第32話 ランチタイムの偵察
「……悠真君。今日の昼休みだけど、私は佐々木さんたちと一緒に食べることにしたわ」
四時間目が終わった直後、雫が少し緊張した面持ちでそう告げた。
俺は教科書を机に片付けながら、意外な言葉に目を丸くする。
「佐々木さんたちと? いいじゃないか、友達とお昼なんて。でも、急にどうしたんだ?」
「ええ。……これからは一人の女の子として、もっと社交性を身につけるべきだと思ったの。それに……その、女子同士でしかできない『研究報告』もあるみたいだから」
雫はそう言って、俺からふいと目を逸らした。
研究報告? なんだか物騒な響きだが、彼女の頬がほんのり赤いところを見ると、どうやら下心があるらしい。昨日の「唐揚げ隕石事件」を経て、彼女なりにお弁当のレベルアップを図ろうとしているのだろう。
「わかった。じゃあ、俺は自分の席で食べてるよ。楽しんでこいよ、雫」
「ええ。……行ってきます、悠真君!」
雫は、昨日俺と一緒に詰めた(というか、ほとんど俺が詰めた)お弁当箱を大事そうに抱え、佐々木さんたちのグループへと向かっていった。
さて、俺も飯にするか。
自分の席に座り、弁当箱を開ける。中身は昨日の残りの肉じゃがと、なんとか形になった卵焼き。一人で食べるお弁当は、雫と一緒に食べ始めてからというもの、少しだけ味気なく感じてしまう。
そんなことを考えていると、背後からガシッと肩に腕が回された。
「よお、独り身のランチタイムへようこそ、佐藤さんよぉ」
現れたのは、小学校からの腐れ縁、井上だ。
彼はニヤニヤと下卑た笑みを浮かべながら、俺の前の席に勝手に座り込んだ。
「なんだよ井上、向こうで食べないのか?」
「あっちの連中は『誰が一番に彼女作れるか選手権』で盛り上がっててな。……すでに覇者となったお前が視界に入ると、あいつら憤死するんだよ。だから俺が代表して、お前のノロケ話を聴取しに来てやったんだ」
井上はパンパンに膨らんだ購買の焼きそばパンを齧りながら、身を乗り出してきた。
「で、実際どうなんだよ。あの『氷の令嬢』との日常ってやつは。やっぱり家でも『近寄らないで。温度が下がるわ』とか言われてるのか?」
「……そんなわけないだろ。あいつ、家だと結構……いや、かなりイメージ違うんだよ。昨日も唐揚げを作ろうとしてキッチンを煙まみれにしてたし」
「マジかよ。氷室さんが唐揚げ? しかも失敗したのか?」
井上はゲラゲラと笑った。
「意外だな。完璧超人だと思ってたけど、私生活はポンコツなのか。……でもさ、佐藤。お前、そっちの方が可愛いとか思ってんだろ?」
「……まあ、否定はしないけど。必死にエプロン姿で頑張ってるのを見ると、放っておけないっていうか」
俺が少し照れながら答えると、井上は急に真面目な顔になって溜息をついた。
「いいなぁ……。お前、本当に当たり引いたよ。お節介焼きのお前には、そういう手のかかる美少女が一番似合ってるのかもな……」
井上の言葉には、いつもの冷やかしだけでなく、どこか切実な響きが混じっていた。
「……井上? お前、なんかあったのか?」
「え? あ、いや。別に……。……なあ、佐藤。お前、氷室さんにプレゼントとか贈る時、どういう基準で選んでる?」
焼きそばパンの袋をいじりながら、井上が視線を泳がせる。
小学校からの付き合いだ。こいつがこういう顔をする時は、十中八九、特定の誰かを意識している時だ。
「……なんだ。井上、好きな奴でもできたのか?」
「う、うるせえな! 仮にそうだとして、お前に相談してるだけだろ! お前はあの氷室さんをオトした実績(?)があるんだからよ!」
井上の顔が耳まで赤くなる。どうやらビンゴらしい。
小学校の頃は「女なんて面倒くせえ!」と言って走り回っていたこいつが、誰かを想って悩んでいる。その事実に、俺は少しだけ感慨深い気持ちになった。
「そうだな……。実は、まだプレゼントしたことがないんだ。でも、雫の場合は、高価な物より『実用的な物』とか『手作りの物』が一番喜んでくれる気がする。それに、それは相手の性格によるだろ。お前が気になってる人って、どんな子なんだ?」
「……それは、まだ内緒だ。……でも、お前らの隣にいると、なんかこう……眩しすぎて、自分の平凡さが嫌になるんだよな」
井上は、教室の隅で女子たちと談笑している雫の方をちらりと見た。
♢♢♢♢♢
(雫side)
――その頃、雫はまさに「戦場」の真っ只中にいた。
「――それでね、氷室さん! これ、私が今日作った卵焼きなんだけど、食べてみて!」
「……え、ええ。……いただきます」
佐々木美紀が差し出した卵焼きを、雫は真剣な眼差しで咀嚼した。
「……美味しい。……甘さが絶妙だわ。佐々木さん、これは一体どういう魔法を?」
「魔法なんて大袈裟だよ! 普通に白だしと砂糖を入れただけ。あ、でも、火加減は弱火でじっくりやるのがコツかな」
「弱火……。やはり、情熱(強火)だけでは料理は成立しないのね……」
雫は、こっそりと懐から取り出した『お嫁さん修行ノート』に、猛烈な勢いでメモを取った。
「あの、佐々木さん。……実は私、料理が全くできなくて。……昨日、鶏肉を暗黒物質に変えてしまったの。……悠真君を喜ばせたいのに、このままでは彼の胃壁を破壊してしまうわ」
雫のあまりに切実な告白に、女子グループが一瞬静まり返り、次の瞬間、爆笑と共感の嵐が巻き起こった。
「あはは! 氷室さん、面白すぎる! 大丈夫だよ、最初はみんなそんなもんだって!」
「そうそう! 冷凍食品だって最近は美味しいし、まずは簡単な『ちくわの磯辺揚げ』とかから始めれば?」
「ちくわ……。あの、穴の開いた不思議な食べ物ね。……あれなら私にも扱えるかしら」
雫は、女子たちが持ってきた色とりどりのお弁当を熱心に観察していた。
彼女の目的は、単にレシピを聞くことだけではない。
「他の女子が、どんな風に男子(あるいは自分)の胃袋を掴もうとしているのか」という実態調査、いわばスパイ活動でもあったのだ。
「あの、氷室さん。……もしかして、佐藤君って結構食いしん坊なの?」
「ええ。……いえ、食いしん坊というよりは、作るのも食べるのも好きみたいで。……私が『美味しい』って言うと、すごく嬉しそうな顔をするのよ。……だから私も、彼に同じ顔をしてほしくて」
雫が、無意識のうちにふわりと微笑んだ。
そのあまりに純粋な笑顔に、周りの女子たちは一瞬息を呑んだ。
「……佐藤君、マジで前世で徳を積みすぎでしょ」
「本当。……ねえ、氷室さん。私たちでよかったら、お弁当の特訓に付き合うよ! 今度、家庭科室借りてみんなで作らない?」
「……いいのかしら? 私、本当に足を引っ張ってしまうかもしれないけれど……」
「任せてよ! 『令嬢をお嫁さんに改造するプロジェクト』、始動だね!」
盛り上がる女子たちの輪の中で、雫は生まれて初めて、悠真以外の誰かと通じ合えたような高揚感を感じていた。
「友達」という存在が、こんなにも温かく、心強いものだとは知らなかった。
♢♢♢♢♢
昼休み終了のチャイムが鳴り、雫が俺の席へと戻ってきた。
その足取りは、行く前よりもずっと軽く、充実感に満ち溢れている。
「……おかえり、雫。どうだった? 研究報告は」
「ええ。……大きな収穫があったわ、悠真君。……私は今まで、キャベツの千切りばかりを意識していたけれど、世の中には『ちくわ』という最強の味方がいることを知ったの」
「……ちくわ? まあ、便利だけどさ」
「楽しみにしていて。明日の朝、私は生まれ変わるわ」
鼻息荒く席につく雫。
一方、俺の隣で井上がポツリと呟いた。
「……あーあ。……俺も、あんな風に誰かに『喜ばせたい』とか思われてぇなぁ……」
井上の視線の先には、佐々木美紀たちが楽しそうに笑い合っている姿があった。
どうやら、この教室の恋の温度は、俺たちが思っている以上に上昇し始めているらしい。
雫のお嫁さん修行、そして井上の秘めたる恋。
秘密の隣人関係だった俺たちの日常は、いつの間にか多くの人々を巻き込んだ、騒がしくて愛おしい青春へと変貌していた。
「……よし、今日帰ったら、ちくわの磯辺揚げの予習だな」
「……悠真君。……それは、私が一人でやるべき聖域だわ」
「はは、わかったよ。手は出さないから、口だけ出させてくれ」
俺がそう言って笑うと、雫もまた、少しだけ照れくさそうに笑い返してくれた。




