第三章 七番街の罪人たち
その夜、オルフィリアは西離宮へ向かう途中で襲撃された。
王宮の外壁に沿った細い石畳の道を歩いていたとき、背後から近づいてきた馬車が突然速度を上げたのである。御者台には黒い頭巾を被った男が座っており、その手には短い弩が握られていた。
矢が放たれた。
オルフィリアは咄嗟に身を屈めたが、矢は肩を掠め、背後の石壁へ突き刺さった。続けて二本目が放たれ、今度は外套の裾を地面に縫い止める。
「……っ!」
少女が外套を脱ぎ捨てようとした瞬間、横合いから別の男が飛び出した。
短剣が月光を反射する。
しかし、その刃が届くより早く、鋭い金属音が響いた。
「王都の真ん中で暗殺とは、随分と大胆な連中だな」
黒い外套をまとった男が、襲撃者の腕を捻り上げていた。
グレイヴァン・ルスティア。
王国監察官の紋章を胸に着けた長身の男だった。
彼は短剣を奪い取ると、相手の膝裏を蹴って地面に押さえつけた。もう一人の襲撃者が逃げようとしたが、グレイヴァンが投げた短剣がその足元に突き刺さり、男は悲鳴を上げて転倒した。
「動くな。次は足では済まさん」
低い声だった。
襲撃者たちは抵抗をやめた。
オルフィリアは荒い息を整えながら、助けてくれた男を見上げた。
「……ありがとうございます。あなたは……」
「王国監察官、グレイヴァン・ルスティアだ。ディルヴェイン伯爵令嬢で間違いないな?」
「はい」
「なら、話は早い」
男は少女の肩から流れる血を見て、眉をひそめた。
「まずは手当てだ。事情はその後に聞く」
「ですが、私は今夜、どうしても行かなければならない場所が……」
「西離宮か?」
オルフィリアは息を呑んだ。
グレイヴァンは小さく舌打ちした。
「やはりな。第二王子殿下は、少々迂闊すぎる」
「殿下をご存じなのですか?」
「知っている。だからこそ、あんたを迎えに来た」
男は周囲を警戒しながら、少女の腕を取った。
「予定が変わった。西離宮には行かない」
「どうしてですか?」
「今頃、あそこには王宮警備隊が集まっているはずだ。殿下は国家機密の不正閲覧を疑われ、身柄を拘束された」
オルフィリアの顔から血の気が引いた。
「……そんな。私に会う約束をしたばかりなのに」
「だから狙われたんだろう。殿下が何を調べていたのか、誰かに知られたんだ」
グレイヴァンは少女を見下ろした。
「伯爵令嬢。ここから先は、知らなかったでは済まない話になる。それでも聞くか?」
オルフィリアは震える手を握り締めた。
怖くないと言えば嘘になる。
しかし、ここで引き返せば、セヴラディオが危険を冒してまで調べようとした真実も、自分が狙われた理由もわからないままだ。
「……お願いします」
グレイヴァンはしばらく少女を見つめていたが、やがて小さく頷いた。
「なら、ついてこい。王都には、表の人間が知らない街がある」
◇ ◇ ◇
七番街。
それは王都の地下に存在する、地図に載らない居住区だった。
古い下水道を改築した通路には無数の魔導灯が吊るされ、湿った石壁の向こうから鍛冶の音や人々の話し声が聞こえてくる。地上では存在を許されない魔術師、追放された学者、戸籍を失った罪人たちが、王国の目を逃れて暮らす場所だった。
オルフィリアはその異様な光景に息を呑んだ。
通路の両側には小さな店が並び、薬草や魔石、見たこともない生物の骨が売られている。顔の半分を金属で覆った老人が客と値段を交渉し、腕が四本ある女性が巨大な鍋をかき混ぜていた。
「……ここは、本当に王都なのですか?」
「地上と同じ税金を払っている連中もいる。もっとも、王国は存在そのものを認めていないがな」
グレイヴァンはそう答え、街の奥にある古い時計塔へ向かった。
時計塔の扉を開けると、中には七人の男女がいた。
最も目立つのは、片眼鏡をかけた灰髪の男だった。彼は机の上に広げた書類から顔を上げると、オルフィリアを見て露骨に眉をひそめた。
「……おい、グレイヴァン。私は王族を連れてこいとは言っていないぞ」
「伯爵令嬢だ」
「血筋の話をしているんだ。そいつが誰の娘なのか、知らないとでも思っているのか?」
男は立ち上がった。
「メルキオル・ヴェスパーだ。七番街の管理を任されている。歓迎はしないが、今夜だけなら匿ってやる」
オルフィリアは丁寧に頭を下げた。
「オルフィリア・ディルヴェインと申します。ご迷惑をおかけして申し訳ありません」
「謝罪は結構。ここでは謝罪より金貨の方が役に立つ」
「……お金なら、少し持っています」
「冗談だ。そんな顔をするな」
メルキオルは呆れたように息を吐き、椅子を勧めた。
残る六人も、オルフィリアを興味深そうに眺めていた。
右目に黒い眼帯を着けた女、片腕が義手の青年、背中の曲がった老人、赤毛の双子、そして口元を布で覆った小柄な少年。
全員、どこかに身体的な欠損や異常を抱えていた。
「……皆さんは、どうしてここに?」
オルフィリアが尋ねると、メルキオルは笑った。
「全員、王国にとって都合の悪い人間だからだ」
彼は片眼鏡を外し、机の上に置いた。
「我々七人は、かつて王宮の審美鏡を研究していた。そこで、知ってはいけないことを知った」
部屋の空気が重くなった。
「審美鏡は、人間の美しさを測る道具ではない」
オルフィリアは顔を上げた。
「……では、何を測っているのですか?」
メルキオルは答える代わりに、古い羊皮紙を広げた。
そこには、巨大な鏡の前に並ぶ女性たちが描かれていた。彼女たちの足元から伸びる細い線は、すべて地下深くに描かれた巨大な樹木へ繋がっている。
「この国の豊かさが、どこから来ているか考えたことはあるか?」
「……豊かさ、ですか?」
「そうだ。アルグラン王国は、周辺諸国と比べて異常なほど農作物の収穫量が多い。疫病も少なく、王都では百年以上、大規模な飢饉が起きていない」
確かに、それは事実だった。
王国の土地は豊かで、魔物の被害も少ない。国民の多くは、それを王家の加護によるものだと信じている。
「だが、奇跡には代償が必要だ」
メルキオルは羊皮紙の中央を指差した。
「王都の地下には『白根の樹』と呼ばれる古代の魔物が眠っている。王国は百年ごとに、最も適性の高い人間を生贄として捧げることで、その力を利用してきた」
オルフィリアの背筋に冷たいものが走った。
「……まさか」
「そのまさかだ」
メルキオルは淡々と告げた。
「白薔薇の乙女とは、国を守る聖女ではない。国を生かすために、百年間食われ続ける供物の名前だ」




