター。ホッカイロも胸の内に入れてある。それでも寒い。珍しくスカートなんか穿いてきたからだろうか。分厚い黒タイツも穿いているものの、寒気はそこから身体の内に侵入してくる。
「早くみんな来ないかなぁ……」
寒いと感じるのもひとりだと余計だ。
「お、いたいたキョーカだ」
「京香先輩は真面目っすねぇ」
しばらくすると紀子と美也ちゃんが連れだってやって来た。どこかで偶然に合流したんだろう。紀子はコートの前をはだけていて、その下には灰色のタートルネックセーターを着ていた。彼女もスカートであり、それなりにお洒落を意識しているらしい。いっぽう美也ちゃんは色気のかけらもない。女子サッカー部のジャージの上に青のベンチコートを着ていた。自分の立ち位置を照明する為なんだろうか。よく分からない。
「さっぶいねえ」
「本当ね。お天道様はいつだって皮肉よね」
「あたしはだいじょぶっす」
あとは佳奈だけなのだが、彼女もさして遠いところに住んでいる訳ではないのに、到着が妙に遅れている。普段は遅刻をする子ではないのだけれど、どういうことだろうか。
その理由はすぐに分かった。
「うひょ、カナちん来たぞ!」
なんと、彼女は赤い振袖を着ていたのである。着付けを出来るとは思えないから、きっとお母様に着させてもらったのだろう。そして恐らくは無理矢理に。その証拠に佳奈はずっといたたまれないといったような顔をしていて、頬を赤く染めている。珍しく髪もアップにしているので、その表情もいつになく分かり易い。という訳で、彼女はそれを見せるのが恥ずかしくて遅れてしまったのだろうと簡単に推測できる。
しかし、だ。
「うおお! カナちん! カナちん! カナちん!」
「や、やめてよ……」
その、なんというか……そんな艶姿に身を包んだ佳奈は異常なほどの美人だったのである。彼女が隠れ美人であるのは紀子と私も見解を一致していたものだが、まさかここまでとは思っていなかったのである。なんという変貌ぶりであろうか。案の定、彼女は私たちだけだけではなく、周囲の視線(主に男性)を集めていた。
「すげぇっす、佳奈先輩! とっても綺麗っす!」
「そ、そんなことない……」
佳奈は謙遜しているのではなく、本気で自分は綺麗じゃないと思っているようだった。とはいえこの振袖を拒否しなかったのはそれだけ彼女も人生に前向きになりつつ証拠なんだろう。それはとてもよいこと。
それにしても紀子の興奮具合は異常である。鼻息をとっても荒くして、佳奈のほうばかり見ている。やっぱりこいつレズなんじゃないだろうかと思ってしまった。それはないにしても紀子が佳奈のことをかなり好きなのは間違いない。まぁ、それで私が嫉妬することもないけれど……
「さ、みんな集まったところところで参拝しましょう」
「キョーカはせっかちだのう。もっとゆっくり生きていこうや」
「ゆっくりしてたら死ぬまであっという間よ」
「女子高生がそんなこというなよ~」
この神社は昔の武将を祀ったとかとかなんとかで、全国的にも有名である。当然参拝客も多い。武将の神社なのだから武張った祈念をするところと思いきや、そのご利益は至って普通のものだった。
ゆっくりゆっくりと人の列に並び、ようやく参拝の時が来た。私たちは話を合わせて500円玉を放り込んだ。
「みんなはなにをお願いしたのかなぁ」
「そういうのは他人に漏らしちゃいけないっていうのが普通でしょ」
そういう訳で誰がなにを祈ったのかは不明だし、それでいい。私自身は――と言うと学業成就を祈念してみた。と言っても私のものじゃない。もうすぐ受験になる良明先輩の合格を祈ったのだ。あとはそのおこぼれに与って、これまでよりも上手い小説が書けるようにとも祈った。いや、小説は祈って上手くなるものじゃないけれど。
それからおみくじ。ここですこしびっくりしたことが起こった。私たち全員、大吉を引いたのである。はしゃいだのは当然紀子。
「わはは。地味同盟の前途は洋々だのう」
「地味同盟がどうかは分からないけれど、まあいいんじゃないの」
しかしそのおみくじの内容にはすこしひっかかるものがあった。私のものである。そこには「良縁が訪れるでしょう」とあったのである。はて、私に良縁とは――まさか、良明先輩と――
これを見せると絶対に紀子が茶化してくると思ったので、隠し持ってそのまま木に括り付けた。そのことでなんだか怪しまれたのだけれど、構うものか。
この時すでに午後1時。みんなお腹を空かしているころである。予定では南に下るとすぐに商業施設があるので、そこのファミレスでご飯を食べることになっていた。その後は映画も観る。元旦から忙しい話だ。これまでの私は、お正月は大人しい日々を過ごしていたものだけれど、急に賑やかになってちょっと疲れている。ついでに言うとこういった人混みはあんまり得意じゃない。
そのはずだった。そのはずだったのだ。だが私は見つけてしまった。
なにを? そう、同じ時間に神社に参拝している良明先輩をである。そしてその傍らには――彩乃先生がいたのだ。この混雑の中でそんなものを見つけるとはなんという偶然か。
ああ、やっぱりそうなんだ、と私は落胆した。しかしこの落胆というものが厄介な感情で、ということはつまり裏返しにすると私には期待があったのだ。それを突き立てられるとその落胆は重くなった。
「あ、蒔田先輩……」
次に気付いたのは佳奈だった。それからみんなそっちのほうを見る、良明先輩たちはまだ気付いていないようだった。彩乃先生も一緒ということで一行はなんだか気まずい雰囲気になってしまった。そのことがさらに私を苦しませる。みんな私の気持ちを慮ってのことなのが分かってしまうからだ。
このまま気付かないように――と暗く祈っていたのだけれど、残念ながら向こうも気付いてしまった。
「あー……一応先輩と先生だから挨拶しとかんとね」
紀子も珍しく歯切れが悪い。それも全部私のせい。まさか晴れやかな初詣でこんな現実を突き付けられるとは。さっきのおみくじはなんだったのか。
「明けましておめでとう。今年もみんなよろしくね」
先生と生徒がふたりきりだなんて破廉恥な――と思うのだが、私はどうしてもかれらを憎むことができない。かと言って祝福する気にもならない。頭がぐるぐるして、なんだかおかしくなってしまいそうだった。しかしその時、確かに私の中で悪い「虫」が蠢き始めていたのである。
「こんな偶然もあるんだね。俺は嬉しいよ」
「それは嘘じゃないですか?」
そんなに意識した訳じゃないのに、私の声色は刺々しくなっていた。発した私自身が驚いたのだから、良明先輩はもっと驚いているようで、あまり見ないような感じで目を見開いている。彩乃先生からも微笑が消えていた。ひとの悪意というものはいかに伝播しやすいか、と私は苦々しく思った。だがどうしようもない。いつの間にか私は私を自制できなくなっていた。
「どうしてそんなこと言うのさ。こういうところで会うんなら嬉しいに……」
「良明先輩は彩乃先生とふたりきりのほうがいいんじゃないですか? こんなところで私のようなお邪魔虫に会っても仕方ないでしょう」
「あ、いや、おい……佐倉さん、なにか勘違いしていないか?」
「いいんです。これで私の一人相撲も終わりですね。さよなら」
自分を自制できないというのは、生まれて初めて、いや大袈裟ではなく本当に初めてだった。これまでの私は冷静であることを目標にしていたし、またそう振舞えることを誇りにもしていたのだ。でも今、それはすべて崩れてしまった。
たったひとつの失恋で!
そして私は――失恋をしたことで初めて、はっきりした「恋」を自覚した。こんな皮肉な話があるだろうか。
怒りとともに情けなさもあった。しかし私は止まれなかった。これ以上この場にいたくなかった。だから紀子たち地味同盟のほうも見ずに、そのまま走り出していた。どこに行くとか、そういうのは決めていない。まったく正体不明の衝動に駆られ、自分が今どこにいるのかも分からない。「おいおいおいおい! 流石に極端すぎんだろキョーカちゃんよ!」という紀子の言葉が脳裏に残っているだけ。
気付いた時には、私は海沿いの波止場にいた。すぐ近くには観光用のタワーがあって、海の向こうにはすぐ近くの人工島が見える。それに気付いてはっとし、そこでほんのすこしだけ落ち着いた。でも情けなさ、自己卑下は止まらない。
「もう文芸部には行けないなぁ……」
あれだけ楽しく、心安らかだった場所を、一時の激情で失ってしまった。言うまでもない。私は阿呆だ。良明先輩と彩乃先生が付き合っているのなら素直に祝福して、その末席に居続ければよい、それだけの話だったのに。
「泣いてるな、私……」
しかしここからが本当に阿呆な話なのだが、いっぽうで私は自分を観察していて、その中にこんな激情があったのをことのほか新鮮にも思っていたのだった。この感情はもしかしたら小説に生かせるかも、とまで考えてしまっていた。やりきれない思いを創作にぶつける、というのは悪いことではないのかもしれない。とはいえ……
ため息が漏れてしまう。炎はいつの間にか鎮火したようだった。私はそこまで狂的な創作者でもないのだろう。
しかしこれからどうしよう。何も考えずに走ってここまで来てしまったけれど、これから地味同盟に合流するのもなんだか気まずい。かといってひとりで帰る気にもなれない。やりきれない思いを抱えながら、私は海際でひとりしゃがんで佇んでいた。
「こんなところにいたのか。みんな心配しているよ」
不意に声が後ろから掛かったので私はぎょっとして振り向いた。そこにはいつも通りの良明先輩がいたのだった。彩乃先生はおらず、ひとりである。まさか彼ひとりで追い掛けてきたのか? でもなんで?
私はまだ拗ねたまま言った。
「いいんです。私なんか放っておいてください。もっと彩乃先生を大事に……」
「あのさ、なにか勘違いしてないかい?」
「だって、生徒と先生ってだけで仲良く初詣に出掛けるなんてことしないでしょう。悪かったですね新年デートの邪魔しちゃって」
「だから違うんだって――京香くん、こっちを向いて!」
私はさらにぎょっとしてしまった――何故なら、彼が私の下の名前を呼んだのはそれが初めてだったからだ。
「は、はい!」
間抜けなことに私はピンと背筋を伸ばして立ち上がった。
「俺と彩乃先生が付き合ってるなんてことはないから安心して――言ってなかったっけ。俺と彩乃先生は従姉弟なんだよ」
「へ?」
今明かされる驚愕の新事実――というほどでもないけれど、かなり意外な話である。血がつながっている割にはあんまり似ていないのだが。穏やかな性格くらいか。
では、彼がここまでひとりで追い掛けてきたのは――
どきどきする。
どきどきする。
まさか。
「俺が本当に好きなのは……」
「ストップ。それ以上は言わないで下さい」
密かに決めていたことがある。もし私が恋愛する可能性があったとしたら、相手に告白させるのではなく、自分から告白しようと決めていた。それが私の(どうでもいい)美学なのだった。
そしてここまで弄ばれたら普通の手段ではもう物足りない。
「ど、どうしたの……なんか目が異様に座っているけれど」
「そう見えるのなら、それはとても素晴らしいです」
私は、一歩、踏み込んで。
彼の首に手を回し、口付けをしていた。それはしばらく続き、驚愕に目を見開いた良明先輩の顔を楽しみつつ、やがて彼から離れた。
「えへへ。正真正銘、私のファーストキスですよ」
「いや、あの……きみ、そういう子だったか?」
「これも私です。いや自分でもびっくりしているんですけれどね」
そして行動のあとに言葉が来る――私のスタイルとしてはややおかしなものだったけれど。
「好きです。大好きです! 良明先輩――私とお付き合いしてくださいッ!」
最初は驚いていた彼も、すぐに冷静さを取り戻し、いつものようなはにかむ微笑を見せた。それは実際いつもと大して変わらないはずなのに、いやに輝いて見えた。
「ありがとう――俺も、きみのことが好きだった。そりゃもう、入部してくれた時から、ずっとね」
「よかった」
こんなハッピーエンドがあっていいのだろうか? あんまりにも出来過ぎじゃないだろうか? いやいや、物語ではくっついたところでハッピーエンドなんだろうけれど、実際にはお付き合いし始めてからも色々あるはずだ。その「色々」の中には、まあ……その。
だが今くらいはその幸福に浸っていてもいいだろう。今度は良明先輩から抱擁してきて。それはこの真冬の中でとても暖かい、ただ体温だけでなく、心が――




